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alc2011年08月号
マガジンアルク 2011/08

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 66 回

人々に必要な通過儀礼とは

月刊『アルコムワールド』 2011/09号

要約:子供のうちに、いろいろ危ない体験もして各種のことを身をもって知っておくほうがいい。同じく、ティーン時代にやっておくべき失敗や思想的な通過儀礼もあるはずだが、それをどう導入するかは難題。


 最近、オライリー出版が『子どもが体験するべき50の危険なこと』という本を出して、結構評判がよいようだ。

 たぶんタイトルを見ただけで、中身の予想はつくだろう。著者たちは、わずかな事故の可能性を恐れて子供(そしてぼくたち自身)のまわりからあらゆる危険を遠ざけようとする、最近の風潮を強く憂う。アメリカの一部では、危ないからといって子供がでんぐりがえしをするのさえ禁止しているのだとか。

 子供に積極的に危険なことをさせるべきだ、と著者たちは主張する。ちゃんばらもすべきだし、虫眼鏡で火をつけるのもやるべきだし、高いところから飛び降りたりするべきだという。危険なことでも、ちゃんと監督してやれば、けがせず安全にできる。ただし、けがをする可能性があることはきちんと教えて、それを避ける方法も教えることで、リスクを取ることを覚えさせる。それが教育ということだろう、と。

 読者のみなさんの99パーセントは、ここに書いたことを当然だと思うだろう。そして、著者たちが何を懸念しているかも、非常によくわかるはずだ。

 こうしたものは、本来であれば学校と家庭と社会の中で子どもたちが自然に身につけるはずのことだ。ぼくはいまカンボジアでこれを書いているけれど、乞食の子から物売りの子、一般の中高生まで、それなりにこうしたものを身につけているのが見える。むろん、ここらの超大金持ちのご子弟はちがうかもしれないけれど。

 もちろん本にするという制約上、全体になまぬるいとは思う。コンセントにフォーク突っ込んで感電してみようとか、いじめるのといじめらるのを両方経験しようとか、昆虫やカエルを虐待してみようとか、そういうのは当然載っていないし、マッチで遊んでいるうちにタオルに火がついて焦ってみよう、なんてのもない。でも、ぼくはそういうのも人生体験としては必須だと思っている。そのときの、血の気がひくような恐怖や、自分は本当にヤバイ(悪い意味だよ)ことをしてしまったという感覚を知っておかないと、その後の人生で致命的なまちがいを避けられないという気がするのだ。

 それは、子供時代だけじゃない。いまぼくが考えているのは、各年代ごとに確実にすませるべき通過儀礼の一覧だ。中学時代には絶対に、好きな子に告白して見事ふられようとか、徹夜をしよう、自分が世界を救う戦士に選ばれたりはしないと悟ろう、なんてのがある。

 高校くらいでは、一度でいいから接客業のバイトをしよう、社会正義に目覚めよう、世界を操るロスチャイルド等の陰謀論に染まろう、そしていずれ陰謀論から目を覚まそう、といった話があるんじゃないか。

 さらに大学くらいに入ると、どこかで社会主義にかぶれてみようとか、一方でサークル運営などを通じて独裁制の強みと民主主義の限界を知ろう、なんてのが必須科目になる。

 カンボジア人たちは、この最後の部分については親の代で実地に体験していて、その子どもたちもある程度実感として知っている。それはたぶん今後、社会としての強みになる、とぼくは思う。

 そして一方で、ここに挙げたようなことについての実感がないために、いまの日本の各種トラブルが起きていると思うのだ。多くの隠蔽やごまかしを見ても、自分の立場が苦しくなったり面倒が増えたりしてもこれだけはやっちゃいけない、これ以上は本当に危険になるといったことを、つい無視してしまった人々が多いのが、いまの原発事故につながっている。

 やけどについて報告書をいくら読んでもダメだけど、一回やけどをすれば、人は確実に注意するようになる。あらゆる段階で、軽いやけどをみんなが負っておくことが、本当に重要な学習のはずなんだけれど、はて、それをどう実現したものか。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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