Voice 2007/9号 連載 9 回

投票率を上げる必殺技

(『Voice』2007 年 9 月 pp.122-3)

山形浩生

要約: 投票率が低い、若者の政治参加が云々という話がよく聞かれるけれど、本当に投票率を上げたければ、投票に来た人にお金をあげるようにしたらいかが? みんな先を争ってくるようになるし、民意も政治に反映されるようになる。アンケートだって謝礼が出るんだし、民意を問う投票にだって謝礼をだしてもいいのでは?



 インドに来ている間に参議院選が行われたはずだが、ぼくのいる田舎町ではインターネット接続が劣悪で、結果も何もまったくわからない。が、そんなに熾烈な選挙になったはずはないと思う。大した争点もない。年金がらみのトラブルはあって与党には不利かもしれないが、いまの野党にそれを解決する能力が本当にあるとは思えない。出がけに候補者のポスターをちらりと眺めたけれど、不在者投票しようという気にさせる人物が一人たりともおらず、「お願いだからこっち見ないで」と目をそらしたくなる人々ばかりという惨状。地震もあったし(これはインドの田舎の新聞にも載るしCNNでも報道された)、選挙なんぞにそんなに多くの人が出かけたはずはないように思うが、どうだったのだろうか。

 選挙のたびに、投票率の低さは毎度問題になる。いまの日本では、これは相当部分がまともな対立候補や政策をうちだせない野党の責任だと思うが、人々の参政意識が低いからだ、というのも事実だろう。いや、たぶんこの両者は相互に強化しあっているはずだ。まともな対立候補がないからわざわざ投票して現状を変えたいとも思わない。どうせ関心を持たれないなら、政権を握れる見込みもないからわざわざまともな代替政策を考えるまでもなく、揚げ足取りとスタンドプレーで人目を惹くことばかりに血道を上げる。それを見た人はさらに選挙に行く気をなくすし、わざわざ投票所に足を運ぶ殊勝な人々は、実績もないどころかまともな正論すら打ち出せない野党なんぞに投票するわけがない。各種信仰に基づき投票なさる人々については、ここでは置いておこう。

 ぼくは民主主義を多少は信じているので、こういう状況は不幸だと思う。それが野党がタコなせいだと思うかどうかは人にもよるだろう。でも参政権の行使、つまりは投票率の低さがあまり望ましくないのは、多くの人が賛成するはずだ。もっと多くの人が、投票を通じて自分の声を政治に反映させるべきだ。自分の利害を訴えることで、声の大きい少数派が重要な政治的決定を左右するのを阻止すべきだ。だが、投票率を上げるための有効な方策は見えていない。現状の各種キャンペーンや広報活動なんかに、大した効果が期待できないのは実証ずみだ。さてどうしたものか。

 うむ。もし本当に人々に投票させることがそんなに重要なら(ぼくは重要だと思う)、それを実現する確実な方法がある。もちろん多少のコストはかかるが、投票率を常時七割以上に確実に保てる方法だ。

 投票にきた人にお金をあげればいい。

 だれに投票しようと、棄権だろうともちろんかまわない。投票所にきたら、投票用紙といっしょにお金をあげる。金額は、目標投票率次第だ。が、根拠レスな直感だけれど、百円あげれば七割くらいにはなる。五百円なら九割超えるはずだ。

 これを見た瞬間、ふざけてるとか、選挙を歪めるものだとかわめきだす人々は多い。だがどこが? 投票率は上げるべきなんでしょ? 人々の意見を聞くことが重要なんでしょ? だったらその意見にお金を払ったら? アンケートに答えれば謝礼が出るでしょう。選挙は人々の意見をきく手段という意味ではアンケートと同じだ。そして別に、お金を出すことでかれらの意見はまったく歪まない。思った通りのことを紙に書けばそれですむ。

 お金目当てで投票所にくるのは不純だ、という人もいる。目先の利益目当てで投票するなどけしからん、と。でも、投票は本来、自分の利益を考えて行うものだ。自分にとって有益だと思うほうに投票するんでしょうに。もともと目先の利益のために行う投票に、追加で百円ほどおまけがついて何が悪い? 有権者はお小遣いがもらえて、政治は人々の意見をもっとよく反映できるようになる。悪いことは何一つないのだ。

 このアイデアは、かつて日本の開発業者がハワイで使った手法がヒントになっている。この業者は開発の是非を問う住民投票会場の横で、カニのバーベキュー大会を開いた。これにより開発に特に異論のないマジョリティが投票にやってきて、真の民意が投票結果に反映された。すばらしい。ならこれを、もっと普遍的にやればいいじゃないか。

 他にもやり方はあるだろう。いまこの選挙というやり方は、どうもうまく機能していないと感じている人は多い。そして多少なりともそれを変えるアイデアはある。ぼくはかつて、選挙権を売れるようにすればいいと論じたことがある。アメリカの法学者兼経済学者エアーズは、有権者たちが選挙活動資金の配分を左右できるようにしようと主張した。政治を経済や市場と組み合わせた、もっと新しい工夫がいろいろ出てきてもいいはずなんだが。現状のままでは、選挙という手法自体がジリ貧としか思えないのだ。


前号へ 次号へ  『Voice』インデックス YAMAGATA Hirooトップに戻る


YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
Valid XHTML 1.1!クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
の下でライセンスされています。