(『CUT』1992 年 8 月)
山形浩生
その昔、アメリカの思想雑誌みたいなものが、日本特集をやるから紹介すべきおもしれーもの書きがいたら教えてくれ、というんでぼくが持っていったのが、橋本治と金塚貞文。もちろん、橋本治のあの語り口を英語にできるやつがいるとはイマイチ思っていなかったから、本命は金塚貞文の「オナニズムの仕掛け」だった。
そう、この本はオナニーの本であり、金塚貞文はオナニー研究者である。つい最近出た、同じシリーズの「オナニスト宣言」でも、空撃ち人生の決意表明をしている。
ただこれは、最近チト元気のない小田嶋隆が「おれの生涯最高の女は、この右手だぁ!」と某所でわめいていたようなかわいい話ではない。ことが単にせんずりであれば、はばかりながらこのぼくだって、すでに十五年のキャリアを誇って(恥じて)いるわけだが、この人がここで誇らしげに宣言している「オナニスト」というのは、そういうもんじゃないのだ。ホントなら本物の男/女を調達してヤりたいんだけれど、たまたま手持ちがないからオナニーで我慢しておこう、というのが一般のオナニー観である。いわば代用品としてのオナニー。でも、この人にかかると、これがひっくり返る。オナニーこそが真に普遍的なものであり、通常考えられている本物の人間相手のセックスは、実は現代の資本主義のシステムの中でオナニーの一種にすぎないことになってしまう。
もてない男の『すっぱいブドウ』に聞こえないこともない。たぶん、発端はそんなところだったんだろう。が、金塚貞文は、その負け惜しみを深堀りした。オナニーは、一種の情報処理作業である。そそる「情報」を見聞して、その情報でできた妄想世界に没入するわけだ。セックスも、相手のからだからその情報を引き出して行っているオナニーなのだ。ここで重要なのは情報のほうであり、相手の肉体そのものはそのきっかけにすぎない。したがってオナニーこそが情報化社会における先進的なセックス形態なのだぁっ!
これだけなら、みんな安心して精進にはげめるんだけど、彼の議論はさらに進む。資本主義における商品というのは、その(からだから切り離された)性的な情報を利用することで消費者を誘惑し続けているのだ。だから、オナニーは資本主義の商品経済システムの中に深く組み込まれた行為なのである! ここまでくると、こっちとしてはオナニーをすべきなのか、控えたほうがいいのかわからなくなって、手の細やかな動きもつい滞ってしまう。しかし、これまであの人目をはばかる行為の手を止めさせるだけのパワーを持った本がかつてあっただろうか(速めるパワーを持つ本はいろいろあったけど)。金塚貞文は、あとがきで「これまでの著書は哲学界に何の影響も及ぼさなかった」と残念そうに書いているけれど、いいじゃん、そんなくだらない世界は放っておけば。彼の著書は、日本オナニー界の一部にたいして絶大な影響力を持っていた。ぼくは自信を(そして自身を)持ってそう断言できる。
「オナニスト宣言」はこの金塚貞文のオナニズム三部作の完結編であり、ここではさらにむちゃくちゃな話が展開されている。「性欲」というのは実は本能でもなんでもなく、結婚が機能しなくなってきたので社会がデッチあげた人間関係維持装置なんだという。しかし、商品経済が性的情報を利用する中で、AVやポルノやその他もろもろの商品があふれ、人間を相手にする必要がなくなった。結果としてオナニーが浸透し、性欲が本来は保証するはずだった種の再生産が危うくなる。このために社会は、試験管ベビーによる再生産システムの確立を目指すのである! そして一方で、人はオナニーを続けるうちに、しょせんはそれが自分で奮い立たせて自分で果てるつまらん労働であることに気がつく(かもしれない)。その時、この「性欲」を前提とした文明から人間は目覚め、だれも知らない新しい世界が生まれる(かもしれない)!
オナニーから文明世界の終焉へ! おやあんた、笑ってるね。いや、ホント別にいいんだけど、まあ漫談だと思ってこの恥ずかしい題名の本を読んでみるといい。金塚貞文の文章は、その異常でラディカルな内容とは裏腹に、信じられないほどわかりやすい。この人の話はいつも、すごく具体的で下世話なところで始まって、そして終わる。雑誌のグラビアに娘に鼻の下をのばしたり、ビデオ屋のアダルトコーナーをうろつくわれわれから出発して、オナニー直後の、あるいはセックス直後の惚けたような、それでいて拍子抜けしたような感覚の中で一瞬頭を横切る「それにしても何だってオレはこんなことをやってるのかしら」という疑問を軸に、広告やらフランス書院の小説やらが楽しげに論じられ、そしていつのまにかあんたも、このオナニー世界を認めざるを得なくなってしまうのよ。だって、これでいろんなことが気持ち悪いくらい明快に説明できてしまうんですもの。
いやぁ、金塚センセイ、おかげでわたし、オナニーに自信が持てるようになりました。こうして気持ちよく抜くたびに、この資本主義世界は一歩(というか一本)終焉に近づくわけですね。手にも力がこもると言うもんです。まるで REM ではないですか。It's the end of the World as we know it (and I feel fine ピュピュッ!) もっとも、同じことなら、まだわたくし未熟者故、できれば相手が欲しい気はしますけど。さあ、世界のオナニストよ、団結せよ(しないように)! はやいとここいつをカキあげちまおうぜ!
冒頭の雑誌の編集者は、「機能不全セックス」という文で高度資本主義社会でのセックスの変化を綴った人だ。だから、必ずやこの金塚貞文には関心を示すはずだった。この読みは正しかったのだけれど、その後トラブって、編集者が AIDS になったというまことしやかなウソが伝わってきたりして、金塚貞文の売り出し計画も宙に浮いてしまった。
あれからもう数年、問題の雑誌の日本特集は一向に形になる気配もない。ぼくの「オナニズムの仕掛け」はまだあの日本語なんか少しも読めない編集者の手元にあるはずだ。AIDSはもうなおっただろうか。こんど、この「オナニスト宣言」も送ってやろう。資本主義の急先鋒日本は、ついに自分にふさわしい新しい思考をこすり出しましたよ。
「オナニスト宣言:性的欲望なんかいらない!」金塚貞文、青弓社
CUT 1991-1992 Index YAMAGATA
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