Voice 2012/10号 連載 回

報道されない英国の外交ルール無視

(『Voice』2012 年 10月 pp.38-9)

山形浩生

要約: ウィキリークスのジュリアン・アサンジが、でっちあげとしか思えない各種罪状でオーストラリアやスウェーデンで追われ、ロンドンのエクアドル大使館に逃げ込んで亡命した。イギリスの対応はほとんど外交無視のような代物で信じがたいのだけれど、日本でもこうした事態はもう少し報道されるべきではないか?



震災前に世界中を震撼させた、ウィキリークスをご記憶だろうか。オリンピックに隠れて、特に日本ではまったく報道されていないようだが、この八月にその周辺が再びにわかに騒がしくなっているのだ。それもそのオリンピックのお膝元たるロンドンで。

 ウィキリークスは内部告発サイトとして名高く、企業や政府の各種内部告発者がそれを裏付ける資料や文書を公開するサイトの最大手となる。二〇一〇年に、大量のアメリカ外交文書を公開したことで、ウィキリークスとその代表者ジュリアン・アサンジも一躍脚光を浴びた。

 もちろんアメリカは、だれにも見られないと思っていた本音の外交文書が白日の下に曝されたことで大いにメンツを失い、即座にウィキリークスに対する異様な妨害工作を開始する。まず各種クレジットカードや送金サイトに圧力をかけてウィキリークスへの寄付金を止めさせた。そしてアサンジ個人にもお灸を据えようとした……が、そのための法的根拠がどこにもない。彼は、内部告発サイトとして、告発者から提供された情報を公開しただけだ。

 その中で、アサンジが一時滞在していたスウェーデンで、強姦容疑が突然浮上してきた。が、その中身はかなり怪しげで、コンドームなしでセックスしたとかしないとか。そして、それが一回取り下げられたにもかかわらず、数ヶ月後にまた浮上してきた。その時点でアサンジはイギリスにいて、尋問でスウェーデンに送還される見込みが高まっていた。アサンジは、スウェーデンに送還されたらアメリカに引き渡されてしまう可能性が高いことを懸念し、ロンドンのエクアドル大使館に逃げ込んで、政治亡命を申請した。

 ここまでは普通……でもないが、一応はわかる話だ。

 だがこれに対して、イギリスは異様な対応を見せた。エクアドル外相によれば、アサンジを引き渡さない場合、大使館を警察に襲撃させるかもしれないという脅しをイギリス政府から受けたとのこと。大使館の敷地は外交用の土地として、その相手国の領土に準じる扱いとなる。アジアの専制国ですら、外国大使館への嫌がらせを行うときは、民間人が勝手にやったことだという形を取る。それが、テレビドラマの『24』じゃあるまいし、正規の警察がそこに突入する??!

 しかもイギリス側はなんと、それが正当なことだと述べている。自分の国内のどこまでが大使館や領事館のような外交のための敷地かを決める権限はイギリスにあるのだ、と法律で決まっているのだと。エクアドル大使館の敷地は外交的な用地とは認めない、とイギリスが勝手に宣言して、警察を送り込むことも理屈の上では可能なわけだ。が、こんな恣意的な運用ができるのであれば、そもそも外交用の土地などという規定自体に意味はない。

 さて、アサンジの罪状は(かなり怪しげなものとはいえ)重大ではある。が、実はアサンジはいま、正式に起訴すらされていない。スウェーデンの法律では、尋問後でないと基礎できないとのこと。さらに、別に尋問のためにはスウェーデンに送還される必要はなく、共助条約に基づいてイギリスで尋問することも十分可能だ。ちなみに、これには前例もある。ついでに、アサンジはもしスウェーデンがアメリカに引き渡さないと保証するなら、スウェーデンに行くのもやぶさかではないと述べている。

 が、スウェーデンもイギリスも、このいずれもダメで何がなんでも送還と固執する。なぜ? そしてこの程度の話で、イギリスが外交の基本ルールまでねじまげてまでアサンジをスウェーデンに送還したいというのは、本当に単なる捜査協力の話なのか? 何か裏の理由がありそうと思うのは人情だろう。

 こんなイギリスのなめた態度に怒ったせいもあるのか、エクアドルは大使を帰国させて協議のうえ、正式にアサンジ亡命を認めた。

 こんな得たいのしれないことが、まさにオリンピックで湧くロンドンで起きていたというのはひたすら驚きだ。そしてもはや、これはウィキリークスがどうしたとかいうのを超えた話になりつつある。いま日本で取りざたされる外交問題は、竹島にしても尖閣にしても、既存の外交ルールを前提としての話だ。が、それ自体を無にするような話が堂々と行われているとは。ぼくはこの件がもう少し報道されるべきだと思っているんだが。


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