Voice 2015/05号 連載 回

路上弁当販売を阻止して何になる

(『Voice』2015 年 5月 pp.38-9)

山形浩生

要約: 弁当路上販売を禁止しようとういう動きが出ているが、こうした規制は衛生などは口実にすぎず、既得権益者たちの保身のために悪用されている場合が多い。他の業界や日本以外でもいくらでも見られる。路上販売は、起業のきっかけにすらなるはずなのに。



東京で現在、弁当の路上販売を禁止しようという条例改正が定例議会で通ってしまいそうとのこと。うーん。最近周辺のビルが相次いで高層化し、就業者がかなり増えたのに飯を(リーズナブルな値段で)食える場所は一向に増えない(どころか減りつつある)昼食難民のサラリーマンとしては、非常に頭の痛い事態ではある。

 表向きの口実は、衛生問題だ。作り置きの弁当を路上のテーブルや屋台に並べておくと、特にこれから夏にかけて暑くなれば雑菌が繁殖しかねない、食中毒の危険もある、これはゆゆしき事態であり、規制しなければ、というわけ。だから、いままでのような届け出制ではなく許可制にしようというのが今回の条例改正の中身だ。

 でも、多くの人は(ぼくも含め)それが本当の狙いかどうかあやしいなと思っている。というのも、この手の規制は他にも山ほどあって、その大半は衛生とかアレやコレやを口実にした既得権益保護と利権作りだったりするからだ。

 最近のこうした例として有名なのは、千葉県の千円床屋締め出し条例だ。「理容師法施行条例・美容師法施行条例」なるものが平成23年から「改正」され、「洗髪及び洗顔を行うことができる流水式の設備」が必要だということになった。もちろん表向きの理由は、衛生がどうしたこうした。でも実際にはこれが千円カットの床屋を排除するための規制なのは明らかだ。千円カットは基本的に掃除機で髪の毛を吸うだけだからだ。すでに立地していた店舗はお咎めなしだけれど、新規の出店にはこれが適用されるので、千円カット店は出店が不可能ではないにしても、ちょっとは面倒になる。髪を洗える流しを店内のどこかに用意するのは、不可能ではないにしても低資本運営の千円カット屋にとっては、かなりハードルが上がる。拙訳ウィーラン『経済学をまる裸にする』でも、技能に不安があるからという口実のもとに、床屋やマニキュア屋に公的な資格制度を作って新規出店を閉め出す、という事例が出ている。もちろん、既存の床屋の業界団体による圧力のなせる技だそうな。

 そして、弁当屋の類似例として、屋台や移動式の食品販売についてもこの手の規制は世界中にある。アメリカでも、各地でいわゆるフードトラックに対する弾圧が行われていて、路上では客が呼び止めたときでないと停まって営業してはいけない等々の規制が加えられる。こうした規制の理由は、東京の場合よりは正直で、まず地元の一般飲食店が客を取られると苦情を言うこと、行政官や政治家たちが、何やら景観上よろしくないと思っていること、そして衛生面での話だ。

 でもこうした懸念が本当にあたっているのかどうか。路上販売の安い弁当がなくなったら、その人たちは高い地元オフィス街の飲食店に行くんだろうか? そもそも路上販売の弁当に頼るのは、お金を節約したいのと、あとオフィス街の飲食店は昼飯時にはやたらに混んでいて入れないことも多いからだ。だから、路上販売弁当を阻止したからといって、飲食店の売上げが増えるとは思えない。みんな不承不承コンビニ弁当に走るかもしれない。弁当持参派も増えるだろう。そのくらいだ。

 一部では逆の動きさえある。アメリカではフードトラックが集まることでそれ目当てにやってくるビジネスマンが増え、かえって周辺の飲食店も活況を呈する事例さえある。ワシントンDCなどがその例だという。フードトラックを足がかりに、本物のレストランに発展する例だってある。そしてそうした活気は、むしろ街の景観にとっても悪いものじゃない。

 さらに衛生面は……路上弁当を買わない人のそれなりの割合は弁当を持ってくるようになる。その弁当の衛生面はどうなんだろうか。ぼくはそれが路上の弁当よりもそんなにマシだとは思わない。すると総合的に見て、本当にオフィス街のサラリーマンたちの衛生環境は改善されるんだろうか? ぼくはむしろ、悪化する可能性すら高いと思うのだ。そしてそれと引き替えに、昼飯の多様性が失われるのは……サラリーマンの端くれとしては、堪忍してほしいところ。    


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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