中央公論 2002/01号。 時評 2001 第 1 段

テロについて、知りたい情報が入手できないわけ

(『中央公論2002 年 1 月号 第 117 年第 1 号

山形浩生



 原理的な話はいつだってとても楽しい。なんとかイズムがどうしたとか、かんとか主義が云々とか。こういう話をしていると、チマチマした具体的な現象の話をしている人たちを見下した気分になれて最高だ。それに自分があたかもお釈迦さんやマルクスとタメ口気分になれるのも、自尊心がくすぐられて嬉しいよね。さらに細かい事実の積み上げや検証なんか一気にすっとばして、おおざっぱな話とうんちく合戦だけで市が栄えるのも吉。

 いま時評をするとなると、まあテロとその便乗爆撃ネタには触れざるを得ない状況ではあるんだけれど、多くの人の議論は、そういう大くくりで必然的に粗雑なイズム談義に終始している。ぼくはげんなりしている。

 一つには、ぼくがリアルタイムでこのテロの一件を見ていないせいもあるんだろう。ぼくはアフリカ南部をうろうろしていて、九月末までこの事件があったことさえ知らなかったのだ。だから、ビル突っ込み・倒壊映像を死ぬほど見せられて、さんざん煽りをかけられた多くの人たちとは感覚がちがうんじゃないか、とは思う。世の多くの人は、ぼくよりもっと切迫感があるのかもしれない。そしてその切迫感が、いまのイズム談義大爆発につながっているのかもしれない。が、それにしてもである。

 もちろん、粗雑で大くくりな話しかできない、というのも事実ではある。だって、情報が全然ないのだもの。先進国と呼ばれるところにいる限り、ほとんど二四時間連続で報道が行われている。でも、まともに意味のある情報はまったくない。同じネタが一日百回くらい使い回されるだけで、しかもその中身っていうのは、ほとんどの人は聞いたこともないアフガニスタンの地名があれこれ挙がり、爆弾の種類だの部隊装備だの、どうでもいい細かい話が垂れ流されるだけ。占領した街では北部同盟は解放者として歓迎され、街に歌が流れて女も顔を出して街を歩き云々、なんてのがいっぱしの「報道」ヅラをしていて、圧制者が駆逐されて人々は喜んでいます、アメリカの正義は証明されたとかいうバカなニュースがたったいまも流れている。やれやれ。そりゃこの時期に外を歩く人はそういう連中ばっかだろうよ。それにちょっとでも親タリバン的なことを口走ったら、すぐに爆弾落とされかねないもん。盛大にゴマするしかないでしょ。五十年前の日本だってそうだった。マッカーサー万歳、ぎんみーちょこれーと、てなもんである。

 そして些末な話の一方ではテロリズムと戦うとかグローバリズムがどうしたとかいう、雲の上のでかい話。でもその間のところはすっぽり抜けている。そもそもだね、あのビル特攻は、本当にアルカイダがやったの? 本当にビン・ラディンが首謀者なの? この程度のことですら、決定的な証拠は(少なくともぼくたち下々の者には)未だに示されていない。いつの間にかそういうことになっているだけ。旗を見せた純ちゃんは、何かきちんとした証拠を見せてもらえているのかな? そして、そういう情報のないところで何か意見を求められて、「わからない」という一言が言えない人だと、当然ながら粗雑なイズム論しかできないわな。

 まあイズム論はそれなりに楽しいし、暇つぶしにはなる。ただ、それが実際の政策とか戦術の話に持ち込まれるとそれはたいがい役に立たないばかりか、話を硬直させて有害きわまりない。なぜかというと、各種イズムは結果であって、原因ではないことが多いからだ。多くの人は、なにかイズムや主義からいろんな行動や現象が派生するものだと思っている。でも実際は逆だ。イズムっていうのは、むしろ整理概念で、考え方の傾向を示すものでしかない。本当に重要なのは、いまぼくたちに与えられていない、その中間部分の情報なんだ。じゃあ、それをどうやって入手すればいいだろうか?

 ぼくも知らない。が。

 アメリカもおそらくは、大したことはわかっていないだろう、ということは知っている。というのも、一九九九年に出た、アメリカの諜報活動の改革提案というのがあって、そこで指摘されている各種の問題というのが、およそすべて今回のテロに関連した話になっているからだ。

 この提案をしたのは、もとCIAのロバート・スティールという人物なんだけれど、いまの諜報活動の問題点を如実に表す事例として彼が挙げるのが、一九九八年のパキスタンとインドの核実験だ。アメリカの諜報機関は、これを事前にまったく予測できなかったという。「合理的に考えれば、国際社会の反発もあるし、核実験なんかするわけがない」というのがアメリカの諜報コミュニティの見解だったそうな。パキスタンもインドも、アメリカ的な意味で合理的に考えたりはしていない。かれらも不合理に動いているわけではないのだろうけれど、その中身が欧米とはちがっている。それがアメリカのアナリストたちにはわからなかった。

