『ワイアード』のロゴ

山形道場 in ワイアード題字: 瀧本広子

 帰国してから、創刊1周年記念パーティーではじめて小林編集長と一瞬会ったのかな? いや、なんか変だな。でもとにかくなんかのパーティーだった。その時に二次会に流れた人が、「『ワイアード』はもう1万部きってて先がないんです。もうダメですね」というガセネタを断言していて、ああそうなのかぁ、残念だなーと思ったら、しばらくして連載しないかという話がきたんだ。

 もともと、翻訳やちまちましたレビューだけじゃなくてもっとまとまった話を書け、というのは言われてたんだ。それで、フリーソフトの話を書きたい、リーヌス・トーヴァルズとリチャード・ストールマンと、クヌースとニクラウス・ワース(正しくはヴィルトだ、とハッカー諸子に怒られた。すいません)あたりにインタビューかけて云々、という話を出したんだけれど、これは受け入れてもらえなかったみたい(後にかなり希望に近い形で、hotWIRED でやらしてもらえた)。だから連載の話がきたときも、じゃあそろそろ潮時だろうとは思った。

 それに、すでにご承知のとおり、ぼくが連載をもった雑誌は、『CUT』という希有な例外を除いてはことごとく早晩廃刊の憂き目を見ることになっている。『シティロード』しかり、『WOMBAT』しかり。ついでに、単発で書く場合にも、最後っ屁でぼくに書かせる例ってのもあるんだよね。『03』とか『i-D』とか、週間朝日の書評とか。だから、上記のようなデマを聴かされていたこともあるし、ああこれはもう『ワイアード』も先がほんとにないんだなー、と思った。まあいいや。かえって気楽だ。それで当時は保土ヶ谷にあった会社のほうまで小林さんにご足労願って、うだうだ話して、じゃあまあ、一番安易にインターネットがらみの hype をボコボコにけなすってなことで如何でしょうか、というわけで連載開始になった。

 で、好き放題書きまくってるんだが……『ワイアード』は一向につぶれる気配がない。親会社はこけたけど、本国の親雑誌は身売りしたけど、こっちはぜんぜん変わってない。結構なことである。それと、この瀧本さんの題字と毎回イラストを描いてくれてる下谷ニ助! この人のって最高だぁ。ちゃんと中身読んで描いてくれていて、しかもシャープで、言うことナシ。

 ……と思っていたら、気配も何もあればこそ、突然雑誌ごとなくなることになってしまった。ほかの連載陣には、他誌で継続の打診がかかってるそうだけど、山形道場はその様子がない【注】ので、母艦『ワイアード』とともにうちどめ。お世話になりました。

 文中でまちがいがあったら、なるべくその後の号で訂正はしたいと思ってて、闇市場の話とかはちゃんとやったんだけど、通産省セキュリティなんとかについては、ご当人たちが「でたらめだ!」と怒ってるという話だけつたわってきて、具体的な話がきこえてこなかった。直接言ってくれればなんとかできたかもしれないのに。あと「近代を超える日本の思想」の回でいろんな人をほめつつ「でも二作目はみんなダメだ」と書いたら、金原克範が「おれは二作目は書いていない!」と編集部に抗議の電話をよこしたそうな。はいはい、だからあなたはダメの中には入ってないんですよ。いまのところ。黒木亭方面での評判はイマイチのようだけれど、ぼくは次回作、期待してますからね。その他まちがいや不当な扱いのあった方は、申し出ていただければ善処いたします。まあ万が一にも単行本になっちゃう(なーんてことはあるまいけど)ときに何とかするとか、別の文でふれるとか。

 さて、またしばらくは修行、じゃな。
 

 1.12号 (1995.12)   連載第 1 回 「電子コミュニティ」
 2.01号 (1996.01)   連載第 2 回 「ニューブリード」
 2.02号 (1996.02)   連載第 3 回 「?」(電子マネーかサイバー経済)
 2.03号 (1996.03)   連載第 4 回 「真の意味での電子通貨圏、および電子国家/コミュニティ成立の可能性についての試案」
 2.04号 (1996.04)   連載第 5 回 「ベンチャー支援」
 2.05号 (1996.05)   連載第 6 回 「情報投資と生産性」
 2.06号 (1996.06)   連載第 7 回 「セキュリティ」
 2.07号 (1996.07)   連載第 8 回 「いながらにして・・・part1」
 2.08号 (1996.08)   連載第 9 回 「いながらにして・・・part2」
 2.09号 (1996.09)   連載第 10 回 「情報リッチ/情報プア」
 2.10号 (1996.10)   連載第 11 回 「?」(通産省情報セキュリティかな?)
 2.11号 (1996.11)   連載第 12 回「?」(サイバー国防だったような気がする)
 2.12号 (1996.12)   連載第 13 回 「?」(イントラネットだが、2.08だった)
 3.01号 (1997.01)   連載第 14 回 「ブタに真珠、人にコンピュータ、サルに電脳」
 3.02号 (1997.02)   連載第 15 回 「?」(電子マネーは税金取られない、だと思う)
 3.03号 (1997.03)   連載第 16 回 「番外編:国際さらりまんの憂鬱」
 3.04号 (1997.04)   連載第 17 回 「権利」
 3.05号 (1997.05)   連載第 18 回 「教育にコンピュータを」
 3.06号 (1997.06)   連載第 19 回 「オフィスにパソコンを」
 3.07号 (1997.07)   連載第 20 回 「近代を超える日本の思想の可能性」
 3.08号 (1997.08)   連載第 21 回 「山形道場」
 3.09号 (1997.09)   連載第 22 回 「香港返還」
 3.10号 (1997.10)   連載第 23 回 「例の写真公開がどうしたとかいう話」
 3.11号 (1997.11)   連載第 24 回 「ネットワーク共産主義」(その1)
 3.12号 (1997.12)   連載第 25 回 「ネットワーク共産主義」(その2)
 4.01号 (1998.01)   連載第 26 回 「最語」
 4.02号 (1998.02)   連載第 27 回 「土地流動化とかの『自称』不況対策」
 4.03号 (1998.03)   連載第 28 回 「1997年」
 4.04号 (1998.04)   連載第 29 回 「一人称、二人称がない」
 4.05号 (1998.05)   連載第 30 回 「福田和也およびそれをXXとする・・・」
 4.06号 (1998.06)   連載第 31 回 「公的資金の投入」
 4.07号 (1998.07)   連載第 32 回 「オープンソース/フリーソフトをめぐる物言い」
 4.08号 (1998.08)   連載第 33 回 「アジア経済:宴の後」
 4.09号 (1998.09)   連載第 34 回 「セキュリティはコストあげるだけ」
 4.10号 (1998.10)   連載第 35 回 「ノウアスフィアの開墾」
 4.11号 (1998.11)   連載第 36 回/最終回「死ぬこと。」
 
 


【注】この理由にはいろいろ思い当たるふしがありすぎて書ききれないのだけれど、いちばんあたりさわりのない説というのが「山形は何を書くかさっぱり見当がつかないので、こわくて頼めない」というもの。これは H 書房の方がおっしゃっていたそうな。ふーん。あと、「本人がおっかないそうで頼みづらい」というもので、これはボストン時代に三上晴子とダベっていたら言われた。「えー、あたしんとこにくる人ってしょっちゅう山形君の連絡先きいてくよ。もう 10 人くらいに教えたかな」でもぼくのほうには一向に連絡がないのだった。「こわがられてるんじゃない? ガハハ」だって。

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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)