Voice 2009/6号 緊急特集寄稿

排出権取引が新しいバブルの温床になるだろう

(『Voice』2009 年 06 月 pp.68-71)

山形浩生

要約: サブプライム危機、資源価格と食料価格は、いずれも投機によっておこったらしい。資源枯渇論や中国悪者論は妥当性がない。一部では防止手段も出てくるだろうが、やはり次の手が出てくるだろう。ぼくはそれが排出権取引だと思う。うまくすれば、排出権はその国の経済活動を自由に制約できてしまう。マネーサプライならぬ炭素サプライだ。でも中央銀行ですら結構ぎくしゃくしているのに、そんなシステムが機能できるだろうか?



 二〇〇八年は、二十一世紀の世界経済が当然と思っていたいくつかの前提が大きく揺れた一年だった。もちろんサブプライム問題に端を発し、リーマンショックで奈落の底へと転落した世界金融危機は、世界経済の基盤がいかに頼りないものだったかを如実に示してくれた。が、他にもある。二〇〇八年は、ここしばらく見られなかった原油価格と食料価格の高騰で幕を開けた。いずれも、予想外のものだった。

 七十年代のオイルショック以来、原油価格が徐々ににまた下がってきて、最近(少なくとも二〇〇六年頃)は実質価格で見ればオイルショック以前と同じくらいに下がったというのはよく言われることだ。だがそれが二〇〇七年半ばくらいからじわじわあがり始め、バレル50ドルをあっさり上回って、あれよあれよという間にまさかの100ドル突破。二〇〇八年春には150ドル寸前にまで到達した。マッチポンプの評論家たちは、ついに石油が枯渇した、ついにピークアウトだ、原油価格は二度と下がらない、現代文明はおしまいだと煽りたてた。が、その当時ですら、原油価格がどう見ても実際の需給を反映していないことは関係者が口をそろえていたことだ。結局、下がらないはずの原油価格は経済の低迷を期に急落。まだ完全に戻りきったわけではないけれど、一時の狂乱ぶりはもはや見る影もない。

 同じく食糧価格もすさまじい高騰を見せ、あちこちで食糧暴動のセンセーショナルな報道が行われた。温暖化のせいだ、中国が肉を食うからだ等々、これまたまことしやかな議論が展開されたが、こちらはいまや完全に元の木阿弥。これまた基本はマネーゲームだったようだ。

 金融システム、石油、食糧。いずれも現代社会や経済の基本となるものであり、これまでのぼくたちが当然のように思っていたものだった。そしていずれも、投機とバブルによって大きく揺らいだ。そしてどれもバブルがはじけて人々は正気に戻った。

 すばらしい。これでみんな懲りただろうから、二度とそんな話にだまされる人はいない……と言いたいところではあるが、もちろんそんなわけがない。いずれの分野も、人々の不安に直結してくる。エネルギーがない、食糧がないと言われると、みんな直感的に焦ってしまい、過剰な反応に走る。

 エネルギー価格の高騰は今後も起こるだろう。エネルギー、中でも石油はきわめて投機にあいやすい財だ。いまの経済は石油に大きく依存しているし、供給はごく少数の国に限られている。産油国で紛争が起これば(そしてこれが非常に大きなリスクなのはだれも否定できない。サウジアラビアがこのまま何の波風もなく今世紀いっぱい持ちこたえられると思っている人はいるだろうか?)不安が広がって、そこにつけこんだ投機も発生し、またもや原油価格が高騰する可能性は十分にある。あるいは需要側でも今後アフリカが急成長をとげたとき、またもや資源不足論が蒸し返されるだろう。かれらがいま中国と結んでいるあまりお得とは思えない資源提供契約を反古にしようとしたりして争乱が起きれば、そんなものをきっかけに資源バブルが再燃することはいくらでも考えられる。

 食糧もそうだ。食糧は人々の本能的な不安に直結しているので、それがなくなるかもしれないと脅されると人々は理性を蹴倒す反応を示す。いまだに日本で食糧安保論のようなまぬけな議論を真顔でする人々が多いのもそのせいだ。これまたちょっとした不安材料と投機で大きなバブルが必ずまた起きる。

 そして金融。今回の一件で、各種の規制や監視システムが整備され、二度とこんなことは起こらないと思いたいところだが、そんなことはない。必ず新しいネタが生じる。新しい金融商品が生じ、新しい金融分野は出てくる。今回の危機で各種投資銀行がつぶれたのは、そうした新しいネタがだいぶ尽きてきた証拠ではあるのだけれど、でも人間の悪知恵は果てしない。そしてかれらが活躍するのに格好の分野が生まれつつある。

 それは環境だ。ぼくはこれが、いずれ世界に次の(または次の次の)大経済混乱をもたらすんじゃないかと思っている。

 といっても、別にみんながレジ袋を断ったり電気をこまめに消したりするのが悪いという話じゃない。ハイブリッドカーや電気自動車もどんどんやればいい。また風力発電や太陽光発電が世界の仕組みを一変させるという話でない。こういう再生可能エネルギーは規模が小さくあまりに自然条件に左右されすぎて不安定なので、世界のエネルギー需要に目に見える影響を与えることはほとんど期待できない。バイオ燃料は未だに評価が定まっていない。アメリカの補助金付けバイオエタノールは駄目なようだが、ブラジルのものはかなりいいようだし、ジャングルが破壊されるといった批判はほとんど根拠がない。でも一方でバイオエタノール用の作物育成過程で出る窒素酸化物が、二酸化炭素より温暖化への寄与が高いといった調査も出てきており、本当にエコかどうかまだわからない状況だ。

