山形道場 by 山形浩生(#11-15)


連載第 10 回

今月の喝!「いながらにして……part1」

 だれか「いながらにして……」というやつの心理学的な根拠を教えてくれないだろうか。なぜ人は「いながらにしてXXできる」という話に魅力をおぼえるのだろうか。

 かつてカタログ通販は、「ご家庭にいながらにして何でも買える」をうたい、それを受けて店舗販売の終焉(あるいはそこまでいかなくても、大幅縮小)を予言した人々がいた。もちろんご承知のように、そんなことは起きなかった。店舗の立地や業態を変えたのは、もっと別の要因である。

 テレホンショッピングでもそうだし、最近のエレクトロニック・コマース(EC)の話でも、似たような議論はほうぼうで散見される。立場上だれとは言えないのだけれど、一方で「ECが流通に革命を起こす!」といいつつ、一方で通販が商業の主流ではないことを指摘されると「量的にはともかく質的には革命だ」と調子のいい言い逃れをする人を、ぼくは何人か知っている。そんな人が徘徊できる余地のあるほど「いながらにして買い物ができる」というアイデアは(提供する側にとって)魅力的なのだろうか。

 あるいはテレコミューティングや在宅勤務の話でもそうだ。「家にいながらにして仕事をする」というのが、一向に成果をあげていないにもかかわらず、なぜ10年1日のごとく議論として繰り返され、「今度こそは!」と復活するのか。

 ちょっと古い本だけれど、『テレコミューティングが都市を変える』で大西隆は、テレコミューティングがいかにメリットあるかを力説した挙げ句に、その実現のためには「企業経営者、政策担当者、そして勤労者の価値意識が(中略)生活の質的向上を重視する価値観に転換することが必要である」と述べる。先生(この人はぼくの大学時代の恩師ではあるのだ)、なんですかこりゃ。こんなだれもかれもが価値観変革をしなきゃ成立しないんなら、要するにこれって不可能ってことじゃないんですか?

 どうも価値とかメリットとかいう以前に「テレコミューティングはいいんだ!」「家にいながらにして仕事ができるのはいいんだ!」という前提があるように見受けられるのだ。なぜ? なぜ「いながらにして何でもできる」のがそんなに望ましいことなのか? 現実にそれが受け入れられていないという話はその通りなんだけれど、でもそれにもかかわらず、なぜみんなそれが受け入れられると思って同じ議論を繰り返し続けるのか? 現実からちょっと浮いたコンセプトレベルでは、なぜ「いながらにして」がかくも魅力的(なんでしょ? こんなに蒸し返されるんだから)であり続けるのか?

 ぼくが知りたいのは、そういうことである。(つづく)



連載 11 回

今月の喝!「いながらにして……part2」

 すべての情報がいながらにして自由にネット上でアクセスできるという着想は、アメリカ西海岸を中心にしつこく唱えられ、未だに死に絶える気配を見せない。

 でも、「すべての」情報が本になってないのと同様に、すべての情報がネット上で(無料で)見られるなんてこともあり得ないのだ。そもそも世の中の「情報」の多くは、デジタルデータ化できないんだし、ある種の情報は希少であるが故に価値を持つんだから。

 確かに、各種データがネットでとれるのは、便利。ありかのわかんなかった情報が、すぐに取れるようになった。すばらしい。がぁ。それが嬉しいのは一瞬だけ。一歩踏み込むと、とたんに情報は取れなくなる。電話でアポをとって人に話をきいて、うろうろしなくてはならない。申請出して決済とって、金でデータを買わなきゃならない。

 今は、まだそういう技能を持つ人が希少だから、「いながらにして」の部分だけでほめてもらえるけど、そのうちだれでもできる話になるわな。サーチエンジンとかが優秀になれば、なおのこと。そこで起きるのは、「だれでも」「いながらにして」「簡単に」とれる公開情報、およびその取得に要する労力の価値の大幅な低下であり(そんなもんに大金払うことないもの)、それ以外の非公表情報(およびその取得労力)の価値の大幅な増加である。

