Gonzo Marketing

Christopher Locke, Gonzo Marketing: Winning through Worst Practices (2001 Perseus Publishing)

2001/10/15
山形浩生

1. 本書の概要

 インターネット上でのマーケティング戦略を語った本。従来のモデルはどれも、マスメディア利用のセグメンテーション戦略に基づく「マス」マーケティングでしかないと指摘、インターネットの特性にあった有効なマーケティングを行うには、インターネットのもつ双方向コミュニケーションの力と口コミ醸成力を活用すべきであると主張する。


2. 著者について

 クリストファー・ロックはもと IBM 勤務のエンジニア。その後、メールマガジン Entropy Gradient Reversals を刊行、インターネット上でのビジネスについて発言を行う。その後 Cluetrain Manifesto を共著。


3. 本書の構成

序文 現場に参加する

 インターネットは無数のミクロ市場の集合であるため、それに応じた新しいマーケティングが必要となること。および本書の成り立ちの経緯について。

1. 高度1万メートルからの眺め

 従来のマーケティングは、既存のものの縮小再生産しかできない。さらにはマス市場を相手にしているために、最低レベルにあわせた戦略しかとれない。しかしインターネットでは、その手法は使えない。つまらないものはそもそも見てもらえないし、マス市場相手の広告は嫌われる。でも、ミクロ市場は存在しているし、それは大化けする可能性を秘めている。

  だがそれに接触するためには、会社の看板を背負った人がきてもダメで、社員を個人として積極的に外部と接触させる必要がある。従来はすべて広報を通すことになっていた発信活動を、みんなに好き勝手にやらせることが重要。

2. 価値の提案

 多くのマーケティングの本では、「マーケティングは顧客に大して価値提案をしなくてはいけない」と言いつつ、その価値がなんなのか説明しない。価値は、多くの個人顧客にとっては人間としての活動に結びついたものだが、企業は本質的に被人間的であり、その看板を背負って人間的な価値提案は不可能。個人の声こそが、真の価値提案を行える。また多くの企業が行う「ブランド戦略」は無意味。ブランドが商品に価値を与えるのではなく、商品の価値がブランドを形成するのだから。

3. マーケティング病棟のコードブルー

 セグメンテーションに基づく広告戦略は、ネット上では一人の掲示板の書き込みに負けてしまう。本当に使った人が、好き嫌いを問わず本当に感情をこめて述べた意見は必ずインパクトを持つ。それを活用しよう。

  一方、セス・ゴーディンの「パーミションマーケティング」(註:スパムみたいな無差別ばらまきではなく、情報を求めている相手にだけ情報を送り出そう、というマーケティング手法。そのために、「情報を送ってよろしいですか?」という許可、そしてその人々を引きつけておくポイント制などの手法が重要だとする)は、パーミッションを得るためにネットで忌み嫌われるスパムメールをばらまくしかないという点で、これまた無意味だし、最近パーミッションマーケティングの影響でこの手の許可を求めるメールが増加して、どんどん価値低下を起こしている。

 これらは放送モデルにしばられており、そこには対話が存在しない。一方的な怒鳴り声があるだけ。

4. ストレンジアトラクターとしての物語

 ネットでは、人が自分の経験に基づいたお話をするのがいちばん歓迎されるし、人を引きつける。このためには、広告戦略の一環として、社員たちが本当におもしろいと思っていることを、本当に言いたい口調で(社のイメージにあうとかあわないとかとは関係なく)言わせるような方式を作ろう。社員が製品とは関係ないところであっても物語を語り、社外の顧客候補と会話をして信頼を勝ち取るようになれば、それは自然にその会社への信頼を創り出す。商品に焦点をしぼらず、またターゲットをあえてしぼらない――これがゴンゾー・マーケティングであり、ネット時代で唯一可能なマーケティングだ。

5. 社会マーケティングと公共ジャーナリズム

 この考え方は、ベネトンが広告で使ったような、社会問題を訴える中でブランドイメージを作る社会マーケティングと共通するところがある。その場合、きれいにお題目を並べるのではない、本気で関心を示すような、自ら主体的に参加する態度が必要。

 これはジャーナリズムにおいて、客観公正中立という通常の立場を捨てて、あえてその対象に自ら入り込んで、その一部となることで何かをつかむ、ハンター・トンプソンの編み出したゴンゾー・ジャーナリズムの手法と共通している。入り込むことでジャーナリズムは声を得たし、またネットのマーケティングも、社会的な課題に積極的に入り込むことでパワーを持てる。

6. ミクロメディアからミクロ市場へ

 大企業のウェブサイトは、みんなマスメディア的な考え方で作るから失敗する。社員に好きなテーマで勝手にウェブページを作らせて、それにお金を出すほうがネット上の顧客を勝ち取るには有効。

7. ゴンゾーモデル

 実際のやりかたの具体例。社員に好き勝手なウェブページを作る許可を与え、それにスポンサーとしてつく。その内容については、会社は介入してはならない。

8. 世界のチャンピオン

 以上の形で、従来とはちがうマーケティングができる。それは分離してしまった企業利益と文化と社会的関心を、対話を通じて再び結び会わせるものである。


4. 本書の意義と評価

 インターネットは基本的に対話の場であり、そこで広告であれなんであれ、一方的な情報発信をやってそれを押しつけようとしても、人は逃げるだけだ、という著者の洞察は正しい。では、細分化されてミクロ化した「市場」に対してどうマーケティングを行うか? 著者は、社員に好き勝手にやらせて、そこから手がかりを作ればいい、と主張する。そしてその声に罵倒や「不適切」な用語が入っていても気にすべきではなく、そういうのがあるからこそ、その声が本物だとみんなにわかるのだ、という。

 果たしてこの好き勝手な情報発信が本当に機能するかどうかについては、必ずしも明確な論証が行われているわけではない。また、よく考えると議論がつながっていないところもある。また、マスメディアの崩壊とネットワーク系テレビの機能低下といった本書での指摘は、日本でどこまで適用されるかは疑問ではある。このため本書は、むしろ仮説提案の書として考えるべきかもしれない。

 また既存のマーケティング書の批判(パーミッションマーケティングなど)もおもしろい。

 ただし本書に価値を与えているのは、何よりもその文体である。哲学書、コトラーのマーケティング教科書、ロックの歌詞など、ありとあらゆるところからの引用をまじえつつ、罵倒語と大げさな言い回しを縦横に使い回した文体は、マーケティングの本としては異例。そしてまた、この文体こそかれが本書で主張しているゴンゾー・マーケティングの一つの実践でもある。ミクロ市場に声を届かせるためには、大多数の人々が顔をしかめるようなことでもためらってはならない、対象読者がおもしろがることこそが優先されるべき、という考え方の現れともなっている。内容的に一部重複があったりするものの、この文体のおかげであまりだれずに読み進められるようになっている。

 こうした文体や題材は、アメリカの現代文化にきわめて偏っていて、このため日本人には必ずしも理解しやすくはない部分も多々ある。このため、翻訳においては、著者の持ち味を殺さないような、勢いのある翻訳が必須となる。

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