連載第?回

ピアツーピア (P2P) ソフトの未来。

(『SIGHT』2004 年 夏)

山形浩生



 P2Pソフトの雄、Winny の作者がなんと逮捕されてしまった。

 P2Pというのはピア・ツー・ピアの略だ。ウェブとかメールとか掲示板とか、今の多くのサービスは、どっかにサーバというデータの集中的な保管所があって、ぼくたちが何か操作をすると、それはすべてサーバに送られ、サーバ経由で行われる。インターネットで起こることはすべて、だれか(のマシン)からだれか(のマシン)へのデータの転送だ。でも、いまのほとんどのサービスでは、ぼくのマシンがあなたのマシンに直接話をすることはない。メールだって、受け手から送り手にデータが流れるけれど、途中には必ずサーバがかむ。ぼくはサーバに対して「メール届けて」と言うし、受け手はサーバに「メールきてない?」ときくわけだ。ところがピアツーピアだと、間にサーバが入らない。データのやりとりは直接、ぼくとあなたのマシン間で行われる。

 それが何がすごいのか? 昔のコンピュータは、中央集権型だった。でかいコンピュータが真ん中にあって、それがすべての処理を引き受け、利用者(のマシン)はそれに「あれしてこれして」と注文を出すだけだった。それが、パソコンとネットワークによってかなりかわった。いまじゃ手元のマシンがかなりの部分の処理を引き受け、真ん中にあるサーバと役割分担をしている。でもこれだと、ネットワークの規模が大きくなると、真ん中のサーバに要求される負荷が幾何級数的に上がる(ちょっと便利なサイトが有名になると、すぐに重くなって使えなくなるのはこのせいだ)。サーバ側で設備を拡充するにも、当然限界がある。ネットワークが大きくなるのにあわせて処理能力もあがる(その筋で言う、スケーラブルってやつです)、そんなオイシイ話がないものか――そこででてきたのがピアツーピアだ。あらゆる機能を、ネットワークにくっついた利用者のマシンに広く薄く分散してやらせればいいじゃないか。どうせぼくたちのマシンは、ほとんどの時間は遊んでいる。ディスクだって空いてるし、常時接続の人が増えて、やろうと思えば空き時間でいろんなことができる。でかいファイルをたくさんの人に送るなら、サーバがそれを百回送るんじゃなくて、一回ダウンロードした人が他の人でもそれをアクセスできるようにしとけばいい。ネットワークが拡大し、接続するマシンが増えれば、全体の処理能力もそれに比例して増える。中央のサーバまったくなしに、すべてが分散して行われることで、ネットワークの限界もなくなる――それがピアツーピアの希望だった。

 そしてもう一つ、匿名性がある。いまのネット利用だと、サーバの情報さえ把握すれば、その利用者についていろんなことがわかる。最近、いろんなところから個人情報流出が問題になっているでしょう。あれはそういう情報が一カ所に固まっているからこそ起こることだ。でも、ピアツーピアの本当の分散処理はいろんな処理があちこちにばらけて、何がどこで何をしているかさっぱりわからない。どんなデータがどこにあるかも、はっきりしない。これぞインターネットの大きな問題だったプライバシーの問題を解決するもののはずだった。

 これを実現するソフトはたくさんあった。あのナップスターもそうだし、その後もいろいろあって、Winny はその中で比較的新顔だったけれど、諸般の事情で急激に普及した。そして……その一番多い利用がCDや映画の違法コピーといった感心しない用途だった。同時期に同じ人がいっぱい欲しがって、分散処理が有効に機能する一番単純なアプリケーションというのは、新作映画や新曲をみんながダウンロードしあうことだったからだ。そしてプライバシーが確保されるということは、それをやっても足がつかず、つかまりにくい、ということだった。その結果として、違法コピーが蔓延。人によっては、著作権というもの自体がもう古くて実態にあわなくなってるんだから、そんなの問題じゃないんだ、なんてことを言うけれど(そしてそれはぼくの訳した本を読みかじった人たちだったりするのだけれど)、それはちがう。著作権とそれをもとにした巨大集金システムがあって初めて可能になった作品はたくさんある。各種映画とかね。著作権のあり方や範囲については、いろいろ問題もある。たとえば最近(これが出る頃には沙汰が出ているはずだけれど)話題になっている、輸入CDの禁止につながりかねない輸入権なんて代物を著作権にくっつけようとする動きがある。こんなのは明らかに問題だ。けれど、著作権というシステムそのものは、それなりに成果を上げていることも否定はできない。だから、それをむげに否定し去るのは、あまりに短絡的。

 だもんで、この手のソフトはしばらく前から問題になっていて、数ヶ月前には利用者が何人かつかまった。かれらは、直接的に著作権侵害行為をしていた。でもこんどは、そのためのソフトを開発した人が逮捕されたわけだ。これは一応前例がないことだった。要するに、それが著作権侵害に使われることを知りつつそれを開発したから、侵害幇助だ、ということなんだって。これで5月初頭の日本のインターネットには激震がはしった。警察が本気で取り締まりに動いているらしいってことで、日本のインターネット上データ転送量は15パーセントも下がったという。逆にいえば、インターネットの利用のかなりの部分(まだやめてない無謀な人もいるだろうから、それも入れるとたぶん3割近くにはなるかも)がその違法ファイル交換となっていたらしい、ということだ。情けない。そんなにいたのかよ。

 さて、警察は、かれを逮捕したのは別に開発したソフト自体が悪かったわけじゃなくて、著作権に対して批判的で挑発的な態度をとっていたからだ、と述べている。ただそうは言っても、かれが逮捕されたことで、ソフト開発全般、特にこのP2Pというおもしろい分野でのソフト開発に、かなりの冷や水が浴びせられるだろうというのはまちがいないことだ。これはすごく残念ではある。もちろん「著作権侵害をしないような方向での見当なら問題ない」とは言われるだろうけれど、ある技術がどう使われるか、というのはやってみないとわからないところがある。多くの人は、この逮捕理由がもっと恣意的に拡大解釈されるようになるんじゃないか、ととても恐れているのだ。特に、この逮捕にあわせて、ウィニーの使い方を紹介していただけのサイトまでが手入れを受けている。そりゃみんなびびるでしょう。幇助の幇助まで手が及ぶようでは、なんだってありということになりかねないし。

 それに、いまの著作権のあり方の疑問を持つのはいけないことじゃないし、一方でこうした著作権侵害に使われる同じようなソフトはたくさんあった。Winnyはその比較的新しいメジャーなヤツ、というだけだ。メジャーになったのは、作者の責任ではないと思うんだけれどな。たまたまその作者が、著作権の現状について疑問を持っていたとして、それを理由に逮捕されちゃうというのは、あまりにかわいそうじゃないか、とぼくは思っている。

 すでに逮捕されちゃった以上、このソフトの作者の運命は今後裁判で決まることではある。たぶん一般にはあまり関心を持たれない裁判じゃないかな、とは思う。でも下手すると、明日のインターネットを左右する技術の行く末が、ここで多少は決まってしまうかもしれない。だから多くの人が、冷や汗まじりでこの裁判を見守っている。上に挙げたような理由から、まったく利己的な希望を言わせてもらえると、ぼくはなんとか無罪になってほしいな、と思っているのだ。逮捕にまで至ったということで、作者がもっとしょげてくれて、十分にそれでお灸をすえたと判断してもらえるといいな、と祈っている。が、どうなりますことやら。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>