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2001 年のベストブック:ビジネス&サイエンス

(『SIGHT』2001 年 冬号)pdf 版はこちら。

稲葉振一郎 + 山形浩生

要約: いろんな本が出ました。


『暗号解読』が売れたという事実

――稲葉さんと山形さんには、ビジネス書を中心として「ビジネス・科学」という括りでお話していただければと思うんですけども、まず山形さんの5冊からいきたいんですが、一番お薦めっていうのはどれなんですかね?

山形「読み物として面白かったという意味では『暗号解読』(サイモン・シン)ですね。暗号というものの広い話をしたうえで、最後には最前線の量子暗号の話まであって。理屈もちゃんと説明してるし、なぜ暗号について考えなきゃいけないのかという話もしてるし。また、一部の本屋さんの話だと、この本のおかげで結構数学系の本に興味があるという人も増えてるという」

稲葉「この人は『フェルマーの最終定理』(新潮社)を書いた人ですよね」

山形「そうそうそう」

稲葉「海外は、やっぱりこの手のプロから転向したサイエンス・ジャーナリストが多くて、例えば生物化学のマット・リンドレーなんかもそうですけど、本物の訓練を受けた人がサイエンス・ライターになって優れた本を書いている。その点、日本では、これに匹敵するプロ転向組の本格的サイエンス・ライターがいないという」

山形「悲しいとこですよね。暗号の本では、たぶん来年にスティーヴン・レヴィっていう人の『クリプト』という本の翻訳が出るんですけど、これがまた暗号について人間を中心に描いていくのね。だから、この『暗号解読』にも出てきたジマーマンって人が、ある日ストリップ小屋に行ったときの話なんかがあって、ストリッパーのおねえちゃんが『あんた、何者?』『こうこうこうで』『あたしもあんたが作ったソフト使ってんのよ!』って、ストリッパーと意気投合したとか、わけのわかんねえ話が山ほど出てて」

――ははははは。『暗号解読』はこの手の本にしてはかなり売れたんですかね。

山形「すごい売れたみたい。なぜだか知らないんだけども(笑)」

稲葉「あと暗号と関係なくはないという意味で『CODE』(ローレンス・レッシグ 翔泳社)が今回落ちたのは残念ですよね。山形さんが訳なのに(笑)」

――(笑)『CODE』というのはどんな本なんですか?

稲葉「今の段階でインターネットと社会の問題を考えるときには必携の本じゃないですかね。ネットのことを例に取りながら、管理社会化がどう進行していくかを普遍的に考えていて、例えば、管理社会と言っても単に国家権力の目論見とかいうんじゃなくて、普通の一般利用者がキチンとした暗号が欲しい、セキュリティが欲しいというふうに、市場が管理統制を自ら受け入れる部分がある話とか、管理とか統制とか言うけど、誰がなんのために何をやってるのか具体的に見ていかないとしょうがないっていうことを様々な事例とともに言ってるという」

――なるほど。では、山形さんの2冊目にいきたいんですが、『報酬主義をこえて』(アルフィ・コーン)を選ばれたのは、どんな感じなんですか?

山形「まあここ数年、企業でのリストラに関して、一方で首切るって話と一方で社員がやる気を出すにはどうしたらいいかっていう両方の文脈で『実力主義、報酬主義だ』って声が出てきてると。まあニンジンぶらさげりゃ人は働くっていうのはわかりやすいんだけども、極端な例として言えば、ピカソに『お前、いっぱいボーナスやるからいい絵を描け』って言っても、たぶんいい絵はできないだろうと。基本的にこの本はそういうことを言ってるんですよ。むしろ絵を描くこと自体が動機付けにならないと、結局動機は小さくなってくだけだよと。で、セレクトには挙げなかったんだけど、『ファンキービジネス』(ヨーナス・リッデルストラレ/シェル・ノードストレ 博報堂)という本があって、これも近い内容で。書いてあることの半分ぐらいはIT革命素晴らしいとか、そういう話なので『お前死ね』って感じなんだけども」

