ジョン・アトキンソン・ホブソン (John Atkinson Hobson), 1858-1940.

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Portrait of J.A. Hobson

イギリス歴史派経済学者で、マルクス派社会主義学派と近い関係を持っていた (特にジョン・ラスキンはお気に入り)。それでもホブソンは著名な著者、ジャーナリスト、歴史家、経済学者、そして古典派と新古典派経済学の唯物論的な手法に対する批判者で、イギリス諸島が生み出した中ではアメリカの偶像破壊者ソースティン・ヴェブレンに最も近い。だが学会的にいうと、ヴェブレンよりはるかにアウトサイダーだった。まずは古典派、ついでマーシャル派の正統教義に追い立てられたホブソンは、ついに正式な教授職にはつけず、基本的に政治経済集団からは出入り禁止となり、マーシャル派思想の牙城たる Economic Journalでは絶えず笑いものにされ続けた。

 1891 年のホブソンは有名な古典派のレント理論批判とその一般化を行ったが、これは新古典派の「分配の「限界生産性」理論を予見するものだった。だが彼は後に (1909) その理論の「生産物蕩尽」テーゼを批判し、この批判に対して一部の同時代人 (たとえばマーシャル) は返答に窮した。ホブソンの名声は、過少消費理論の開発のおかげかもしれない (1889, ビジネスマン兼登山家の A.F. ママリーと共著)。これはジョン・メイナード・ケインズを先取りするものだった。またかれの帝国主義の理論 (1902) はウラジミール・レーニンを先取りしていた。かれはこうしたアイデアを発展させて交易サイクルの過少消費理論を樹立した。社会福祉に関する研究 (1901, 1914, 1929) も、存命中はほとんどまともな扱いを受けなかった。ホブソンの株はその後上昇した。これは前出の各種貢献のせいだけでなく、経済と社会に関する「進化論」的な見通しのおかげもある (1894)。

ジョン・A・ホブソン主要著作

ジョン・A・ホブソンに関するリソース


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