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ケインズ『雇用と利子とお金の一般理論』要約、16 章
山形浩生 (全訳はこちら)
16 章 資本の性質についての見解あれこれ
Abstract
- 貯蓄はすぐに投資にまわるわけじゃない。多くの人は、いつか使うかも、というだけでお金を貯め込むので、貯蓄は死蔵されることもある。
- で、資本は少なければ活躍して高い効率を上げるけれど、資本が増えると効率は下がり、どこかで効率ゼロになる。すると、それ以上投資が起こらなくなり、消費需要だけでは完全雇用が実現できなくなる。
- すると自由放任のもとでは、資本や設備が多い社会のほうが失業が高く生活水準も低いことになりかねない。
- いずれ、資本の効率はゼロになり、貯金の金利で喰うこともできなくなるかも。よいことです。
- その場合でも、リスクを負担することで収益を得る道はある。
本文
Section I
- 1. 個人の貯蓄というのは、今日は消費しないという決断。でも、その消費しなかった部分を、いつ何に使うかは、そのときには決まっていない。すると今日の事業主は売り上げが減るけれど、だからといって将来に確実に売り上げが立つとは決まっていない。だから、貯蓄が現在の消費と将来の消費の間の選択だというのは正しくない。
しかも将来の消費は現在の消費にかなり左右される。現在の消費が下がると将来の消費も下がりがち。つまり、貯蓄は今日の消費財価格を引き下げるだけでなく、既存資本の限界効率も下げてしまう。すると、現在の消費を下げるだけでなく、投資も下がる。
- 2. 貯蓄というのが、その場で将来の消費を決めることなら、話は変わってくるが、そうじゃない。雇用は、製品が消費されるという見通しがある場合にしか発生しないので、貯蓄は他の条件が同じなら、雇用を抑えてしまう。
- 3. 要するに、貯蓄というのは「いつでも何にでも使える」という「富」への欲望なので話が面倒。個人の貯蓄が(投資に結局はまわるから)消費と同じくらい有効需要に貢献するという発想は(広まっているが)ばかげている。
- 4. この変な発想の原因は、富の持ち主は資産それ自体を保有したいのだと思ってしまうから。実はその資産からの見込み収益がほしくて保有するんだよね。でも見込み収益は将来の総需給の関係で決まる。見込み収益が増えなければ投資なんか増えない。
さらに、資産を保有したいだけなら、他の人から買えばいいけれど、それが新しいモノの生産に使われるとは限らない。新しい限界投資の見込み収益は、それが作る製品の将来需要の期待に基づくので、持っているだけでは何の貢献もしない。
- 5. また富の所有者が求めるのは見込み収益の中でも最大のものなんだから、富を保有しようとする欲望が高まれば、新規投資者が甘受すべき見込み投資が下がると論じても話は変わらない。だって、富(設備)への投資の期待収益には下限がある。お金や債券を持った場合の金利だ。そしてこの金利は、流動的な富の保有と非流動的な富の保有のバランスで決まるのだ。
- 6. もっと混乱しやすい場合について次章でもっと検討する。
Section II
- 7. 自分の取得価額以上の収益を耐用年数の間にたたき出す設備は、生産的。でもそれは、その設備が希少だから起きる。なぜ希少かといえば、金利と競合するから。物理的な生産能力がかわらなくても、資本がたくさんあればその設備の過剰収益は減る。
- 8. だからぼくとしては、古典派以前の「すべては労働の成果だ」という発想に親近感をおぼえる。資産は、過去の労働の蓄積だ。労働だけが生産の唯一の投入で、その他の資源や資本や設備は全部、所与の条件と考えよう。
- 9. モノを作るにも、時間がかかるやり方、手っ取り早いやり方、といろいろある。でも、合計すれば、ある機械設備を作るのに必要な労働ってのはだいたい決まってくると思う。そしていずれの場合も、作るのにかけられる時間に応じた効率はある。
- 10. あと、汚い危険な仕事は賃金を高くしないと人が集まらない。つまりそうしたものに応募する人が希少だからその分高くなる。
- 11. すると、必要な需要を満たすだけの設備をつくるのに適切な(かついちばん効率の良い)手間取りかたというのがある。主人が食事を八時にしたいと思ったら、料理人はもっと手早くつくれようと手間をかけたほうがよいものができようと、その時間にあわせた手間取り方をする。
- 12. 金利がゼロなら、作り始めの時点から消費するまでの平均期間で労働コストは最小となる。それより短期で作るには費用がかかり、それより時間をかけると保管費用などがかかる。でも金利があると、時間がかかるほど費用が増すので、最適時間は金利がない場合より短くなる。そして製品価格は、金利と短期で作るための追加費用とがあるので、高くなる。
一方金利がマイナスの場合はその逆になる。ただしほとんどの品の場合、着手をあまりはやくしても効率が下がるだけだから、生産をゆっくりできる程度にも限界はある。
Section III
- 13. 前に見たように、資本の耐用年数以内で、限界効率が金利以上にしておくには、資本を希少にしておく必要がある。じゃあ、あらゆる資本がすでに整いすぎて、限界効率がゼロになっており、これ以上追加したら限界効率がマイナスになるような社会だとどうかな? そしてそこでも金利はマイナスにはなれず、そして完全雇用下で人々が貯蓄したければ?
