Valid XHTML 1.0! リーマンの、リーマンによる、リーマン(あるいはその予備軍)のための教養講座 連載第 2 回

会社ってなーんだ:その1

(『Z-Kan』2000 年 秋 2 号)Z-Kan 2号

山形浩生



 というわけで、きみはめでたくリーマンになった(なることになった)わけだ。いや、おぼえていないかもしれないけれど、前回の連載の第一回目でそういうことになったのである。おめでとう。

 さて、リーマンになるのであれば、自分がだれのためにどういう目的で働いているのかを知っておこう。ついでに会社ってもの自体についてもいろいろ考えておこう、ということになる。これが今回のテーマだ。

 会社の基本は、商売することだ。ぼくがこうして頼まれて、いろいろ本を買って調べものをしたりして、コストとを使いながら文章を書いて、お金を受け取る。コストともらったものの差額が儲けだ。その儲けで喰っていけるようなら、この商売はずっと続く。儲けが出ないようなら、いずれ立ちゆかなくなる。それだけの話。各人が個人としてこの「それだけの話」をやっていれば世の中はまわるはずだ。それなのに、なぜ会社なんてものがあるのか?

 考えてみると、いまの学校の教育システムでは、この話を一回もしないのだよな。小学校の頃にはみんな教育テレビの「働くおじさん」(いまはもう「おじさん」だけではないはずだけれど、ぼくの当時はこういう題名だった)なんかを見て、いろんな「仕事」というのは勉強する。でも「会社」というものの仕組みを教わることは一度もない。大学で、商学部とかにいくと、多少はそういう講義を受ける機会もあるのかもしれないけれど、それだってたいがいは企業とか会社とかいうものがあることを前提にしていきなり話をはじめることが多い。だからまあほとんどの人は、そんなのは知らないまま教育を終える。んでもって、いきなり就職活動に入るわけだけれど、そういう子たちは、自分が就職することがあまりに当然だと思っているので、そもそも会社ってのがなんのためにあるのかを考えない。

 ぼくはこれではよくないと思うのだ。企業のなんたるかもわからずに、株式会社の仕組みもわからずに、みんながオンライン株取引なんかに手をだすのは不健全ではないの。一方では「日本の経済発展のためには起業家を育てないと」みたいな話は政府なんかもするんだけれど、そういうことを言うのなら、どっかでこの会社ってやつについてまともな説明をしといたほうがいいと思うぞ。利潤を出すってことについて、どういう意味があるのか理解させたほうがいい。さらに一時、「よき社会市民としての企業」とか「企業の目的は社会への貢献」とかいうお題目がふりまわされていたんだけれど、これを変に誤解しないようにしないとダメでしょう。一方で、企業は利潤しか追求しないごうつくばりの反社会的存在だといわんばかりでなにかというとすぐに「大企業対市民」なんてお題目をすぐにふりまわしたがる「市民団体」とか左翼っぽい人たちなんかにも踊らされないようにする必要がある。ぼくがこれから書くようなことは、ホントは中学くらいで教えといてほしいことなのだ。

 さて、会社なんかなくてもみんなが自分一人で仕事をすればいいじゃないか。自分一人でできない部分は、ほかの個人を見つけて外注すればよいではないか。そしてそういう個人がいっぱい集まれば、会社なんかいらないじゃないか。それなのになぜ会社があるんだろうか。

 大がかりに人を集めるためには会社がいる、という説明がされることもある。会社というのはでかい分業のシステムではある。そしてみんなが自分の活動に特化することで効率があがる。だから会社というものがあるんだ、という説明だ。確かに一理ある。でもそれだけでは説明にはならない。会社がなくてもこういう烏合の衆方式で行われている生産活動というのは存在する。それは、フリーソフトウェアとかオープンソース・ソフトウェアと呼ばれているものだ。インターネット上で、だれかが「こんなソフトウェアつくっちゃった」と公開すると、それを世界中の人が見て、ここをこうしようとか、ああしたら、とか言い合って作業をして、そして市販製品を越えるソフトをあっさり作ってしまうという動きだ。Linuxなんていう名前をきいたことがあるかな。これについてはいずれ詳しく述べるけれど、そういう生産方式も可能ではある、ということは覚えて置いてほしい。

 ただしそこで出てくるのが、どうやってその人たちを組織しようか、という話。フリーソフトウェアの人たちは、みんな趣味でやっている。趣味でプログラミングする人はいるから、これは成立する。趣味で文章を書いたりする人もいる。でも、掃除や洗濯が趣味、という人はいるけれど、そういう人だって他人の部屋の掃除や洗濯はしないだろう。趣味で帳簿をつける人なんて、さすがにいない。そういう仕事をやってくれる人を集めるには、確かにそれを組織するための仕組みというのが必要だ。いやな仕事は、お金を払うからやってね、という方式が必要だろう。会社というのは、そういう人を組織するための仕組みとして有効であることは事実だ。

