私の部屋は(事実をお求めだ、事実を得るがいい)――
大好きだ。見よ、なんと暗いことか。闇とよべそうなくらい。
白ペンキの白はもう無効。
なぞらえるならむしろ月光
白ペンキではないだろう。
気が遠くなってしまいそう
になる、これを見ていると。
私は思う、これは黄色だ
だがそれをいうことはできない。
HHは喜ぶまい、これはいえる。「正直なところ、HH、これはたまたまそうだったんだ」 即興の詩として「オジマンディアス」の域にはとても及ばないが、まあ、慎ましく小成に廿んじておこう。
わが部屋は(もう一丁やってみよう)――
薄い黄灰色(要するに事実と詩には差がございます)。この黄ばんだ壁にはオリジナルのアブストラクトの油絵があり、非の打ちどころのない企業好みのニューヨーク・ヒルトン風、中味はとらえどころなく、空虚な壁と同じくロールシャッハ・カード風。高価なデンマーク近代派風の桜材の厚板、そのそこかしこに桜挑色のストライプの立方体のクッションがあしらわれている。腿せた黄土色のアクリルのカーペット。このうえもなく贅沢に浪費された空間、何もない隅。見積りでは床面積は五〇〇平方フィートというところ。ベッドは小文字のL字型で、部屋の本体から味気ない花模様のカーテンで仕切られるようになっている。まるで、四方の腿せた自壁はみんな片面ガラスで垂れさがった電球のミルク色の球型の傘にはどれもマイクが仕込まれているような感じがする。
どうかな?
すべてのモルモットの舌の先にある疑問。
ここの図書の購入係はインテリア・デザイナーより趣味がいい。なんとなれば、一冊ではなく二冊でもなく三冊も「スイスの高原」が書架にあったからだ。おまけに、神もご照覧あれ、「ジェラード・ウインスタンレー、ピューリタン・ユートピスト」まで。「高原」を通読したところ、嬉しいことに一つも誤植がなかったが、フェティッシュな詩の配列に誤りがあった。