 昔アップルが、ナレッジ・ナビゲータのコンセプトビデオをつくって、そこでは研究者が優雅にいいかげんな思いつきを口にすると、エージェントくんが勝手にデータ漁って、モデルつくって、プレゼンまでしてくれるのね。ゾッとしたな。だって、こんなことされたら、当時のぼくの会社での仕事って九割方なくなってたもん。それと、そこまで機械ができるなら、そのお気楽な「研究者」の存在意義って何? そんなヤツ、即クビだよ。

 「いながらにして」の追求の結果、情報の価値の格差がこれから拡大する。同時に、ホワイトカラーや知識職種のあり方が変わるはずなんだ。その具体的な方向については、まだ大まかな思いつきしかないけれど、その影響(被害)を一番大きく受けるのは、間違いなく情報ブローカー業だろうね。ぼくの目下の勤務先のような。さて困った。五年先、ぼくの職場はあるんだろうか。そういう危機意識を持たないと、路頭に迷いますぜ。ネオ・ラッダイトって、その意味で結構先鋭的だからバカにしちゃいけないのよ。



近況:一部の圧力で、ついにピアスをはずさなくてはならないはめに! 許せーん! こんな会社、辞めてやる……とまだ言えないのがワタシの弱いところでございます。


連載第12回

今月の喝!「情報リッチ/情報プア」

 産業革命初期。動力機械の驚異的な発展により、所得の格差はかつてない水準に達した。繊維製品の低価格化が羊毛の需要量を増大させ、耕作地は放牧地へと用途変更。貧しかった農奴たちは農地を追われ、都市部に流入。日雇いベースの絶望的に貧困なプロレタリアが生まれ、一方の土地持ちや新興工場主たちは莫大な富を手にし、所得格差は拡大。H・G・ウェルズが『タイムマシン』で描いた、美しく知的で繊細で虚弱な地上族と、醜く肉体的で愚鈍な地底族への人類の分化は、これを先にのばした姿だ、というのはよくある指摘だ。

 しかしやがて、所得は平均化した。貴族階級は崩壊し、プロレタリア階級も、ウェルズ(そしてマルクスやエンゲルス)の予想通りには固定化せず、徐々に生活水準を(つまりは所得を)向上させた。テクノロジーは人間に要求される技能を平準化し、貧富の格差と階級の減少につながったのである。

 さて、インターネットやパソコンの普及とともに、情報リッチと情報プアが生じる、という懸念がある。金を持ち、情報機器を購入してそれを使う技能を習得できる人間はますます豊かになり、貧しい人間は情報収集が遅れてさらに貧しくなる、という説。

 もう今回の論旨はご理解いだだけよう。いずれ、情報テクノロジーも所得や階級の平準化をもたらすであろう、ということだ。だってさ、GUIとかって、バカでもコンピュータが使えるように開発されたのだもの。コンピュータを使うのに必要な知的水準は低下してるはずだし、コストだって低下しているのだ。

 経済学者ポール・クルーグマンは、いつもながらのちょっと嫌みな調子でこう語る。「“高度”な知的作業は、エキスパートシステムやAIで代替されるかもしれないが、オートメ化した機械の掃除は、機械で代替できまい。人間がそうした“非熟練労働”に専念し、しかも高い賃金を(機械から)もらうことは可能なはずだ」。だがいずれ、そうなるだろう。今、高い給料をとっている投資銀行とかって、実はそんな難しい話じゃないのだもの。

 問題はその「いずれ」がいつか、ということだ。短期的な格差の拡大は、どうしても起きる。そのとき何が起きるか。その短い間(といっても十数年だが)、共産主義的ユートピアの夢が再び出現したりすると面白いのだけれど。ハッカー運動とかも、こういう文脈でとらえることはできるはずだ。

近況:情報刺激から逃避しに中国に行く、という前号の辻新六の議論に唖然。情報ってメディアにのったものだけじゃなかろうに。ぼくは情報刺激に身をひたすべく、この冬アフリカに行く予定。


