Voice 2007/10号 連載 10 回

型にはまった教育の効用

(『Voice』2007 年 10 月 pp.112-3)

山形浩生

要約: 子供の個性だの自由だのを認める教育法よりも、完全に型にはまった軍隊式のダイレクト・インストラクションのほうが成果をあげるそうな。子供を型にはめるというと没個性とかいって嫌がられるが、そもそも教育というのは、子供をある程度社会の型にはめることが目的なんだし、教師が無能でもかなりの成果を挙げられる方法なので日本でも検討してみてはどうでしょ?



 マイケル・ムーアの『華氏九一一』という映画があった。イラク侵攻を中心にブッシュ政権の失策を描いた、非常によくできたドキュメンタリーだったのだが、その一つの山場は、もちろん九・一一同時多発テロだ。そのニュースを初めて聞かされる場面で、ブッシュが何をしていたかご記憶だろうか?

 かれはある小学校にいて、小学二年生たちが「ペットのヤギさん」というお話を朗読するのを見物していたのだった。そしてテロの知らせを聞かされても、ブッシュはしばらくそのまま「ペットのヤギさん」を仏頂面で聞き続けていた。外の世界での空前のテロと、教室の中での脳天気な「ペットのヤギさん」朗読とのコントラストは実に見事で、おとぎ話の世界に暮らして現実への対応ができないブッシュ、というイメージを鮮烈に描き出していた。

 少なくとも映画を見た時点で、ぼくを含む多くの人がそう思った。

 が。最近になって知ったこと。あの「ペットのヤギさん」は、ムーアやぼくたちが思ったほど無邪気な代物ではないのだった。そもそも、ブッシュがあの小学校にいたのも、ただの子供を利用した人気取りのイメージづくり訪問ではなかったのだ。あそこで行われていたのはダイレクト・インストラクション、通称DIという大きな議論になっている教育方法なのだった。ブッシュはそれを視察し後押しすべくわざわざあそこにやってきていたのだ。

 検索してもこの方式のまともな日本語紹介が見あたらないのだが、この方式は子供十人から十五人の小集団。簡単な文や式を音読させ、一分間に最高十回の質問と答えを全員にやらせる。しかも一斉唱和式で。絶えず質問がくるので集中しなくてはならない。少人数だからだれもさぼれず、落ちこぼれない。そして何よりも大きな特徴として、この方式では教師には一言一句、完全な台本が与えられている。質問、呼びかけ、激励や教科書を開けという指示まで、すべては台本通り。逸脱は認められない。

 えーと、子供の自主性は? ない。のびのびとした独創性の発揮は? ありません。先生の創意工夫に基づく楽しい授業は? 忘れなさい。とにかく台本通り機械的に進めろ!

 この方式、当然ながら先生方や既存の教育研究者にはえらく評判が悪い。ピアジェの発達心理学がとかチョムスキーのなんたらが、といった研究成果が一切無視されているのでアワを吹いて怒るそうな。

 だが困ったことに、この方式はものすごい成果をあげるのだ。読み書き算数の成績はぐんぐん上がる。それも従来方式で成績の悪かった子ほど効き目があるとのこと。でもこんなやり方では言われた通りにやるだけのロボットにしかならない、子供の創造性や自主性、自尊心は育たない、と教育関係者は批判する。ところが驚いたことに、こうした面でもこのDIのほうが効果を発揮する。どうも基礎がしっかりするので、独創的なことをやるだけのゆとりや自信、達成感が得やすいということらしい。さらに脚本あるから、教師も授業の準備は一切不要。ぐうたら教師でも問題なし! そしてこうした成果のすべてが、統計的な実証で裏付けられている。いまアメリカでは、教育関係の連邦予算は科学的な実証の裏付けが必要とされつつある。ブッシュの小学校訪問も、「裏付けがあればきちんと検討するぞ」というのをアピールする狙いもあったという。

 確かにこれは納得のいく話ではある。日本の基礎学力でかけ算の九九の暗記が重要な役割を果たしているのとも通じる話だし、流行のインド人式数学なんかも似たような発想だ。かつての寺子屋やゆとり教育以前の小学校も(さすがにこれほど少人数ではなかったにしても)やっていたことはこのDIにかなり近かったんじゃないか。

 さらにこれは、教育の役割というものを考えさせる逸話でもある。そもそも教育は、ある程度は子供を社会の型にはめるためのものだ。子供の自由にまかせておけば、お菓子とテレビ三昧がオチだ。ぎゃあすか泣きわめくガキをひっぱたいて、ニンジンとほうれん草を食わせ、勉強させることも必要だろう。いやなことも我慢するよう強制するのも教育だ。その意味で、その型をきちんと作るところをおろそかにしたら、公的な教育というものの意味がそもそもないのではないか?

 日本でもゆとり教育はそろそろやめるみたいで慶賀の至りだが、そのかわりに何がくるのか少々不安なところではある。教育に何が必要かというのをきちんとご検討いただくとともに、こんな例なども参照しつつ、本当に子供の役にたつ(実証的裏付けのある)教育のあり方を検討してほしいな、とは思うのだ。人々のバカにするあのブッシュ大統領ですら、それをまともに考えようとしているんだから。


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