 さらにもう一つ。アナリストたちが、核実験なんかあり得ないと言っているまさにその時に、現地の新聞には一ヶ月以上前から「そこで核実験やるからどけ」という広告がでかでかと掲載され続けていた。現地語ができる人――そして現地の人の考え方や習慣を知っている人――にとって、核実験があるなんていうのは、水道工事のお知らせなみの公開常識情報でしかなかった。各国にエージェントを配して、大金を使って秘密情報を集めても、それはそこらの公開情報に勝てないようなものでしかなかった。そしてもう一つ問題は、その公開情報を現地の諜報員たちはまったく把握できなかった。「スパイは秘密情報にはまあ強い。でもそれがスパイの最大の欠点で、連中は秘密ばかりありがたがって公開情報を軽視する。ところが、いまの世の中、重要な情報の九割は公開情報だ」とスティールは言う。多くの情報員は、大学出たてでろくに現地語も現地の習慣もわからないまま対象国に出向いては、すさまじいお金をばらまいて、本当かどうかチェックもできない「秘密」情報をひたすら集めて悦に入り、それを「機密情報」として誰にも見せないことで自分の地位温存を図り、だから結局だれもその情報を使えないまま腐るだけ。でもそれじゃダメだ、というのがスティールの議論だった。そして、かれがアメリカの情報収集力や把握力がいちばん弱い場所として名指しで挙げているのが、中東と中央アジアのムスリム地域なんだな、これが。

 さらにかれが批判しているのが、いまの諜報があまりに技術偏重だということ。電話盗聴、メール傍受、エシュロン、衛星写真――今回のテロの事後対応でも、こうした技術的な対応の話はいっぱい出てきた。でもその報告で指摘されているのは、不足しているのがそういう技術的な収集能力じゃない、ということだ。中央アジアはそもそも大した技術が使われていないから、高度な技術的情報収集でできることはたかがしれているのだ。それにアメリカには確かに解像度 30 センチとか 10 センチとかの衛星はあって、地上のグレープフルーツ一個が識別できる。でも、そのグレープフルーツが写真の中でどこにあるかを見つけられない! 問題は収集技術ではなく、集まったデータをどう抽出し、どう解析するかという分析技術、そしてデータをその当該国の文脈の中に位置づける人間情報こそが不足しているんだ、ということ。

 そして、脅威も変わっているのだからそれをふまえた改革をしなきゃならない、というのがかれの主張の前提だった。これまでは冷戦構造のもとでソ連を筆頭に国を見ていればよかった。でも、いまはちがう。ソ連が消えて、ロシアは一不穏要因に後退した一方で、テロ組織、麻薬組織、宗教団体といった、国家とは関係ない脅威が台頭してきた。なのに、アメリカは相変わらず国家を前提にした対応しか想定していない、とのこと。

 さて、いまアメリカがやっていることを見てやろう。今回のテロは、まさに非国家的な脅威によるものだった。後付では捜査してすぐに情報も出てきたし、「アルカイダの暗号メールが読めなくて事前察知が不可能だった」ということもまったくないようだ。つまり情報収集はできていたけれど、分析はできていなかった、ということ。そして、アメリカは非国家的な脅威に対して、無理矢理アフガニスタンという国をやり玉にあげて、国家的な対応をしているわけ。

 アメリカは今回の事後対応として、諜報能力の改革を挙げていて、それはある意味でスティールの問題意識に応えるものになっている。人間情報を強調、そしてイスラム圏を中心にした現地情報の重視。ちなみに、イギリスの諜報部(あの 007 の職場だ)もいま、ウルドゥー語などのできるスパイを急募中。でも、それは逆にいまのアメリカ(そしてイギリス)の情報収集/処理能力不足を告白しているに等しいのね。いまのかれらのオペレーションは、どんな情報に基づいて行われているんだろう。かなり心許ない。そして一方では、スティールの提案とは逆にむしろ盗聴や傍受や押収をしやすくするような方向の話や、さらに機密性を増すような方向性も提案されている状況だ。

 非国家的な脅威に国家的な対応をするのは今回はとりあえずなんとか押し切れたようだ。でも、アフガン爆撃でさえ、多くの人はあまりに強引すぎると感じているだろう。理屈もすべて後付の観が強い。メディア操作もあまりに露骨だ。短期的にはいいけれど、この先十年を考えたとき、これで本当におし通せるのか? さらに次回(ああ、次回は必ずある。一部ではサウジアラビアを危ぶむ声が挙がっている)は? そしてアメリカですらこういう状況なら、日本がどれだけお寒いかは、考えたくもないくらいだ。外務省はアメリカの意図すら満足に理解できなかったのは、旗見せ騒動が示す通り。

 本当は、テロだの炭疽菌だのの扇動めいたデマよりも、こういうまともな情報がとれない事態のほうが、日本にとってよっぽど重要だとは思うし、またそれを改善する方法だってないわけじゃないんだと思う。が、何せ時間がかかる。それまでとりあえず、ぼくたちはイズム話をして深刻そうな顔をするくらいしかやることがないのかも。それができるということ自体が、一方ではいまの日本の平和さを示すものではあるのだけれど。



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