連載第13回

今月の喝! 「通産省「コンピュータ不正アクセス対策基準」

(注:この回は、山形がちょっと見のいい加減な印象だけで書き殴ってしまった最悪の回。JPCERTはそれなりにきちんと役にたつことをしている。最初に出た一般ユーザ向けの簡単なページだけ見てきいたふうな口をきいたのは非常によくなかった。申し訳ない。反省しています。読む人は、これを山形のまぬけさ加減をしめす文章としてのみ読んでほしい)

 今年の8月6日に、通産省が「コンピュータ不正アクセス対策基準について」なる代物を発表した(http://www.miti.go.jp/c60806a2.html)。財団法人日本情報処理開発協会(JIPDEC)まで設立。当面の運営経費年間2億円は通産省が出すんだと。たかが5人の財団に、経費2億円? わおう。

 で、この「基準」なんだが……システムユーザー基準1-2。「悪いパスワードは設定しないこと」。……なに、これ。「悪いパスワード」って、なに? 説明一切なし。「悪い」ってガキの作文かよ。あるいはシステム管理者用基準2-3「ユーザIDは、個人単位に割り当て、パスワードを必ず設定すること」。TTY時代[※1]の発想。今は個人ごとにパソコンがあてがわれてて、みんなパスワードなんか使わずにシステムにアクセスしてんのよ。「システム関連のファイルは、システムユーザがアクセスできないように管理すること」。どうやって? それができりゃ、ハッカーなんて壊滅してるよぉ。

 要は初歩的なネット・セキュリティの本を、いい加減にまとめたような代物。真剣な思考の跡は皆無。枠組みにしては、妙に細かい話も交じってレベルが混乱しすぎてる。情けない。絶望。でもこれ、たぶんどっかの「シンクタンク」が数千万もらって「調査」した結果なんだよ(案外オレの勤め先だったりして。ヤベーな、こんなこと書いて)。具体性も実効性もなし。で、こんな代物を実現する財団って??!! 無駄な特殊法人作んじゃねえって、散々いわれているこのご時世に?

 みんなで聞いてみよう。「社員がPGPで社内文書を外に漏洩してるみたいなんですけどぉ」「TCP/IPスタッフがフラッドさせられてるんですけど、どうしましょう」さぞ的確な答えがいただけることだろう。なんせ2億円も経費が使えるんだから。当初連絡先はJIPDEC情報セキュリティ対策室。

 こういう「基準」は、2600かカオス・コンピュータ・クラブあたりに送りつけるしかない[※2]。もちろん彼らは、これを挑戦だと受け取るだろうけど、電子立国日本の、泣く子も黙る通産省の肝入りセキュリティ対策財団なんだから、ここのサーバはさぞ万全の対策が施されてるんだろうし、何の心配もないよねー。ま、とりあえずはお手並み拝見ってことで(溜息)。

編集部注 [※1]TTY時代
TTYはテレタイプ変種端末。最小限の入出力しかできないモデム付きタイプライタ。転じて古くさい、という意味にも使われる。

[※2]
「2600」は有名なハッカー向け実用書(季刊)、カオス・コンピュータ・クラブはドイツのアンダーグラウンドなハッカー・ソサエティ。その活動などは、『カッコウはコンピュータに卵を産む(上下刊)』(草思社)に詳しい。


連載第 14 回(3.01)

今月の喝!「ブタに真珠、人にコンピュータ、サルに電脳」

 ネコに小判とかブタに真珠とかいうと、無駄なもののたとえである。多くの人にとってのコンピュータも、それに類したものであるというのは、はやり多くの人が実感としてもっていることだと思う。が、人間にコンピュータというのが、やがて無駄のたとえになるかもしれない一方で、これからはサルに電脳とか、イヌの Intel inside とかが、マジに比喩としてではなく、真に役立つものとして開発されるべきではないか。そういう気がするのだが。

 動物のさまざまな能力を並べて見た場合、人間がいちばんすぐれているのは脳の記号操作能力であり、それと小手先の器用さ、といったところだろうか。腕力や脚力の面では確実に劣っているし、多くの動物がもっているあのすばらしい尻尾というものもない。で、コンピュータの多くは(少なくとも世のパソコンは)完全なオモチャという意義はさておき、基本は脳の情報処理作業を支援する存在ということになっている。

