Voice 2013/02号 連載 回

「元を取る」という思考の落とし穴

(『Voice』2013 年 02月 pp.34-5)

山形浩生

要約: 元を取らなくては、という発想が好きな人が多い。そしてそういう人びとはパイが拡大していない状況だと、他人が損をすれば自分が得をするという発想にすぐに転じる。日本の不景気はそうした人びとの比率をふやしてきた。それを抑えるためにも景気対策は頑張るべきだ。



たぶん、皆さんの身の回りにもいると思うのだけれど、ぼくの知り合いにもやたらと「元を取る」ことにこだわる人々がいる。各種の権利、サービスその他を、とにかく使い倒さないと気がすまない。食べ放題に行くと、ローストビーフばかり食えないほど取ってきて「これが一番割がいい」と悦にいる。あるいは出張で飛行機に乗るとき、たまにラウンジの使用権をもらうと、もうどうせすぐに搭乗開始でラウンジに行くだけ面倒なのに「使わないともったいない、元を取らないと」とダッシュでラウンジに向かい、シャンパンを四、五杯がぶ飲みして、またダッシュで搭乗口に向かう。

 いやあ、そこまでしてシャンパンが飲みたいかねえ、とぼくは思うんだが、彼らにとっては、そういう問題ではないらしい。でもそれじゃあ、どういう問題なのかをぼくはずっとふしぎに思いつつ、追求しないできたんだが……

 あるとき、一ヶ月近くにわたり海外出張することになった。そこで仲よくなって週に四日はいっしょに飲みにでかけていた人がいたんだが、かれはどんな店(といってもカラオケバーだが)に行っても、ママさんと交渉して飲み放題にさせる。そしてその交渉が成立すると、やたらにウォッカのトマトジュース割りとかを頼むのだった。

 しばらくそれが続いたので「ずいぶんトマトジュースがお好きなんですねえ」と言うと、彼曰く「いやあ全然。どっちかといえば嫌いだけど。でも、この国はトマトがすべて輸入なんで、原価が一番高いんだ。だからコレを飲むのが一番元が取れるんだよ!」

 ぼくはそれを聞いて、絶句した。原価が高いってだけで、好きでもないものを飲んでるんですか! そしてそこで、その発想の根拠がわかったのだ。彼らの発想では、とにかく相手が最大限の損をすることが自分にとっての得に思えるらしいのだ。だから相手が損をすれば満足、ということなのだ。ちなみに、さっきのラウンジでのシャンパンがぶ飲み野郎も、あるときなぜシャンパンなのか聞いたところ「これが原価が一番高いんです!」とのことだった(本当に高いのかは知らない)。

 でも……ちょっと考えれば、だれもまったく得なんかしていない。相手は儲けが減って損だし、自分は好きでもないトマトジュースを飲んで不幸。誰も得をしていないのだ。

 にもかかわらず、そういう行動の人はどこにでもいる。そして、その比率がどうも多く思える国や文化もある。なぜだろう? ぼくが見る限り、こうした意識は貧しい陸封国や島国に多いようだ。そうしたところでは、これまでパイの大きさはほとんど変わらなかった。だから、自分の取り分を増やすには、他人の取り分を減らさなくてはならない。どんな状況でも他人に損をさせることが自分の得につながる。それが彼らの世界や文化では合理的なのだ。

 そして人は実にたやすくこの発想に陥る。この豊かな日本ですら、過去二十年の経済停滞で、人々はこうした発想をますます強めてきた。公務員が給料もらいすぎだ、生活保護の不正受給が許せん、いや生活保護自体が許せん、あれを削れ、これをなくせ等々。

 そして一方で、成長しないパイを前提にしたこのやり方は、自己成就に陥りかねない。環境が変わっても、まさにそうやって人が足の引っ張り合いをしたがるのが原因で、パイが一向に成長しなくなるのだ。

 ぼくはこの失われた二十年ほどで、日本もまさにそれに近い状態になりつつあるのではと恐れている。それだけに、今回の選挙でリフレ政策を前面に打ち出した経済成長策を重視する政権ができたこと自体はきわめてありがたいと思っている。リフレ政策自体も、十年以上前から紹介を続けてきた身としてはそれが本当に選挙の争点にすらなったのは隔世の感がある(自民党がそれをきちんと実施できるかは、たぶん本稿が出る頃には見え始めていると思うが)。でも、それはあくまで手段だ。それによってパイが成長し、みんなが他人の損だの原価だのを気にせず、自分の好きなものを飲み、食い、やれるような国に日本が再びなれますように。それがぼくの新年の願いだ。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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