ドイツ歴史学派 (The German Historical School)
ドイツ歴史学派は、19 世紀終わりにカール・メンガーやオーストリア学派との長い Methodenstreit 論争を開始するまでは、自分たちが学派だという認識すらなかったかもしれない。でも、自分たちのやっている経済学が、リカードやミルの古典派アングロサクソン世界でやられているものとはまるでちがうことは、ずいぶん前から認識していた。かれらの経済学は、名前からもわかるとおり、「歴史的」で、だから経験的、帰納的な理由づけに大きく依存していた。そのルーツはヘーゲル哲学とリストやミュラーのロマン主義・国粋主義的な抽象理論批判にある。英仏海峡を越えた仲間意識は、古典派とではなく、イギリス歴史学派とのものだった。
歴史学派の初期の手法原理は、ヴィルヘルム・ロッシャーによって決められた。ヘーゲルに従って、ロッシャーは普遍的な理論体系という考え方を否定した――経済的なふるまい、ひいては経済の「法則」はその歴史的、社会的、政治的な文脈に依存しているのだ、と論じて。つまり、経済的な手法はどうしても学問領域をまたがるものとなる。経済活動は、経済学者としての目だけでなく、歴史家と社会学者の目をもって見る必要がある。だから最初の仕事は、その社会における経済組織と社会組織との関連についての発想を得るために、歴史を細かく検分してやることだ、ということになる。結果として初期の歴史学派の仕事――特にロッシャーの初期の弟子たち、ブルーノ・ヒルデブラントとカール・クニースの仕事は、歴史を通じた経済組織の段階論に集中している。
グスタフ・シュモラーの下の若き歴史学派が台頭したとき、こうした慎みはだんだん失われた。かれらの主張では、経済学は本質的に規範的な学問分野であって、だから政策立案者やビジネスマンの使うツールを考案するべきなのだ。かれらの見方では、歴史は単に手元のある問題にとっての事例を提供するために存在するだけだ。歴史学派たちはそのことばに従って、Verein für
Sozialpolitik を 1872 年に設立し、経済政策への説教的関与を目指した。でも、 Verein はすぐに、保守的プロシア政府の手先と見なされるようになり、シュモラーとその同僚たちは "socialists of the chair" (em>Katheder
Sozialisten) というレッテルを貼られることになる。
カール・メンガーが 1883 年にその手法論的な攻撃を歴史学派に向けると(当時、歴史学派はドイツの大学を実質的に独占していて、古典派と新古典派のどちらも排除している状態だった)、歴史学派は規範的な立場から、古いロッシャーの議論に撤退した――自分たちの手法は、理論を適用する以前に、単に歴史的な法則をまず探そうとしているだけで、positiveな活動なのである、と論じて。この手法論争 (Methodenstreit) はきわめて辛辣になって、後の経済学への影響という点では何一つ解決しなかったけれど、メンガーとオーストリア学派が勝者となった。が、短期的には、それは空疎な勝利だった。歴史学派たちはドイツの経済学教授職を支配し続け、その影響力をアメリカにまで広げた――リチャード・イーライ、エドウィン・ゼリグマン、初期のアメリカ制度学派たちを通じて。
「最若年」歴史学派はまったくちがった味わいの人々だった――当初は、シュモラーの世代よりはるかに保守性が弱く、初期のロッシャーのpositivismに回帰しようとしていた。実際、ヴェルナー・ゾンバルト、アーサー・シュピートホフ、マックス・ヴェーバーは、シュモラーのグループよりもマルクス主義経済学のほうと関係が深かった――もっともゾンバルトは後に、ドイツナショナリズムとの関係に巻き込まれることになるのだけれど。この「最若年」学派には、1920 年代のAdolph Lowe率いるキール学派も含めることができる。キール研究所は、独立ビジネスサイクル研究や、学際社会科学の両方において重要な機関だった。この意味で、「最若年」学派はロッシャーと古い歴史学派の positivist 的立場を採用したわけだ。でも、その規範的な「器具主義 (instrumentalism)」の追求は、この学派を政策追求型の集団にもした――だからかれらは、シュモラーのVereinの社会主義者版として見ることができる。キール学派は社会民主党の政治に深く関わり、ワイマール共和国の社会経済政策にも関連していた。キール研究所はヒトラーが政権の座について、そのメンバーが追放されたことで解体された――そしてニューヨークのNew School for Social Researchに新しい故郷を見いだした。
社会科学一般に対するドイツ歴史学派の影響は広範だけれど、でも経済学にはほとんど影響を与えなかった――とはいえ、その影響の痕跡はあちこちに散在しているようには見える――たとえば貨幣/マネーの「goldsmith」やChartalist 理論など、あるいは経済発展と経済地理の理論など。さらに、ヨーロッパとアメリカの非主流経済学においては、ドイツ歴史学派の要素が常に残っていた。
- ゲオルグ・ヘーゲル Georg W.F.Hegel, 1770-1831. - (1), (2), (3), (4).
