Voice 2012/12号 連載 回

メイカーズ運動の衝撃

(『Voice』2012 年 12月 pp.36-7)

山形浩生

要約: アンダーソン『Makers』邦訳が出て、悔しいがよいできだし、着目点はきわめて鋭い。3Dプリンタと家庭用工作機会で、ものづくりの裾野が広がり、ハードルが下がったことで得られる様々な可能性がある。それに今後注目するのはきわめて重要となる。なお、シアヌークが他界。合掌。



 かつて『ロングテール』や『フリー』を(ことばとしては)流行らせた、クリス・アンダーソンの新刊『Makers』が出た。

 ぼくは個人的にはアンダーソンが好きじゃない。一部の先駆者たちが一生懸命作り上げてきたものを横からかっさらって、キャッチーなコピーをつけて鈍いビジネス業界向けに売り込んで商売している印象がある。その一方で、嗅覚が確かなのは認めざるを得ないし、またそれまでの先駆者たちが趣味的にやっていたものが、ビジネスにつながりそうな部分をうまく捉える才覚も持っていることは評価せざるを得ない。

 そしてそのアンダーソンがこんど目をつけたのが、いわゆるメイカーズ運動だ。

 メイカーズ運動とは? それは、物作りの世界におけるパソコン革命やインターネット革命に相当するものと思えばいいだろう。

 二十世紀後半、パソコンとインターネットが世界を変えたことは、だれしも認めざるを得ない。パソコンにより人は、これまで不可能だったほど高質な文書作成や計算、描画や写真加工が可能となった。プリンタの普及で、印刷出版の世界は一変した。さらにネットにより、それを大規模に広める手段ができて、それが情報流通に関わるあらゆる産業を震撼させたのは否定できない。その変化が本質的に重要か、という点では、まだ議論の余地もあるだろう。だが、その変化自体は否定しがたいものだ。これまで高度な専門性と投資が必要だった世界が、ホビイストレベルにまで一気に下りてきたのだ。

 だが、それにまだ浸食されていない世界があった。それが物作りの世界だ。むろん日曜大工はできる。ちょっとした工作ならだれでも可能だし、料理や裁縫だってある。でも、本当の立派な工業製品には、よほどマニアックに手間暇かけなければ太刀打ちできない。それを商売にまで発達させようと思えば、すさまじいハードルが待っている。3Dの造形を日産数個のレベルを超えてやるのは無理だ。個人が金型なんか起こせるわけじゃなし、切削加工もできないし……

 だがいまや、それが一気に変わってきた。一台数万円レベルの3Dプリンタや工作機械が普及してきた。そこにネットで出回るCADの設計図をつっこめば、家でそこらの工業製品もどきが平気でできてしまう。その図面も勝手に作れる3Dスキャナが出現しつつある。さらにそうしたモノづくりとコンピュータの世界をシンプルなコントローラで結びつけ、新しい物作りの世界を築きつつある。

 これがメイカーズ運動だ。そしてこれは、従来のホビイストの世界を超えて、産業構造にまで影響を与える可能性もある。アンダーソンはそれを第二の産業革命と呼んでいるけれど、あながちピント外れでもない。ものづくりの世界もピンキリだ。そのうち、キリの部分はたぶんこの動きが普及したら壊滅する。その一方で、かつて有象無象のソフトハウスが一気に登場したように、新しい物作り工房が乱立する楽しい時代も容易に想像がつく。

 もちろん、新しい問題も出てくるだろう。ネットではすでに、物作りの世界に変な著作権管理が入り込む危険性についての指摘も出ている。そうした問題も含めて、こうした新しい動きを早めに考える必要があるだろう。日本はものづくり立国と言われたりして、歳寄りを中心に妙な自信とプライドが蔓延している。でもこうした動きはおそらく、物作りの仕組みそのものを変えてしまう。実は工業レベルでも、二百万円の簡易工業ロボットなんていうのが真面目に登場しつつある。今後十年で、日本のもの作りはすさまじい変化にさらされるんじゃないか? そうした未来を感じるためにも読者諸賢もいまのうちからこのメイカーズ運動には注目、いや注目だけでなく自分で触れておきたいところ。

 まったく関係のない話だが、十月十五日、カンボジアのノロドム・シアヌーク前国王が他界した。新聞報道では、いいことしか書かれていなかったが、一方で二十世紀後半のカンボジア混乱の多くは、直接間接にシアヌークにも原因があったと思う。こうしたまた二十世紀の証人の一人が去ると、時代の変遷に思いを馳せずにはいられない。合掌。


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