アーサー・ボウリー卿は、経済学での定量手法活用を進めるのに尽力したことで有名だ。有名な『数学的基礎作業』Mathematical Groundwork (1924)——これはフランシス・ エッジワースの業績を復活させ、その交渉理論を分析して、有名な「エッジワース・ボウリー」ボックスを広めた——はイギリスで大きな影響を与えた。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス での要職のおかげで、かれはこの学校を再興させようというロビンス卿の努力にも大きく貢献した。
定量手法指向は、初期に数学と統計を学んだことに根ざしている—— 1893 年と 1900 年の研究は、経済史研究よりは応用統計学の実践だと当人は語っている。1900年の研究は特に、 A.W. フィリップスが有名な(あるいは悪名高い)フィリップス曲線を編み出すのに援用された。ボウリーの研究はイギリスの国民所得を推計しようという1927 年の大胆な試みが知られている。あまり成功はしなかったが、それでも他の人々が国民経済計算を編纂しようという努力の基礎にはなった。通称「ボウリーの法則」、つまり国民所得における賃金比率が一定であることは、たぶんその本で考案されたものだろう。R.G.D. アレンと共同で、ボウリーはまた消費行動についての初の実証実験の一つ (1935) を実施した。
定量研究ばかりに専念しているのも当然の話で、ボウリーの主要な教授職は統計学だったのだ。かれの最も有名な本は実は『統計学要論』 (1901) だ——ちなみに、英語でこの種の教科書としては最初のものだ。
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