(『SIGHT』2003 年 秋号)
山形浩生
いまぼくはタイのバンコクでこれを書いている。その昔、某国の首相がここでやっていたASEANの会議にやってきてIT革命のすばらしさを(付け焼き刃で)語り、この国の代表に「我が国の地方部は電気もろくにきていないところもあるし、IT革命どころではない」と言われると「いや、電気がなくても携帯電話でi-modeができる」と真顔で答えて失笑を買ったことがあったのをご記憶だろうか。
というわけで、今回はそのITの基礎の電気の話だ。
ぼくがいまここにいるのも、実は電力がらみの仕事なんだけれど、いまこの業界でのちょっとした話題は、もちろんしばらく前のアメリカ東海岸の大停電だ。これを書いている時点では、あの停電から一週間。大した混乱もなく終わったので、多くの人は早速もうそんなことがあったことさえ忘れはじめている。でも、よく考えるとおそろしいことではあるんだけれど、一週間たった今になっても、あの停電がなぜ起きたのか、という原因はちゃんとわかっていない。ちゃんと、どころか原因のまともな見当すらついていない。テロではない、というのは当初からさんざん言われていたけれど、それじゃあ一体何なの? あそこらへんのシステムが連鎖反応的にどうした、とか、木が倒れた、とか。さらに、数年前に自衛隊機が送電線につっこんで、東京のかなりの部分が停電したことがあった。でも、あのときは一時間もせずに復旧した。それがアメリカ東海岸の場合には、復旧までに丸一日かかっている。
で、何が起きていたんだろうか。いま、いくつか調査委員会ができて、あれこれ原因を究明すると言っているけれど、一つ上がっている有力な仮説が、どうも電力セクターの自由化のせいじゃないか、ということだ。
電力を安定に供給するのは、そんなにむずかしいことじゃない。発電能力も、送電能力も、十分に余裕を見て多めに作っておけばいい。日本でなら、電気を一番たくさん使う時期――暑い夏の昼間、みんながガンガン冷房をかけてテレビで高校野球を見ている時――にあわせて、さらに1-2割増しくらいのゆとりを見ておけばいい。ついでに、将来どのくらいみんなが電気を使いそうか見通して、それにあわせて設備をはやめに手当しておくこと(発電所を作るには時間がかかるので)。もちろん、余裕をあまり多くとりすぎると、普段は遊んでいる施設ができて効率が悪い。だから望ましいゆとりがどのくらいかは、非常時への対応を重視するか(ならばゆとりたっぷり)、それとも効率を重視するか(なるべく遊んでいる部分を減らす)で、おのずとバランスはあるわけだ。
さて、多くの国では、電力は発電してから送電して家屋や工場に配電するまで、一貫して公共色の強い電力会社が独占してやることが多かった。しばらく前の日本の東京電力や関西電力もそうだ。そして、これがそれなりにうまく機能してきたことも事実だ。でも、その弊害も一部では見られるようになってきた。独占公共事業はどうしてもだんだん官僚的になってくる。競争がないからあまり効率も考えない。肥大化した組織を支えるためだけに、要りもしない設備をどかどか作り、その分を全部料金にのせて国民に高い負担を強いる。一方、利用者の声もあまりきかないから、本当に需要があるところに設備が作られなかったりもする。
てなわけで、サッチャー/レーガン政権下でのなんでも自由化/民営化流行りの風潮の中で、電力も見直そうという気運が出てきた。発電なんて、そんなに難しいもんじゃないんだし、どんどん民間事業者にも発電させて、その電気を自由に売れるようにしようじゃないか。そうすればみんな競争して値下げ合戦をして、効率があがるだろう。需要があると思えば、図体のでかいグズな電力会社よりはるかに急速に新規の発電所もできるだろう、というわけ。それ以外の部分も、どんどん民間ビジネスにすれば効率も上がるはずだ。これを受けて、特にアメリカでは、ここ十年ほどで急速に電力の自由化が進んでいる。
これには確かにいいこともあった。でもその一方で、あなたが民間の発電事業者だったらどう思うだろう。さっき、電力の安定供給には、ゆとりある設備が必要だと言った。つまりふだんは遊んでいる設備がそこそこ要る、ということだ。あなた、遊んでいる施設を敢えて作りたいだろうか? まさか。どうせ作るなら、なるべく遊びのないオペレーションができたほうがいい。需要をキチキチに計算して、なるべくそれにぴったりあわせた形で設備投資するほうがいいだろう。
その他の部分でも、自由化・民営化が進む中で効率化は確かに実現された。でもその裏返しとして、電力システム全体としてのゆとりも下がったんじゃないか。ゆとりをもった投資が行われなくなったんじゃないか。今回の大停電は、そうしたシステム全体のゆとりのなさが表面化した結果じゃないか、というのがいまある有力な説だ。
だからこそ、今回の停電は局所的なものにとどまらなかった。連鎖反応的に、東海岸全体の電力が(カナダまで)次々に落ちた。それはこれがシステム全体の問題だからだ。数年前には、カリフォルニア州でも電力危機があったでしょう。あれも自由化の結果として、一部の発電事業者が悪質な市場操作を行えるようになった結果だと言われる。
そして、原因がわからないのも自由化の弊害だ。関係しているいろんな企業が、自分は悪くない、あっちが負荷をかけた、おれは知らない、と言っているうちに、結局どこに責任があったのかわからなくなっている。市場は高い効率を実現する一方で、ときどきこうやって一斉にダウンする(暴落したりバブルになったり)。それが今回は、かなり裏目に出たんじゃないか。そしてそれだからこそ、復旧にも時間がかかった。だれがどこをどうすればいいか、よくわからなかったからだ。
効率の悪い公共系の独占電力会社なら、効率の悪い分、ゆとりをもった投資もしただろう。何か起きたときにも、対応はもっとはやかっただろう。じゃあどうなんだろう。自由化とか民営化とか、ホントにそんなにいいことなのか。人命に関わるような話、産業上も重要な意味を持つ電力なんかは、なまじそういうことをしないほうがいいんじゃないか。これまでどおり、独占事業体に規制をかけつつ運営させるほうがいいんじゃないか。今回の停電は、そういうおもしろい問題をつきつけてくれる、ちょっと変わった機会でもあったのだ。
ちなみにタイにもIT革命は当然入っているし、バンコクにも秋葉原みたいなところはちゃんとある。ペップリ通りとラチャダブリ通りの交差点近くにある、巨大なショッピングセンターが、上から下まですべて電気街になっている。入り口を入ると、エロDVD売りがものすごいセールス攻勢ををかけてきて、ホントにこっちにしがみついては何やら日本の無修正DVDのコピーを売りつけようとする。ペップリ通りをさらに進めば、そんな西原理恵子が描いていたように、バーチャルでないリアルな肉弾エロがいくらでも出回っているこの国で、わざわざポルノDVDなんか買うのは、馬鹿な観光客か一種の変態くらいらしいけれど、それはさておき、それをかわせばあたりはもう本当にお馴染みのパソコンショップ屋(と違法コピーソフト屋)ばかり。そしてそこに入り浸っている連中も、秋葉原とまるで同じ、あのおたく顔連中だ。ここタイでは、そこに混じってオレンジの僧服姿の坊さんがうろつき、みんなと同じようにハードディスクを買いあさり、ゲームに興じているのは笑える。おい、坊さんがそんなゲームにうつつを抜かしてていいのかよ! だがこの話はまた別の機会に。
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