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alc2011年07月号
マガジンアルク 2011/07

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 65 回

お笑い異文化理解/誤解

月刊『アルコムワールド』 2011/07号

要約:みんな、異文化には勝手な思い入れを描いて、なんだかつまらないことに過大な読み取りをしているのは、なかなか楽しいものであることよ。


 異文化間の誤解というのはむろん避けがたいものではある。昔読んだ、ある三文SF小説は、アメリカの超能力スパイが共産主義中国に潜入するお話だった。スパイは中国の老人に変身し、宿にチェックイン時にハンコを押すのだ。そこにはこんな説明がついていた。

 「説明しよう! 中国の連中はみんな、こういう自分の名前のスタンプを持っているのだ。なぜかというと、中国のアルファベットは何万文字もあって、とても覚えきれない。だから多くの人は文が読めず、また自分の名前も書けない。このため自分の名前を忘れないようスタンプにして持ち歩かなくてはならないのだ!」

 おおおおお!! ハンコとはそういうものだったのか! むろん当時大学生だったぼくは、これを読んで笑い転げたものだ。

 むろん、この手の映画や小説はいくらもあって、各種ゲイシャや、ニンジャに対する最近のものすごい誤解ぶりは実に楽しい。なんだかさぁ、いまやあちこちにニンジャ道場があって、忍術を教えてるんだよ? それでモダンニンジャは銃弾をはたきおとせるとか、真剣白刃取りが本当にできるとか、ホントいいのかよ、と思えるような誇大宣伝を平気でしていて、だんだん笑いがひきつってくる面もあるのだけれど……

 むろんその程度なら笑い話ですむし、向こうも半分はジョークの面もあるだろう。でも個別のレベルで、細かい誤解はたくさんある。それも完全な善意と敬意の産物として。かつて東京大学の学長も務めたフランス文学研究者で蓮実重彦が、『反=日本語論』で紹介しているエピソードがある。うろおぼえだが、映画マニアとしても知られる蓮実はフランス留学中に、8ミリ映画上映のスクリーン用として、下宿の壁に白い紙を貼っていたのだという。で、あるとき部屋に遊びに来た友人と談笑しているうちに、その人がふとその壁の白い紙に目をとめると、いきなり神妙な顔つきになって、ずいぶんもごもごした口調で言い出したのは……

 「いやもし無礼でなければ、あの壁に貼ってある白い紙が表象するものは何なのか、教えてもらえないだろうか。あれは日本的な『無』や『空』の概念をあらわすものなのか云々……」

 蓮実重彦は、ことばに詰まったそうな。

 実はぼくも最近この手の話があった。東京のレインボーブリッジで、お台場から本土に渡ってくると、大きなループを描くのだけれど、そこにビル管理会社のヨコソーの物件があるのだ。それは斜めに切り取られたようなとても特徴的な形をしたビルで、てっぺんにヨコソーの社名がローマ字で入っている。

 で、外国人の友人を東京案内して、レインボーブリッジを渡りながら他愛のない話をしていると、そいつが突然神妙な顔になり、「日本人はすばらしい、人をもてなす気持ちを常に欠かさず云々」と言い始めた。はぁ? 何の話ですの?

 「だっておまえ、あんなビルのてっぺんにまで『ヨーコソ!』と書いて、橋を渡ってくる人を歓迎しようとしているじゃないか!」

 ……ヨーコソって YOKOSO ……あのー、それはヨコソーですから……

 一瞬ぼくもとまどって、訂正しようと口を開いたところで、思いとどまった。だって、なんかいい話じゃない? これはこのまま誤解させておいたほうがお互いのためではないか。

 こういう誤解は、無知によるものじゃない。相手は、日本文化をいっしょうけんめい理解しようとして、その文化やことばをがんばって学習してくれている。でもその思い入れの深さが逆に誤解を誘発している。だからむげに笑い飛ばすのも申し訳ない。

 ぼくもいろんな国で、一応その国の文化に敬意を払おうとしてあれこれ努力はしているんだが、たぶん似たような滑稽な誤解をあちこちでやらかしているのだろうなあとは思う。願わくば、それがこんな笑い話ですむレベルだといいのだけれど……



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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