 さらにこのオープンソースとかフリーソフト、というものがインターネットの登場ではじめて大規模に成立した、ということも考えなきゃならない。一つのものをたくさんの人の力で作る場合には、仕事の割り振りからできたものの管理から、相互のコミュニケーションがすごく大事になってくる。インターネットみたいな優れたツールがない状況では、これはむずかしかった。電話は電報はあったけれど、伝えられる情報は限られている。これまで(いやいまでも)いちばん効率のよいやりかたは、一ヶ所に人を集めて、密にコミュニケーションをさせながら分業を行うことなわけ。だからこそ、これは生産方式としてとっても効率がよい。みんなを出勤させて一ヶ所に集めて働かせる会社という方式は、こういう効率よいコミュニケーションを成立させるための手段でもある。

 でも、これだけでは会社をつくる理由にはならない。うまく個人間で話をつければ、会社ってものがなくても上記のようなことはできそうな気がする。むずかしいかもしれないけれど、不可能ではないだろう。

 会社というものが存在する理由でいちばん大きいのは、責任範囲ということだ。いまの会社の多くは「有限会社」ということだ。有限というのは、その会社の責任範囲(というのはつまりお金を支払う責任の範囲だと思って欲しい)が有限だ、ということ。

 会社が何かをするときには、機械を買ったり見込みで人を雇ったりするから、お金がいる。そのお金は借金で調達してくることが多い。でも、ある程度の規模のお金になると、そこらの個人の融資限度額ではとても借りられないものになってくる。さっきのフリーソフトウェアやオープンソースだと、みんなプログラミングするだけだからそんなおっきな機械はいらない。みんな手持ちのパソコンを使えばいい。だからそんな融資だのなんだのは必要ないのだ。でもほかのほとんどの業種ではそうはいかない。

 個人側だって、下手に巨額の借金をして、商売が失敗したときに一人でそれを全額返せと言われても困るのだ。あるいはいまちょうど雪印が衛生管理の悪い製品を出荷して大問題になっている。これに対して巨額の損害賠償請求がきたらどうしようか。絶対に一人では払いきれないだろう。ちなみにソフトウェアというのは、不良品を出荷しても平気でいられる数少ない製品だ。エクセルにバグがあったので全品回収、ビル・ゲイツは引責辞任、なんてことは起きない。なぜ起きないのか考えてみると不思議なんだけれど、でも起きない。さっきのフリーソフトウェアでもオープンソースでも、それが可能な原因の一つは、製品がソフトウェアだからできたものがまずくてもだれも責任をとる必要がないということがある。趣味で責任をとって賠償金を払ってくれる人なんて、絶対にいないのね。訴えられちゃったからLinuxの開発に参加していた人たちみんな1000円ずつ出し合いましょう、なんてことも不可能だ。

 だから、ただの個人の集まりだと、お金を集めるのがむずかしくてなかなか事業を拡大できない。深いポケットを持ったお金持ちの個人が中心にならないと、何もできないことになる。有限責任会社というものが考案される前というのは、まさにこういう状態だったわけだ。そして古い、ロンドンの老舗保険会社のロイズなんかは、いまも無限責任ベースで運営されている。これはよく考えるとこわい。借金なら、まだいくら返せばいいか見当はつく。でも損害賠償とかだと、いくら請求されるやらわかりゃしない。こわくて事業を派手に拡大することができなくなってしまう。

 そういうことにならないように、事業としての活動と、個人としての活動をきちんと仕分けする仕組みが必要になる。事業としてはこれだけの資産(機械や土地)を持って、これだけの範囲内で仕事をします。そしてなにかあったら、これだけの範囲内から返済なり弁償なりをして責任をとります、というのがきちんと決めてあったほうがいい。

 これはあくまでたてまえ上ね。銀行がお金を貸すときには、特に中小企業相手だと、社長の個人資産まで担保に入れさせたりすることも多い。だけれど、理屈の上では、こうしておくことで働く人は、自分が路頭に迷うんじゃないかという心配はあまりせずに、事業に専念できる。なにかあったら、最悪の場合でも会社をたたんで、その資産を売り払って、それをたたきつければおしまいだ、というのがわかるので、ちょっと冒険もできる(あまり冒険ばかりされると困るのだけれど。この話はまたいずれ)。たとえば有名なアマゾン・コム社長のジェフ・ベゾスは、アマゾン・コムの立ち上げ時期に、自分の貯金のなかからアマゾン・コムに融資する、という変わったことをしているんだけれど、これも個人と事業の分離、というのがあればこそ可能になったことだ。

 さて、いままでの話は、実際に商売している人が会社を所有していることを前提としていた。小さな会社はいまでもだいたいそうだ。いわゆるオーナー社長というやつ。でも、だんだん規模が拡大すると、実際には商売にタッチしていないオーナーが出てくる。  てなことで、ここから先は株式会社の話になってくるんだが、紙幅がつきた。この話はまた次回以降に。でわ。

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