Voice 2008/9号 連載 21 回

かけ声公約しかないサミットの意義って?

(『Voice』2008 年 9 月 pp.134-5)

山形浩生

要約: 洞爺湖サミットは環境サミットとかいって、はりきって削減目標など出してみたけれど守れないのは明らか。かつてのアフリカ援助増額公約だって守られていない。かけ声だけのメディアパフォーマンスでしかないならサミットなんかやめちゃおうよ。



 本校執筆時点の7月半ばですら、もはや洞爺湖のG8サミットは「そういえばそんなものもあった」状態。まして読者諸賢が本稿を目にする八月には、とうに記憶の彼方もいいところだろう。そして、その中身もかなりしょぼいものではあった。ぼくは各種警備がうっとうしいほど厳しかった頃に、要人たちの来日とほぼいれちがいにアフリカにでかけてしまったので、実際のサミットの様子はガーナのテレビでしか見ていないのだけれど、「今回のサミットでいちばんの注目は、ブッシュ大統領とロシアの新大統領メドヴェージェフの初対面だ!」などとレポートされていて、日本人の端くれとしては、いったい何のためのサミットなのよ、と情けなく思わずにはいられなかった。

 そして終わったあとの評価も、どこを見ても投げやりな失望というところだろう。投げやりというのは、開催以前からそんなに期待があったわけではないからだ。やっぱりね、という感じの報道がほとんどではある。成果は、と言われても何かこれといって目立つものがあったわけではないし、何となく始まって何となく終わりましたというだけ。

 それを福田首相のせいにする議論も一部ではあった。温暖化の炭酸ガス排出削減関連で、福田首相の指導力が問われる云々、といった議論も開催前には散見されていた。が、ぼくはそれは福田首相のせいではないと思う。そもそもこのサミットというのが、開催国その他がどんな指導力を持っていようとも、いまの各種問題について効果を発揮できるような代物ではなくなっているんじゃないか。

 今回ネタにされていたいくつかの問題を見てみよう。エネルギー価格が高い――はあ、さようでございますか。でもそれはサミットで話し合ってどうにかできるものではない。投機の規制を、といった声明は出されたけれど、では具体的に投機をしているのはだれか、というとよくわからないし、どう規制するのかとなると見当もつかない。産油国でも話し合いの中に入っていれば多少は成果もあっただろうけれど。食料価格が高い――おっしゃるとおりです。でもこれまた需給のバランスで決まる価格を、えらい人があれこれ話し合ったところで何もできない。

 そして今回の一応は目玉だったはずの温暖化対策。炭酸ガス排出を、2050年までに半減という公約は一応できた。が、それがいつに比べて半分なのかもきちんと合意ができていないとおぼしき状況だ。そしていつを基準にするにせよ、それが本気で実現できるとはだれも信じていないでしょ?

 これでも立派な成果だという向きもあるだろう。でも……そもそもサミットの公約に何か意味があるんだろうか。皆さんは、過去のサミットの公約を一つでも覚えているだろうか? 公約どころか、前回の開催場所すら覚えている人はまずいない(正解:ドイツのハイリゲンダム)。いくつか目立つイベントのあったサミットとしては、なにやらホワイトバンドが云々とかでアフリカの貧困削減が大きなテーマとなった二〇〇五年のサミットがある。ちなみにこれは今調べるとグレンイーグルスなるところで開催されたそうだが……グレンイーグルスってどこでしたっけ?(正解:イギリス)。

 さて、そのときの先進国の公約は、アフリカへの年間援助額を二〇一〇年までに倍増させるというものだった。が、ほとんどの国はそんな公約のことなんかすっかり忘れている。おかげでいまのトレンドが続けば、実際の援助額は目標とされた五〇〇億ドルより一四〇億ドルも足りないものにしかならないだろう、とのこと。ちなみに今回の洞爺湖サミットでも、この公約を忘れてはいないような発言は出たのだけれど、今からどれだけ増やせるやら。なぜ簡単には増やせないかについては、前回のこの欄でも触れた通りだ。

 そもそもできることが限られているし、どんな公約が出たところで、のどもと過ぎれば何とやらでみんなすぐ忘れるだけだし、どうせ守れなかったところで何かお仕置きがあるわけでもないし――そんな決めごとのために、裏で事務方さんたちは必死で調整を行い、結構なコストをかけて世界の首脳たちが(奥さん同伴で)雁首をそろえるわけだ。首脳たちがその場の裁量であれこれ決められるなら、それも意味はあるだろう。でも、かれらはあらかじめ示し合わせたことを発表するだけの存在でしょうに。

 しょせんはマスコミに顔を出すためのお祭りイベントよ、というシニカルな見方もある。でもマスコミが顔を出してくれるのは、それが何か重要な会議だという前提あってのこと。関心も持たれないし守られもしない公約を乱発し続ければ、マスコミの関心だって薄れるだろう。惰性だけで毎年サミットをやるのは、そろそろやめてもいいんじゃないかな。もっとメリハリのあるやり方があるんじゃないかな。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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