 しかし、鎖の強さはそのいちばん弱いリンクに規定される。鎖全体を強化しようと思えば、いちばん弱い部分を補強すべきなのであって、いちばん強いところを一層強くしても何の役にも立たないのである。これを人間に当てはめれば、強い脳を強化するツールは、人間としての能力(つまりは生産性)の向上には役立たないのではないか、ということになる。

 産業革命やそれ以降の製造業の発展、あるいは鉄道や自動車の交通革命は、生産性を狂ったように上昇させた。これは、それらの進歩が人間における弱い鎖に相当する手や腕や脚を圧倒的に強化したからだ。しかしコンピュータでは、それができない。少なくとも人間にとっては。

 むしろ、コンピュータは現在記号操作能力に欠けているサルやイヌにあてがう方が、有効なのではないか。そしてこいつらを今より使い勝手のいい奴隷にするほうが楽ではないか。もちろん、すでにイヌがインターネットを使っているという話はあって、"On the Net, nobody knows you're a dog" (ネット上では、だれも気味がイヌだとはわからない)という表眼がネット上でのプライバシー問題を語る際に必ず引き合いに出されるのは、すでにアメリカでこうした実験が進行中であるためだ、という説もかなり真剣に唱えられている。

 この実験が進歩すると、なにやら世の中はショッカーの改造人間向上の様相を呈してきそうだ。しかしどうだろう、仮面ライダーで育った我が国の技術者たちは、このような研究を本気で手がけないのだろうか。だとすれば、惜しい話だ。

近況:Garbage コンサートで暴れた余波で、翌日イリ・キリアンとかいう踊り屋さんの歓迎宴会のようなものでケンカしまくり、ひんしゅくを大量に買い込む。許しちゃいただけないでしょうが、ホントに悪いとはおもっているのです。


連載15回

今月の喝!「電子マネーは税金取られない」

 現金取引のサービス業の場合、税務署にとって取引を把握するのはとっても難しいのである。サービスの場合、明確な在庫があるわけではない。床屋さんが100人の髪を刈ったのに、10人しか刈ってないのよ、と税務署に申告しても、なかなかばれるものではない。それが小規模なら。そしてそれが短期間なら。

 だから、取りっぱぐれはある。が、そんなに大きなものではない。ここで「大きい」というのは、日本経済の規模と比べて、という意味での大小だけれど。

 なぜか? だってサービスといえども、何らかの物理的な実体と無関係ではいられないのだもの。床屋だって、人間を扱う。あまり悪質なら、税務署は床屋の入り口にマルサをはりつけて、客の数を数えるだろう。ある洗車場は、水の使用料から所得のごまかしの足がついて、大量の追徴金を取られたりしている。そして内部のタレ込みもいろいろある。いろんなつじつまを合わせるのは、非常に面倒で神経を使う作業なのだ。

 だから、電子マネーの電子取引が進行したら国が税金とれなくなって企業が自分たちだけの経済をつくって、経済環境が一変するという、ときどき耳にする変な議論というのも、取るに足らないくだらない杞憂だ(ただし山形がここで述べたような、オフショア国家をつくるなら話は別だけど)。この議論って、たとえば日本の一部上場企業の全部が二重帳簿をつけて、巨大なブラックマーケットを維持し続けるというような話なわけだが、うーん、それはなかなか難しいと思うんだ。隠された取引が大量にあったら、なんかトラブルがあったらどうすんの? 裁判に持ち込めないじゃん。だって隠し所得が税務署にばれちゃうじゃん。契約書とかどうすんの? 会計上はどういう扱いにするの? だいたいそんな表沙汰にできない金をどうするわけ?

 日本の総生産の何割かがそんなことになったところを想像してごらん。たぶんそのためには、日本人のすべてが電子マネー経済と円経済の二重経済を生きなくてはならないわけだ。で、円で見たGDPはどんどん下がっているのに、国民の生活は一向に低下しない???? ばかばかしい。一歩下がって、それで果たして世の中が機能するかどうか考えたら、これがいかにボロボロの議論かすぐにわかりそうなもんじゃん。

近況:酉の市を逃してしまったので、今年は熊手をアップグレードできなかった。

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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@malhost.net)