連載最終回

サイバー砂漠にただ一人:ネットやゲームは頭をよくする。

(『SIGHT』2006 年 秋)

山形浩生

要約: ゲームやネットが人をバカにするとか切れやすくするといわれるけれど、でも実はその逆で頭をよくするという説も出ていてなかなかおもしろい。




 ぼくはいま、一日のほとんどをコンピュータとネットに向かって過ごしている。資料を検索して調べたり、報告書を書いたり、メールをやりとりしたり、もちろんこんな原稿も書いたり。ぼくだけじゃない。ぼくの職場の人間の多く、そして日本のホワイトカラーの相当部分は、似たような状態にあるはずだ。

 こんなふうに人が電子メディアづけになることを懸念する人も多い。ゲーム脳という言葉が一時はやって、ゲームばかりに没頭していると脳波が平らになる、ボケ老人と同じだ、といった騒ぎ方がされた。出た直後にそれが実験方法の面でも解釈の面でもまったく不適切であることが指摘されていたけれど(そこで検出されたのは、単なる慣れと集中であって、本を読んでも出てくるものだ)、もともと新しいメディアに偏見のある高齢者を中心に、未だに人口に膾炙している。柳の下のドジョウを狙った「ネット脳」なんてのも一時出ていたくらい。

 この手の話は昔からある。でも、最近訳した本では、これに反論したちょっとおもしろい説が展開されている。各種新メディアは、むしろ人間の知能向上に役に立っているんじゃないか。たとえば、テトリスに習熟すると、知能テストに出るような図形のマッチングや組み合わせ問題が得意になる。ゲームもテレビドラマもどんどん複雑になり、知的な要求度が高くなっている。ゲーム脳は切れやすいとかいうが、ドラクエやゼルダ等、いまのゲームを終えるのにどれだけの集中力と忍耐がいることか。最近のドラマ『24』なんか、理解するだけでも『水戸黄門』なんかよりはるかに多くの社会能力や符丁の解読能力が必要とされる。でも、いまの視聴者はそれを十分に理解できるどころか、積極的に楽しんでいる。

 そしてネットも、すぐにネット中毒とかいわれがちだけれど、一部の極端な2ちゃんねらーや引きこもりたちを除けばそんな悪影響は出ていない。ネットばかりで本を読まないと言われるけれど、でもウェブやメールなど、ネット上の情報交換はほとんどが文字だ。ネットはむしろ文字文化を温存する役割を(現在は)果たしている。そして同じ文字でも、図書館にこもって本に没頭している読書家に比べれば、はるかに他人と対話して(それが「逝ってよし」「ワロス」だのであっても)社会性の維持に役立っている!

 なるほどね。完全に賛成するわけじゃないが、これはちょっとおもしろい視点ではある。マクルーハン的にいえば、メディアの中身よりその形式が社会を大きく左右しており、その方向性はむしろ人々の知的能力を鍛える咆哮に動いているはずだ、ということだ。ネットやゲームやテレビそのものがいけないのではなく、それをどう使うかだ、というような反論はある。でも実は、それをどう使おうとも、そうしたメディアそのものに善し悪しはあって、実はそれはいいほうでは? そしてもしそうなら、ぼくのように職場でも家でもコンピュータやネットに触れ続けている人間が増えるということは……

 ……というようなことをもう少し考えたかったところだが、このコラムは今回で最後なので、それが果たせないのが残念なところだ。

 このコラム開始以来、かつては数えるほどしかなかったまともなものが、だんだん根を下ろして(浮き沈みしつつも)発展するに連れて、かつては砂漠じみていたサイバーな世界も、少しは緑の様相を示しつつある。さらに電子メディアが政治、経済、社会のあらゆる面に浸透してきたために、サイバーかネットとかいうくくりでモノを申すのがだんだん収まり悪くなってきた。

 たぶんそうした社会変化――それはひいては、読者のみなさんの変化でもある――がどんな影響をもたらすのかについては、もはやサイバーを特別扱いすることなく、別の切り口から考えたほうがいいんだろう。いつかその結果をお目にかける機会もあるだろうが、この場ではこれまで。ではまたいずれ。

前号へ SIGHT インデックス YAMAGATA Hirooトップに戻る


YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
Valid XHTML 1.0!クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。