(『CUT』2000 年 09 月)
山形浩生
なぜ人類がみな平等なんて言えるんだろう。
ヨーロッパ人もアジア人もアメリカ人もアフリカ人も、みんな優劣なく平等です、人種に優劣はありません――ぼくたちは昔からさんざんこのドグマにさらされてきた。
でも、あなたは本気でそれを断言できるだろうか。いや、本気じゃなくてもいい。日本人の多くは Lonley Planet のガイドブックにあるとおり、すさまじい人種差別主義者だもの。口先だけでもいいよ。なぜ? どういう根拠で? ちょっと見てみれば差は歴然としているじゃないか。白人たちは、先鋭的な科学を発達させ、大都市と軍事力を育み、すさまじい組織力を発揮して他の地域を制圧し、支配してきた。中国やイスラームやインドだって、普遍性を持った文化をつくってきた。ローカルな島の中でチマチマやってきただけの日本人より明らかに「優れている」のでは? いま、ぼくたちを取り巻く文物や思想の多くは、そのルーツをヨーロッパや中国発の文化・文明に持っている。日本的な加工は加わってるにしても。これだけの実績の差を前に、なにを根拠に「平等だ」と言えるのか? あなたはまともに答えられるのだろうか。ただの信仰告白でない、「価値観は多様」だの文化相対主義っぽいおためごかしでない、きちんとした議論を展開できるだろうか。
ほとんどの人はできない。そしてそれを正面切ってやっている人もぼくは知らなかった。
これまでは。
それをやっちゃったすごい本が、Jared Diamond Guns, Germs and Steel (Norton)(邦訳さっさと出さんかい!)。人間の生存においてなぜユーラシア大陸が有利だったかを論じた本で、それは根本的には、農業に適する作物用植物の種類と家畜化できる大型動物の分布、そしてユーラシア大陸が東西方向にのびているのに対してアメリカ大陸とアフリカが南北方向にのびているのが原因だと論じる。ユーラシアには、そういう作物や家畜になりやすい動植物がたくさんあった。ほかのところにはなかった。さらにユーラシアは横長で、一ヶ所で発見されたものが伝搬しやすかった。南北に長いアフリカやアメリカでは、それがむずかしかった。
たったそれだけのこと。しかし、それがすさまじいちがいを生む。ダイヤモンドは、それを見事にまとめあげる。
たとえば、コロンブスの「新大陸」発見以来、ヨーロッパ人たちはアメリカ大陸の先住民たちを殺戮し、収奪し、奴隷化し、ありとあらゆる蛮行を働いたのだけれど、何より強烈だったのは、ヨーロッパ人たちの持ち込んだ各種の病気だった。ヨーロッパ人たちが通っただけで、先住民たちは一瞬のうちにペストやはしかや天然痘や水疱瘡といった病気を発病し、ものの数日で集落が次々に全滅していった。
一方、逆の例はほとんどない。せいぜい梅毒くらい。白人植民者がマラリアで壊滅したりすることもある。でも、それはごく一部の風土病にとどまった。近年登場した HIV/AIDS が、やっと三番目、というところだろうか(日本/ナイル脳炎がいま NY ではやっているけど)。病原菌こそヨーロッパ最大の攻撃兵器だったのだ。
でもなぜヨーロッパ人たちはペストや天然痘やはしかを生み出せたのか? なぜほかのところには、こういう恐ろしい病原菌が発生しなかったのか? 一つの答は、ヨーロッパのほうが都市が発達して人口密度が高くて、全員が各種伝染病の猛威にさらされた経験を持ち、それに耐性を持った生き残りばかりになっていたからだ、というものだ。確かに、中世ヨーロッパの黒死病の大流行でヨーロッパの人口は激減したりしてはいる。でも、マヤやインカには大都市がすでにあった。そこで各種の伝染病が猛威をふるったってよかったはずだ。どうしてこちらには独自の病原菌が生まれなかったんだろうか?
その答は家畜にある。ヨーロッパで猛威をふるった各種の病原菌は、すべてもともと家畜たちの持っていた病気の変異体なんだって。天然痘は、牛痘の変種。ブタや馬の病気もある。人間に非常に近いところで大量に大型動物が飼われていたから、その病気がやがて変異して人間にも伝染した。ところが、アメリカ大陸には、家畜となる動物がほとんどいなかったのだ。だからヨーロッパのようなおそろしい病原菌は生まれなかった!
こんな具合に、この本は文明のあらゆる側面を次々にえぐる。まずは基本的な食料生産。家畜。鉄。技術革新。宗教。文字。文字についてこんな議論ができるのか? それができるのだ。おそろしいことに。オチをここで書いてしまうとつまらないから書かないけれど、文字というのが実はとても異常な発想で、そんなものが発明されたことは歴史上ほんの数回しかなく、それ以降の文字はすべて、ほかの連中がなにやら変な記号を書いて意志疎通や記録をしているのを見て真似たり借りたりしてこしらえたものだ、という前提から出発すると、すごい話が展開されてしまうのだ。
そしてそこからダイヤモンドは論じる。すべては、初期条件の差だ、と。同じものを与えられれば、後進のアメリカ先住民たちがヨーロッパ人を追い抜いた例だっていくらもある(馬の扱いとか、あるいは一気に世界最高の鉄砲生産地になった日本)。同じ条件のもとでは、決して人類に差はないのだ、と。
本書はわずか(わずか!)500 ページほどで、氷河期の終わりから現代まで縦横無尽にかけめぐる。これほど一貫性のある科学的な歴史観の記述、しかもこれだけ読ませるものは、ぼくは初めてだ。たいがいの歴史書というのはいろんな意味で司馬遷に影響されすぎてしまっている。人の話と小話に終始しすぎるのだもの。
細かい注文はいろいろある。まず、ここ 200 年くらいの、国レベルの話がほしい人には不満なはず。話は最低でも 500 年単位で、さらに地域的にもかなり大くくりの議論しかしない。イスラーム文明とヨーロッパ、とか中国対ヨーロッパ、日本対アメリカといった話がほしい人は不満に思うだろう。それでも本書は、少なくともシナ文明とヨーロッパのちがい、そして初期条件からくる発展を阻害する各種の要因について論じ、議論の糸口はつけてくれているのだけれど。
あるいは、これからは? もう、家畜や作物の分布はそんなに問題になるまい。技術や知識の分布も、もうそんなに地域的に大きな格差はない。そのとき、世界はどうなるのか? これについても、議論はない。糸口だけは示してくれてはいる。
ふぅ。本書を読めばだれしも世界を見る目が変わるだろう。でも、本書のすさまじい説得力に圧倒されつつも、ぼくはふと思うのだ。もし初期条件ですべて決まっていたなら……それはある意味で、地域格差はすべて運命づけられており、人間の優劣ではないにしても、結局は場所の優劣ですべて決まっているということなのか。つまり、われわれにはこういう道しかなかったということだろうか? こうなるしかなかったんだろうか? それは冒頭の疑問に対して、現実的には否定的に答えていることになるのではないか?
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