Voice 2010/10号 連載 回

ODAは国益か商売の手段か?

(『Voice』2010 年 10月 pp.34-5)

山形浩生

要約: ODAは本来、相手政府のためにやる手段だ。だから「お金は出すけれど自分もがんばれ」というODAが成り立つ。でも日本のインフラ輸出のためにODAを使うなら、それは商売の一部になってしまう。すると先方だって、商売なら接待の一つもしろ、ということになる。それはODAの根幹を揺るがすもので、安易にやってはいけないんじゃないか。



 この欄で何度か、ベトナムへの新幹線売り込みの話をしてきた。日本の新成長戦略の大きな柱である、インフラ輸出の一環だ。

 さて前にも書いた通り、これ自体についてぼくは特に文句はない。日本のインフラの優秀性は、日本人ならだれでも知っていることだ。優位性があるものを売れば、売り手買い手の双方にメリットが生じるだろう。そしてその過程で、日本側にもよい影響がある可能性もある。日本のインフラは優秀だがコストが高い。無意味な技術おたくぶりをむきだしにして変な独自仕様に走り、汎用性を失ってガラパゴス化する現象はあちこちで見られる。外に売るとなったら、そういうのが多少見直される機会も増えるんじゃないか、とぼくは期待している。だから、アメリカに新幹線を売り込むといった話であれば、ぼくは諸手を挙げて賛成だ。

 が、ベトナムの新幹線や原発、道路となると、少し話がややこしくなる。そこにODA、つまり開発援助が絡んでくるからだ。

 日本の成長戦略の一環となると、それはつまり日本がどうやって儲けるかという話だ。でも、途上国の援助というのは、基本は自国が儲ける話ではないんだよね。相手の国にどう役立つかというのが最優先のはずなのだ。

 こう言うと、そんな甘っちょろいお題目を持ち出してどうする、と同業者の間でも嘲笑されたりする。でもぼくは、結構これを真面目に信じているのだ。

 というのも、基本的にはそれが開発援助の発想だからだ。第一次大戦とその賠償で疲弊したドイツは、ナチスの台頭を許してしまった。その教訓から第二次大戦後にアメリカは、敗戦国の復興を支援するという前代未聞の間抜けな事業を始めた。各国が経済力をつけて安定すれば、戦争なんかしようとは思わないだろう。そしてそれ自体が世界全体、ひいては援助をする国にとっても有益なはずだ。これが途上国援助の基本的な理念だ。むろん、その過程で自国企業にお金が落ちるなら、それはそれで結構な話ではある。でも、それはあくまでおまけでしかないはずなのだ。

 さてもちろん、これはお題目だ。そこまで気前のいい聖人君子に徹するのはむずかしい。いろいろ援助してもそれがその国の人々にちっとも伝わっておらず、ろくに感謝すらしてもらえなかったりするのは悲しいし、他の国がえぐい自国利益誘導援助をしているのを見ると、日本だけ縁の下に甘んじているのもあほくさく思える。それに援助がないと戦争を始めそうな国がそうそうあるわけじゃない。一時は、テロ防止のために貧困脱出援助を、といったお題目もあった。でも最近では、はた迷惑な自爆テロをやらかすのは、本当の貧乏人ではなく、中途半端に学をつけた小金持ちだということもわかってきて、これも説得力がない。当初の援助理念もどこまで妥当なんだろうか。

 すると何のために援助をするのか、というのを日本国民の皆さんに説明するのは至難の業だ。顔の見える援助、国益に資する援助、なんてことはよく言われる。でも、国益って何? これは現場でもよく議論になることだ。日本企業に仕事が落ちるのが国益だろうか?

 そうだ、という考え方もある。そして、この考え方は最近強まっている。でもそれなら、援助のあり方も変わってくるはずだ。今の援助は、先方の国が頼むからやってあげる、というのが建前だ。だからこそ、君たちもやる気を見せてね、という前提で話が進む。土地収用や関係機関の調整はやってほしいし、お金も一部は自前で用意しろよ、という話になる。

 でも、日本の儲けが最優先なら話はちがってくるだろう。インフラ輸出が日本の成長戦略だというなら、それはつまり日本の商売なんだから、先方の政府が手伝う義理はない。日本が根回しも調整も土地の手当も全部やるのが筋だということになる。

 そしてむろん、日本企業への利益誘導を明言するでかいプロジェクトが入ってきたら、他のプロジェクトも、同じ目で見られるのは避けられない。ODAでやる事業の大半は、そもそも商業的な採算ベースに乗らないようなものだ。でも、外国に新幹線を売りつけて儲けるぞ、と日本政府が実質的に宣言しているときに、他のプロジェクトでは儲ける気はありません、と言ってどこまで納得してもらえるだろうか。実は、すでに一部でそういう雰囲気が出ているという。きれいごとを言っても、日本に利益誘導したいだけじゃないの、というわけだ。

 ぼくもこれについて明確な考え方があるわけじゃない。どちらの言い分もわかるし、どっちが原理的にも実利的にも優れているとは断言できない。でも、両立はむずかしい。もしインフラ輸出を本気で考え、しかもそれを開発援助やそれに類する政策金融とからめるなら、国としての態度は明確にしなくてはならないだろう。われわれがここで実現したいのは何なのだろうか?


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