Voice 2016/05号 連載 回

経歴詐称に怒るほんとうの理由

(『Voice』2016 年 5月 pp.38-9)

山形浩生

要約: ショーンKの経歴詐称が話題になった。それについて擁護する声もあるけれど、経歴はそれなりに各種の能力を示すものということになっているので、それを露骨に捏造されるとやはりみんな、信頼を裏切られて怒るのは当然だよな。



 すでにお忘れだろうとは思うが、昨年拙訳のピケティ『21世紀の資本』が異様に売れたせいで、いろいろあちこちにお座敷がかかり、おそらくは二度とない忙しくも楽しい目も体験できた。ちなみにこの三月、確定申告をしたところ、覚悟はしていたものの税金を大量に持って行かれて愕然。格差是正のために資産家や高額所得者への課税強化を主張するあの本を訳しているときには「そうだそうだ、課税を増やしたところで勤労意欲が下がったりするはずはない!」とうなずきながらやっていたけれど、いざ自分が大量に税金を取られる側になると「けしからん!こんなに税金を取られたらやる気がなくなってしまう!」と本気で思ってしまったのには、我ながら驚いた。ぼくも含め、みんな自分が定見を持った確固たる存在だと思っているけれど、実は環境と状況次第でコロコロ態度も意見も変わるいい加減な存在なのだ。それを改めて実感できたのは、貴重といえば貴重な体験ではあった。

 さて、その『21世紀の資本』に伴い、経済格差の関連でテレビにも何度か出て、昨年の年末に出た番組ではもうこういう機会もあるまいと思って、かなりまじめなニュース系番組で映画『マッドマックス』の真似というバカな芸まで披露させてもらった。その時には、この番組に出る人間でこれを上回る怪しいやつは空前絶後だろうと自負していたら、実は隣にいたレギュラーが、ぼくなんかを遙かに上回る怪しいやつだった。それはあの、ショーン川上だったのだ。

 さて、ぼくはかれの各種詐称に対し擁護をする人がいるのがちょっと信じられない。特に学歴については不正を認めつつ、「経歴は詐称だがコンサルは本当にやっている」と(この執筆時点では)いまだに弁明を続けているのは、本物のコンサルタントであるぼくからすればきわめて腹立たしい。民間だけでなく公共相手のコンサルもたくさんやってるというんだから、名前が出る公開報告書だってあるはずなんだが。それがまったくない状況で何を言われてもねえ。

 この詐称事件を受けて、経歴とか学歴とか資格とかは肩書きでしかない、本当の中身が大事、という主張もたくさん出てきた。もちろん原則的にはその通り。ただし、人の頭の中身はわからない。本来経歴とか学歴とか資格というのは、その本当の中身を判断するための近似的なラベルだ。一部の学歴や一部の資格が形骸化しているのは事実だ。でも、相当部分はそれなりに機能している。口のうまいタレントを擁護するためだけに、それをすべて否定してしまうのは、あまり得策ではないとぼくは思っている。

 というかむしろ人々が経歴詐称や学歴詐称に怒るのは、その当該詐称人物がどうしたこうした、という話のせいではない。世の中でかなり重要な技能や知識経験の判定装置である、経歴・学歴・資格といったシステムそのものが、そうした悪用で信用を失い、機能しなくなってしまうから、なのだ。それが使えなくなったら、ぼくたちは多くの社会的な作業において、きわめて煩雑な技能判定を強いられることになる。

 自動車が運転できるかどうかは、運転免許の有無とは関係なく、実際に車が走らせられるかを見るべきだ、という議論も可能だろう。あるいは家のコンセントの配線をするのは、電気工事士の資格なんか関係なくて、実際に配線工事して事故がなければそれでいいんだ、という議論もあるだろう。そして、おそらくたいがいの場合、素人が見よう見まねで運転したり電気の配線をしたりしても、そこそこのところはできる。

 でもそれは、そうした技能や資格が無意味だということではない。「そこそこ」よりはきちんとした系統的な技能や知識に基づく作業が担保されている状況が必要だからこそ、そうした制度があるわけだ。みんな、それを漠然とは知っているはずだ。それなのに、こういう一件になると、己がだまされたのを認めたくないばかりに、そうした有益な制度自体を否定するような主張が出てくるのは残念だとは思う。

 ちなみに、かれを登用したメディアなどは経歴をチェックしなかったのか、という議論もきかれる。実はぼくも、この欄を書くにあたり、学歴経歴をチェックされた記憶がないんだが、大丈夫でしょうねえ……


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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