- The Phenomenology of Mind, 1807.
- The Objective Logic, 1813.
- The Subjective Logic, 1816.
- Encyclopedia of the Philosophical Sciencies in Outline, 1817.
- Philosophy of Right, 1821.
- Philosophy of Religion,1832.
- History of Philosophy, 1833-36.
- Philosophy of History, 1837
- Adam Müller, 1779-1829.
- On the Idea of the State , 1809.
- The Elements of Politics , 1809.
- Theory of State Finance , 1812.
- へんてこな愛国的ロマン主義者で、古典経済学と現代リベラル社会一般を批判――中世神聖ローマ帝国の経済、政治、社会的な仕組みの復活を提唱。
- Friedrich List, 1789-1846.
- Wilhelm G.F. Roscher, 1817-1894. - 肖像
- Outline of Lectures on Political Economy According to the Historical Method ,
1843.
- System of Political Economy , five volumes, 1854-94.
- ドイツ歴史学派の創始者であるロッシャーは、歴史的進化の周期的な「段階」を主張。歴史的手法を、規範的科学としてではなく、positive科学として主張。かれの 1843 年の著書は、この学派の決定的な手法解説となった。
- Bruno Hildebrand, 1812-1878.- 肖像
- Economics of the Present and the Future, 1848.
- 古典派理論にきわめて批判的だったヒルデブラントは、ほとんどの時間を容赦ないリカード批判に費やし、物質主義的で、普遍論的でコスモポリタンだと糾弾した。自分独自の発想をまとめたのは、晩年になってからのことだった――特に、経済史の線形「段階」を発達させた。でもその経験論的・統計的な研究は、そうした洞察をまるで使っていない。
- Karl Knies, 1821-1898.- 肖像
- Political Economy from the Standpoint of the Historical Method , 1853.
- Money and Credit , 1873.
- クニースの線形段階議論は、「道徳的な進歩」を云々していて、だからそのほとんどの理論はもう時代遅れだ。でもその 1873 年の研究は、歴史学派的な手法をほとんど含んでいない。その政治的な関与のおかげで、1848 年には一時的に国外追放となった。
- Georg Friedrich Knapp, 1842-1926.- (1)
- Die Neueren Ansicthen uber Moralstatistik, 1871.
- Theorie des Bevolkerungs-wechsels, 1874.
- Die Bauernfreiung und der Uroprung der Landarbeiter, 1887.
- Grundherrschaft unde Rittergut, 1897
- The State
Theory of Money , 1905.
- 仕事熱心な経験論者だったクナップは、その統計ツールを経済的な構造の歴史的/人口的研究にいろいろ向けた。農業システムやマネーについての研究がいちばん有名だろう。クナップはマネーの「Chartalist」理論の旗手だった。これはつまり、マネーの価値は国の税制によって人工的に「創造」される、ということだ。
- Ludwig Joseph (Lujo) Brentano, 1844-1931.
- エルンスト・エンゲル Ernst Engel, 1821-96.
- Der Kostenwerth des Menschens, 1883.
- 統計家で有名な「エンゲルの法則」や「エンゲル曲線」(消費需要の構成を消費者の所得と関連づけたもの)の考案者として有名(日本では「エンゲル係数」で知られる、あのエンゲル)。
- カール・ビューヒャー Karl Bücher, 1847-1930.
- Die Bev(゚lkerung von Frankfurt am Main im XIV. und XV. Jahrhundert,
1886
- Die Entstehung der Volkswirtschaft (Industrial Evolution),
1893.
- Arbeit und rhythmus, 1896
- Die Frauenfrage im Mittelalter, 1910.
- Beitr臠e zur wirtschaftsgeschichte, 1922
- ライプツィヒの経済学者で、産業革命の世帯-町-国「段階」の理論で有名。これを「進歩」のように見せたがるヘーゲル的な傾向は、ゾンバルトに厳しく批判された。
- Adolph H.G. Wagner, 1835-1917.- 肖像
- Science of Finance , four volumes,1877-1901.
- Foundations of Political Economy , 1876.
- "Marshall's Principles of Economics", 1891, QJE
- シュモラーの Verein の活発なメンバーだったが、ヴァグナーは実は Methodenstreit においてメンガーを支持していた。経済学では、かれは公共財政についての研究で知られている。経済学の外では、かれはラサールと Rodbertus の仲間だった――が、かれらの社会主義的な理想を完全には共有せず、政治的な麺ではもっと保守的な直感に従っていた。ヴァグナーは野放しの資本主義を厳しく批判し、労働者に対する重荷を国が軽くすべきだと推奨。
- ヴェルナー・ゾンバルト Werner Sombart,
1863-1941.
- Alfred Weber, 1868-1958.
- Theory of the Location of Industries, 1909.
- マックス・ヴェーバーの兄弟、経済地理理論を考えた初の経済学者の一人。
ドイツ歴史学派についてのリソース
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