- 14. その場合、事業家は資本をすべて使うほど人を雇えば、必ず赤字になる。だから資本ストックと雇用は、総貯蓄がゼロになるまで減る(個別には、貯蓄がプラスの人もマイナスの人もいるが)。つまり、雇用が少なくて生活水準が悲惨なために貯蓄がゼロになるような社会だ。
実際には、もっと上下動があって、たまに資本ストックが減ると効率がゼロ以上になって「バブル」が起き、増えすぎるとそれがマイナスになって停滞する。均衡では、効率はゼロで、これは完全雇用水準より低い設備ストックになる。
- 15. これに変わる唯一の均衡は、限界効率がゼロになるほどの資本ストックが、人々の富に対する欲望を満たすだけの富の量に対応しており、金利というボーナスがなくてもみんな将来のための投資をする場合。でもこれはありそうにない。
- 16. これまでは金利がマイナスにならないと想定。たぶん心理的な要因もあって、金利の下限はゼロより高いはず。2-2.5% くらいが下限かも。すると、金利がそれ以上下がれないのに富のストックが増えるという変な状況になる。
- 17. 第一次大戦後のイギリスとアメリカは、富の蓄積が大きくなりすぎて、金利が下がるよりも資本の限界効率が下がるほうが速くなってしまった。その場合、自由放任のもとだと、失業を低くおさえて生活水準を維持するのはむずかしくなる。
- 18. すると、資本ストックの多い国のほうが少ない国よりも生活水準が低くなる、という変な事態が起きる。むろん、これは自由放任の場合だ。
- 19. そういう場合、まったく経済的な収益をもたらさない富の蓄積でも、たとえばピラミッド建設や大聖堂建設のように、社会の厚生を高めることになる。穴を掘るだけの公共事業でも、やらないよりましだ。
Section IV
- 20. 金利が完全雇用に対応する投資をもたらす水準に保たれたとする。さらに、国が調節して資本の増え方がいまの生活水準をあまり引き下げないようにするとしよう。
- 21. すると、あまり人口が急増していない社会では、資本の限界効率は一世代以内にゼロになると思う。すると、変化は技術変化とか嗜好の変化などからしか生じない。そして消費財は、労働や原料分だけできまり、資本費用の分はないも同然になる。
- 22. つまり蓄積した富からの収益がゼロになる。これは資本主義のよくない部分を一掃してくれるが、かなりの社会変化が必要。消費をあとまわしにする貯蓄はあっても、それが利息で増えることはない。
- 23. つまり金利生活者は消える。でも見込み収益の予測という面で、まだ起業家や技能が活躍する面はある。というのも、上の議論は金利のうちリスクの分は含んでいないから。だから純粋な金利(リスクフリーの金利)がマイナスにならない限り、見込みのはっきりしないものに投資すればプラスの金利収入を得る道はある。
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YAMAGATA Hiroo日本語トップ
2011.10.10 YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)
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