要約:
新東京銀行が、不良債権のかたまりになっていた話が問題になっていて、旧経営陣の責任だとかなんとか、いろいろ議論が紛糾しているようだ。が……これがこの銀行を作ろうなんてことをそもそも思いついて、それを実行した人間の責任なのは当然だと思うんだが。その人間というのは、石原慎太郎都知事だ。そして、それを煽ったメディアも。
もともと新東京銀行は、バブル後に貸し渋りが騒がれたときに設立された銀行だ。貸し渋りは、バブル時代に貸しすぎていた銀行が急にそれを引き締めたために発生したということになっている。そしてそれは、過剰な融資でバブルを引き起こした悪者の銀行たちが、こんどは保身のために中小企業をいじめてるんだ、というような報道がしきりにされた。急に融資がとぎれて資金繰りにこまって途方にくれる町工場の社長さんとかがよくメディアに登場した。
実際には、他の銀行は別にイヂワルで融資を止めたわけじゃない。九〇年代半ば頃に裁判所の競売物件を見ると、よくまあこんな犬小屋みたいな土地にこんな大金を貸したもんだ、と呆れるようなものは山ほどあった。それを絞るのは、まあ当然のことだったんだけれれど。
でも石原都知事は、実際の政策はともかく、通俗的な人気取りには敏感だ。そして外形標準税のときでもそうだけれど、当時は銀行を叩いとけばバカな都民どもが喝采するというのを知っていた。マスコミもまさにその方向で煽ってたわけだし。そしてええ格好してみせるために、貸し渋りで困っている企業に融資する銀行を作れという号令一下で作られたのが新東京銀行だ。
でも他の銀行に貸し渋られてたところというのは、つまりは返済が滞って不良債権化しそうなところというのと同義だ。もちろん、その中にはちゃんとした融資先もあっただろう。でも、貸し渋りが起きていた時だって、銀行はちゃんとしたところなら融資したいとは思っていた。別に悪為で融資しなかったわけじゃない。そこに融資がまわらなかったのは、ちゃんとした融資先と、ダメなところとをうまく識別する手段がなかったからだ。それは仕方ないことだ。他人のことや未来のことなんて百パーセントわかるわけがない。
で、新東京銀行(を作った都知事)としては、別にダメな融資をしろというつもりはなくて、ちゃんとした企業にだけ貸したいと思ってはいたんだろう。当時の報道では、そんなのが山ほどあるような雰囲気だったし。でも新東京銀行に、他の都市銀行や地銀にはないような、融資先判別のためのツールや技能があったのか? あるわけないでしょ。
だとすれば、貸し渋りにあって困っている企業に融資するという新東京銀行のそもそものミッションを実現するためには、それ以外のいい加減な融資先にも融資せざるを得ないということになる。区別のつけようがないんだもの。そしてかれらは、まさにそれをやった。その結果がいまの惨状だ。でも、不良債権化する見込みが高いところに貸して不良債権が増えるのは当然のことだ。
現在では、新東京銀行の不良債権の責任をすべて旧経営陣に押しつけてすまそうという魂胆がかなり露骨になっている。でも、かれらはまさに新東京銀行の設立方針通りに事業を進めただけだろう。他の銀行に融資してもらえないところに貸せ、という命令を受けて、その通りにやっただけだろう。それならかれらを責めるのはおかどちがいだ。かれらは甘いいい加減な融資をしたかもしれないけれど、それはそうしろという業務上の指示を受けていたからだし、その指示を出した人間こそが最大の責任を負わされるべきじゃないかな。そしてそれはもちろん、人気取りだけを狙って甘い融資をする銀行を作れと号令した都知事でしょ。かれはこの問題に対する議会で、自分がやっていれば新東京銀行をもっと大きくできた、なんて口から出任せを言っている。へえ、どうやって?
まあ新東京銀行も、日銀がちゃんと金融緩和をしてくれれば、景気はもっとはやく回復して、いま不良債権化しているところも事業は続き、今ほどひどい状況にはならなかったかもしれない。その意味では同情できる部分もあるにはある。が、一方でそれ以前の根本的な発想がまったくの出鱈目だ。その他、新東京銀行が都の口出しのせいで営業経費がかさんでいる点も指摘されている。追加で大金をつっこまないと救えないという話だけれど、そんな状況で追加の救済措置をとるのは、都民の一人としては堪忍してくれと言わざるを得ない。
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