というわけで、例の裁判の全貌未満以上

やれやれ、やっと終わったか。4年! こんなにかかるとは、まったく思っていませんでしたよ。というわけで、まあ折りを見て裁判の話をまとめてみようか。

1. 問題の文(non-名誉毀損版)

[こ-008]小谷真理、およびそれを泡沫とするニューアカ残党似非アカデミズム (こたにまり、およびそれをほうまつとするにゅーあかざんとうえせあかでみずむ)

巽さんちの小谷真理
このごろすこーし変よー
どーしたのーかーなー?
日本のコスプレ論じても
エヴァンゲリオン語っても
いつも言うこたお・な・じ
「それはね、レイプされているのよ!」
つまんねーなー

 そもそも小谷真理が巽孝之のXXXXなのは周知で、XXXXなら少しは書き方を変えればよさそうなもんだが、そのセンスのなさといい (名前が似ているとか年代が同じとか、くだらない偶然の一致を深読みしようとして何も出てこないとか)、引用まみれで人を煙に巻こうとする文の下手さといい、まったく同じなのが情けないんだが、まあこれはこの種の現実から遊離した似非アカデミズムに共通した傾向ではある。

 似非アカデミズムというのを説明すると、たとえばフェミニズムはそれなりにパワーを持っていた。それは社会を変えるという意味でのパワーね。だからこれは本物。でも、フェミニズム「批評」なんかに何の力もないのだ。だからこれは似非なの。具体的にいえばだね、もしエバゲ (『エヴァンゲリオン』) を云々したいなら (でも、何が悲しくて?)、そこに西洋文明が隠蔽した二項対立構造が存在していることを指摘したってしょうがないのよ。だってそれは、もし存在するならあらゆるところに存在するはずのものなんですもの。それがエバゲにあってどうだっての? 社会はそんなことをしてほしくてあんたらを飼っているわけじゃないんだ。

 そもそも「二項対立」云々なんて議論の価値は、それが現実の人間のありようを整理できるとか、説明できるとかいう部分にしかない。そのための知的枠組みなのだもの。検討するなら、「この理論はここまで現実に適用できます」「こういう条件では適用できません」というのを、定量的にとは言わないまでも、何らかの形で示さないと。さもないと他人のふんどしで相撲の真似ごとをするだけの痴話饒舌にすぎない。

 エバゲを論じたっていいんだ。二項対立でも別にいいや。でも、くだんないのがそのやり方なのよ。二項対立がエバゲにあることを指摘したってダメなの。それがエバゲを通じて、現実にどのようなインパクトを与えているか示さないと。またもや具体的に言えばだね、価値があるとすれば、その「二項対立」とやらをどう料理することによって大衆的な人気が生じているのか、という部分の分析なわけ。それをどうすれば移植できるのか、というのを分析しなきゃ。これは現実的に価値と力を持つ分析になる。経済的にも社会的にも。

 たとえば宮台真司が正気に返れば、たぶんこれができる(かれは妙な露出の仕方をして舞い上がっちゃって救いがたくなってるだけで、能力的には優れた部分を多々持つ)。

 でも小谷真理には (XXか巽孝之には) そんな能力はない。たぶん上に書いたようなことなんか考えたこともないだろう。だから無価値なんだけれど、無価値であることにも自覚はないだろうし、価値があるべきだとすら思っていまい。これはつまり、おたく的閉鎖世界なのね。これは『ユリイカ』とか『現代思想』とかに巣くう「評論家」とか「知識人」とか、気取った小難しい文を書き散らすだけのニューアカくずれの理屈輸入屋すべてに言えること。ちなみにこれは「アカデミズム」とは無縁で、本当のアカデミズム (少なくとも部分的に)は現実に対する力を忘れていない。それを見分けられるようになること。むずかしいけれど、でもこれは大きな課題。

書いてきた(けど一部お蔵入りになったりしていた)いくつかの文

結局のところ判決はどうだったか

 うーん。上の文で想定していたよりは、賠償金は結構多かった。小谷真理は証人台で泣いたりしてみせて、その分のおひねりもあるしちょっと高めにはなるかな、と思っていたけれど、ここ半年くらいで、急激にこの手の名誉毀損の賠償金があがった影響をもろにかぶった。これは予想外。もっとも、ぼく一人でだって即金で払える程度の金ではあるんだけどね。

 あと、流通まで責任をとれ、という話になったのはひどいなと思う。名誉毀損がわかった時点で手をうつべきだった、と判決にはあるんだけれど、そう言う裁判所は、名誉毀損かどうかを判断下すのに4年もかかっている。苦情くらいでいちいち対応させられたら、商売あがったり。あとあと禍根を残さないといいんだけれど……って、たぶん残るだろうな。

判決の要旨はこういうことだ:

  1. 小谷真理が巽孝之のペンネームだというのはウソで、それを書いたのは名誉毀損。
  2. フェミニズム評論というのは、女を売り物にする種類の商売らしいので、女でないとか言うのは商売のじゃまのようだ。そういう被害もあるんだろう。
  3. だから、被告一同は、まず慰謝料としてみんなで330万+年利5%のお金を支払いなさい。内訳は自分たちで相談してね。
  4. それと、毀損された名誉を回復するための措置として、ウェブページに謝罪文を一ヶ月載せなさい。
  5. でもそれ以外の部分は、口汚いけれど言論の自由の範囲内だし、小谷真理は対抗言論でなんとかしなさい。

 さて、この判決を受けて原告側は喜んでいるらしいんだが……いいの? 特に2番。「女にモノは書けない」というのと「女を売り物にしている」というのの両方があなたたちの批判対象ではあったはずなのに。ちなみにこの「女であることを云々」は原告側の証人たちの意見書にも散見される。が、まあ彼女たちはしょせんただの処世術でフェミニズムを利用しているだけだから、それについては多くを期待すべきじゃないんだろうね。

 ちなみにぼく的には、1. については最初から謝っていたし、妥当。軽率でした、すみませんでした。2. は、ひどいとは思うが、それで喜ぶ原告たちのレベルにあわせたのかな、とは思う。5. についてはこちらの言い分を認めてもらえて嬉しい、というところ。あとは 3. の金額が大きかったのと、なにより流通責任、なんだよなー。

あと、ぼくが今回すげーと思ったのは、4. のところ。これはつまり、毀損された小谷真理の名誉ってものは、たかがウェブページに一ヶ月ほど文が載ることでどうにかなる程度のものでしかない、ということを裁判所が言っているわけだ。これが画期的だと思っている人もいるようだけど、なんで? 目先が変わっただけでおたついちゃいけないよ。ウェブページなんてものが、いかにはかなくてどーでもいいものか、みんな知ってるでしょうに。2ちゃんねるの日生との裁判とかが、「じゃあ問題のポストに謝罪レスをつけて、一ヶ月 age」という結果になったら、笑えるでしょ。

 これは、今回の裁判で問題になったような小谷真理の名誉なんてものが実は大したことないのだと裁判所が暗に考えていたせいなのか、それとも裁判所がウェブページというものを過大に評価しているのか、それはわからん。たぶん後者だとは思う。判決文の中でも、掲示板とウェブページとが区別できていなかったし。が、前者の可能性も……どうでしょ。まあそれでかわいそうだから、大きな目立つ謝罪にしておいてあげたんだけれど。あと、その文面も、巽孝之が夫だなんてぼくが触れてもいないことを、わざわざああして強調しなくてもいいのに、とは思うのだ。かわいそうに。 (そのうちつづく)


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