 だがいずれにしても、この不景気対策として各種のエコ研究開発にどんどんお金がまわるようになっている。かつては原油価格が下がると再生可能エネルギー熱はすぐに冷めてしまうのが常だった。今回も、二〇〇八年前半の石油価格高騰期には、各種の再生可能エネルギー企業などの株が高騰し、エコファンドなどが大人気となり、一部ではエコバブルとも言われたが、いまやそうしたものの活躍は冷え込んでいる。が、今回は民間のエコバブルが冷えこんでもそれが公共からのエコ研究投資バブルにとってかわられているようだ。それはどんどん続けてほしい。これを環境バブルと呼んで心配する人もいるが、そんなものははじけたところでエコ企業が百社ほど倒産し、踊った投資家一万人ほどが大損する程度の話。その中で千に一つでもあたりが出て、少しでも石油にかわる有効なエネルギー源の見通しがつけば、それは大きな意義を持つ。バブルが終わった時にもそれは有益に働くことだろう。それはきわめて結構なことだ。

 ただしそれには時間がかかる。そしてそれまでに別の変な仕組みが出現しつつある。ぼくが心配しているのは、排出権取引というやつだ。

 オバマ政権になって、アメリカもキャップアンドトレード式の排出権取引をまじめに検討しているようだ。が、排出権取引というのはつまり「排出したかもしれない二酸化炭素」なるものを取引するという代物だ。そんな得体の知れないものを大規模に取引することがいかにやばいか、すぐに想像がつきそうなものでは? 「おれは来年、百万トン二酸化炭素を出したかもしれないけれど、それはやめとくからその分お金をよこしなさい」というのが排出権取引なんだが、来年「出したかもしれない」なんていうものをねつ造するくらいの会計処理など、いくらでも思いつくと思わないだろうか?

 たとえばいま、途上国ではCDMというのがある。日本が途上国を手伝って、かれらの炭素排出を減らせば、その分日本が排出枠をもらえますという仕組みだ。さて、これでCDM詐欺を思いつかないだろうか? 途上国としては、たとえば「でっかい石炭火力発電所作りまーす」と宣言して、後から「やっぱやめました、日本の援助でその分省エネで対応します、だからCDMのクレジットちょうだい」と言えばいい。まあ実際にはそこまで単純ではないし、いまはそういうインチキがまかり通らないように厳しい規制をしている。が、そのために活用しにくい複雑な仕組みになってしまっているのも事実で、実際なかなか使われていない。  そしてそこが問題でもある。排出権取引は市場の仕組みを使って二酸化炭素排出を抑え、環境を保護ようとする。だがその「市場」は必ずマネーゲームの対象となってしまう。そして困ったことに、逆にマネーゲームの対象にならなければ排出権取引が市場として栄えることはない。市場によって環境保護をはかるなら、それをマネーゲームの対象にすることを奨励せざるを得ないだろう。

 たとえばヨーロッパではしばらく前から排出枠の取引が行われているが、どの国も自分が金を払うのはいやだ。だからみんな枠を甘めに設定しすぎ、おかげで排出権が余ってしまい市場は低迷した。そこで枠の見直しなどで市場のテコ入れをはかった。それ自体はよい動きだろう。だがこれは、その「枠」の決め方が非常にやばいことも示している。そこには政治的な思惑や力関係だけでなく、市場を操作しようという意図が機能している。そうした思惑で排出枠が決められ、それが市場における需給を大幅に左右する——あなたが腹黒い金融屋なら、その枠を決める仕組みになんとか入り込んで、それを操作しようとするだろう。

 実体のない人工的に決められる「商品」をめぐる大規模なお金の動く市場——ぼくはこれが新しいバブルの種にならないわけがないと思っている。それをもとにしたデリバティブもすぐに生まれるだろう。しかもそこで取引される商品は、産業活動そのもののレベルを左右してしまうものだ。ぼくはこれがかなりやばい仕組みだと思うんだが、エコ論者は真顔でこれを支持しているし、エコというお題目があるから何やらずいぶんと追い風調子だ。

 極端な話、もしこんな仕組みが本当に世界的に動き出すなら(そしてそれをきちんと強制する仕組みができるなら)、たぶん炭素排出の枠は中央銀行のマネーサプライのようなものとなるだろう。産業が加熱したら排出枠サプライをしぼり、逆に産業が低迷したら排出枠サプライを増やす——ただしこの中央排出枠銀行は、今のままだと常に産業を冷やそうというバイアスを持っていることになるが。百年の歴史を持つ中央銀行制度すら危ういのに、そこへこんなダメ日銀みたいな仕組みを入れて大丈夫なのか?

 願わくば、いまのエコ投資バブルから何か新しい低炭素エネルギー技術が出てきて、こうした変な仕組みを使わずにすむようになるといいのだけれど。さて今世紀末、ぼくたちはどんな世界に住んでおりますことやら。


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