インターネットの中年化

(スタジオボイス 1996年、だったかな?)
 

山形浩生
 

 いずれこんな日がくるのはみんな知っていた。「だが、これほど早くくるとは予想していなかった」と続くのが常套句ではあるけれど、そういう感じもしなかった。すでに永瀬唯『疾走するメトロポリス』を読んでいたから、初期のパンクな浪費がいつかメインストリームに取り込まれ、バロック化して衰退してゆくプロセスは熟知しているつもりだった。車も、自転車も、無線/ラジオもそうなった。インターネットだけがそれを逃れられるはずもない。しかし、実際にその様子を目の当たりにしたのは初めてだった。すべてが終わりかけた頃になって、われわれは突然悟ったのだった。インターネットは、かつての荒々しい青春時代を終えてしまったのだ、と。あとは安定した肥大化をとげて、落ちついた中年期を迎えつつ今世紀を終える。中国やアフリカや等、これからの地域は別として、少なくとも日本やアメリカやヨーロッパでネットそのものにおける大きな変動はあり得ないだろう。

 もちろん、それはアメリカの情報スーパーハイウェイ騒ぎに端を発する。インターネットの民営化(商業化という表現は誤解を招く。実際の動きは民営化、あるいは民活導入に近い)。それに伴う企業と一般ユーザの飛躍的増大。そしてネットの変質。それを示すのが、かつてハッカーよりだった雑誌WIREDのビジネスへの傾斜である。しかもそのビジネス系の多くの記事がジャーナリスティックな批判力を欠いた、生焼けビジネスプラン受け売りとなっている現状については、すでに某所に書いた。Electronic Frontier Foundationとの結びつきや、クリッパーチップ(通信機機の暗号化ハード)義務づけ反対運動における明確な政治的ポジショニング、そこから生じた強力な視点。それが一応おさまった現在、次のスタンスが見いだせないつらさ。

 ただし今でも面白い記事は載る。最近では、テッド・ネルソンとその壮大なvaporwareザナドゥに関する手厳しい詳細な批判ルポ(なお、その直前に日本版の『ワイアード』にネルソン絶賛調のきわめて好意的なインタビューが載ったのは皮肉だった)。テッド・ネルソンはハイパーテキストの概念(というかキャッチフレーズ)の考案者で、たとえばティモシー・リアリー(どうして日本の雑誌が、何の実績もないこの間抜けな人物を持ち上げるのかは皆目不明)などよりコンピュータ界への貢献は高いし、一応敬意を示すのが電脳ハッカー業界の通例だった。それをあえて無視して正当な評価を世に問う見識! かつてクリッパー反対運動のころにも、ハッカー側に好意的な立場をとりつつ、政府側のクリッパー推進者の言い分ものせるだけの度量を示したのはWIREDくらいのものだった。ハッカー的なテーマを取り上げながらハッカー的メンタリティに媚びないだけの視点と知識と自信、これに関してはWIRED未だ健在である。

 だがわれわれの関心はインターネットそのものにある。現在のインターネット普及の原動力の一つは、WebでありMosaicであった。が、Webは深まる感覚に欠けている。注釈ページなどで奥行きを出しているページはあるけれど、全体としては、むしろ等価なページ群の間を横にすべる感覚だ。それがWebの一つの魅力でもあって、IBMだろうとホワイトハウスだろうとポルノ情報だろうと、同じブラウザの枠の中で同じ大きさで平等につきつけられる。が、一方ですべてのページが共通して持つ、ヌメッとした質感は何を見ても同じ印象を与えるのに貢献してきた。新しいサイトやページの乱立も、その印象を強めこそすれ、弱めてはいない。パワーユーザたちは、Webへの興味を失いつつある。伊藤ガビンだったか高城剛だったかも、Doors創刊準備号で「最近はあまりWeb見ない」と語っている。「無料のものはしょせん中身もそこそこ。あまり見ても面白くないし」と。

 Hot Javaで動画なんかが表示できちゃうと、また事態は変わってくるだろうか。あるいはVRMLが何か決定的に新しいものをもたらしてくれるだろうか。新しい質感をWebは獲得するだろうか。どうだろう。NetScapeの、バックや点滅は、一瞬は目新しかったけれど、すぐにうっとうしくなった。Hot Javaなどは、証券市場のリアルタイムの情報提供などの実用的な面も強調していて、限られた面での賢い応用は登場するにちがいない。が、それが決定的にインターネットの方向性を塗り替える状況は想像しがたい。特に多くの個人にとって、Hot Javaに必要とされるような動画は手の出る領域ではない。するとHot Javaなどは、ネットの非個人化、企業化にいっそうの拍車をかけるだろう。いずれにしても、もはや「インターネット」という場よりは、むしろそのサブ領域での勝負になってきている。

 もし過去の例としてアマチュア無線が参考になるなら、今後のインターネットの状況は次のようになるだろう。いったん接続した、あるいはホームページまでつくったはいいけれど、電子メールをやりとりする相手もなく、特に「これは!」というサイトにも出会えず、また自分のページを見に来る人も数えるほどで、だんだん情熱を失ってアクセスをやめてしまう人々の群。更新されることもなく、訪れる人もなく、ディスク領域を占有するだけの、無数の死んだページの山。一部のマニア同士の閉鎖的な世界。ホームページも続々と淘汰され、大半のユーザは(今もそうだが)自分のページづくりへの情熱を失ってROMに徹する。インターネットは双方向コミュニケーションの云々と言われるが、そんなのはウソだ。特にWebにはあてはまらない。これは大阪大学の菊池誠に指摘だが、慧眼である。Webはほとんどが単方向の情報提供であり、双方向コミュニケーションは一部の書き込み可能掲示板(これは楽しいよ)などでかろうじて成立するのみ。更新し続ける資本力とインセンティブをもった企業や団体のホームページだけが生き残る。

 一方で、いくつかの非常に優れたサイトはいずれ有料化に向かうだろう。オンラインショップや取引のようなものも、まあそこそこ登場する。決済方法はクレジットカード。デジタルキャッシュだのe-キャッシュだのは、何の力も持たない。しょせん代用貨幣のままごとだもの。金は現実の世界の価値とリンクして始めて意味を持つのだ。そこらへん苦労はしているようではあるが。「何を買ったか知られたくない」? 天知る地知る我知る云々。ばれるとやばいような代物を、ネットワーク上で派手に取引できると思っているのかね。そういう商品が経済の主流を占める状況は絶対にない。クレジットカードでなんら問題はない。だいたいデジタルキャッシュなんかが本気で出回って、価値が国境をドカドカ往来するようになったら、世界の金融システムは崩壊する。そんな危険がちょっとでも見えたら、国家は一致団結して即座にインターネットをつぶす。

 見えてくるのは、現在の他の媒体とほとんど変わらぬ、どこかで見たような風景である。かつての何が飛び出すかわからないワクワクするような時代は終わった。この先続く道は、穏やかな、安定した、だが退屈な既知の道である。だからといって、それを避けろというわけではまったくないのだけれど。

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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)