去年この欄で、ネットワーク共産主義の話をした。無限に複製が可能なネットワーク上のソフトウェアでは、資源の稀少性がない。だから稀少な資源の需給を価格で調整するという市場経済による資本主義が成立しない。だからネットワークを中心としたソフトウェアの世界には、共産主義的な仕組みが持ち込まれるはずだ、という話だ。
この議論は、一面はとらえていた。でもつくる側のことを考えていないのが致命的だった。この場合の「つくる」というのは、ソフトを量産するという意味ではなく、実際にソフトを書く、という意味。世の中、ソフトを書く才能ってのはどうしても限りがある。だからそれをどうわりふるかというのは、大事な問題になる。そして、フリーソフトでは金はあまり動かないから、このわりふりを市場にお願いするわけにはいかない。
そんなこと考える必要はない、みんなが必要に応じて書きたいものを書けばいい、ニーズの高いところにはいずれ力が集中して、やがて万人の求めるソフトが出てくるというのが通常のハッカー的な答えだし、ぼくも漠然とそう考えていた。でも本当に? そこのところは未だにはっきりしていない。
が、『伽藍とバザール』のエリック・レイモンドが、新作『ノウアスフィアの開墾』でこの問題に答えを出している。かれの主張:オープンソース・ソフトとそれを支えるハッカー文化は、確かに市場には支配されない。でも、能力配分のメカニズムはある。ハッカー文化は生活不安のない資本主義の余剰の上に成立した「贈与の文化」であり、そこを律しているのは仲間内での名誉や評判なんだ。ハッカー文化は、その名声や評判を最大化するのを目的に組織化されている!
オープンソースは、だれでもいじれる。でも、所有権はジョン・ロック的な意味で確固として存在する。そしてそれは、ソフトを自分の成果として発表するときのハッカー慣習を通じてあらわれてくるんだ。それはまさにこの贈与の文化での、名誉や名声を保護して配分するための仕組みなんだ、というのをかれは実証してゆく。
贈与の文化! うーん、負けました。共産主義だけではここまでの説得力はない。そしてかれは、この贈与の文化の議論をもとにフリーソフト・オープンソースにおける明文化された慣習法のあり方まで考察してる。ポスト資本主義の具体的な世界像にまで議論は発展している!
うー。ぼくもまだ、この議論の意義について十分考え切れてはいない。次号以降に持ち越すけれど、とり急ぎ論文自体は翻訳したので、ぜひご一読を。でもこいつはすごいよ。
近況:すみません、これまでマッシブ・アタックを誤解してました。メザニン、最高カッコいいです。
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