――ははははは。

山形「その一方で、人はもう少し自分が面白いってことにこだわんなきゃいけないと。彼らの主張というのは、今はマルクスの世界が実現されてるんだと(笑)。要するに、現代というのは知的労働の部分が増えてると。従って、今は労働者が生産手段を取り戻しているんだと言うんですね。つまり第二次産業がメインだった頃というのは資本家が工場とか機械とか、生産手段を持ってて、労働者はそれを使うだけだったと。だけど、今の労働者は生産手段を自分の頭脳に持っていると。だからそれを使ってもっと面白いことをやろうっていう話で。2冊ともそうした意味では元気になる本」

――じゃあこの本を山形さんはビジネス書として読んだって感じですか。

山形「うん。ビジネス書としても読める。この本は実はアメリカのフリーソフトの連中のあいだでは一つのバイブルで。マイクロソフトに行って金もらって一所懸命ソフト書くぞというのに対して、『そんなことしてもいいソフトなんか書けねえよ。見ろ、マイクロソフトのソフトを。彼らは楽しんでねえんだ』って、そういうことの裏付けとして出てきた本なんですよ。だから、ほんとにそうかっていうのはキチンとした検証が必要なんだけれども、ただそれ以外のところでも、人のやる気をどうやって出させるのか話では非常に参考になる本だと思いますね」

――稲葉さんはどうでした?

稲葉「この人は、この前の本『競争社会をこえて』で有名になって、それでこれが出たんですけどね。その意味では、割と前作の延長線上で、あんまり冒険してないなあと(笑)。だから、そういう人事みたいな側面で言うと、講談社現代新書の『成果主義と人事評価』(内田研二)、あれも良さそうなんですよね。現役の人事マンが書いていて。最近は富士通の社長がいろいろ顰蹙発言を言ったりする時代なんで読んでおいてもいいかなと(笑)」

米のタレント議員と日本の議員の違い

――(笑)では、次は『「社会調査」のウソ』(谷岡一郎)なんですが、これはどんな理由で?

山形「これは、その名の通り、社会調査に関するごまかしを指摘しているものなんだけれども、これを選んだのは世の中、新聞とか雑誌とか統計とか世論調査とか、ああいうものを読むときに『知ってろよ、これ』と。グラフのごまかしとかはよくある話だけれども、もっと基本的な部分で操作されてるんだから、『騙されんじゃねえよ』という。あともう一つは、やっちゃいけないことだけれども、自分がごまかすときのやり方の参考にもなるというか(笑)。実は僕は某総合研究所で働いてるんですが、バックキャストという、この本でもちょっと出てるけども、あらかじめ出したい予測点が決まっていて、そっから考えてデータをはめ込んでくっていうやり方があって。同僚にそういうのやったことありますかって訊くと『あ、すいません、やりました』っていう人が9割以上で」

――ははははは。

山形「だから逆にそういうのに騙されないでおくれっていうかね。内閣支持率とかでもそうだけど、基本的な世の中のメディアの煽り方を見るときの勉強になる。実は僕も稲葉さんが推薦してたので、『あ、こんなのあるんだ』って読んだんだけど」

稲葉「この人は、知る人ぞ知るギャンブラー社会学者で、『ツキの法則』(PHP新書)という本で、ギャンブルがどういうものかっていうのをキチンと確率論として書いていて。だから、キチンとした訓練を受けた人で、博打について書いているという意味では非常に希有な存在なんですよ。この『「社会調査」のウソ』も、扱っているのは統計的調査ですけど、要するに確率の知識っていう意味では『ツキの法則』と同じような問題意識なんですよ」

――まあ社会調査に対する疑わしさって我々でも皮膚感覚としてもあるじゃないですか。だから、こういう本って結構あるのかなとも思ったりしたんですけど、そんなことはないんですかね。

山形「うん。というか、統計でウソをつく方法とか、その手の本なんかはいくつかあるけれども、ここまで簡潔にまとまったっていうのは、僕はあんまり知らないですね」

稲葉「ないでしょうね。社会調査の教科書みたいなものはあるけど、社会調査を読みこなす能力――これを彼は“リサーチ・リテラシー”と呼ぶんだけど――そういう観点から書いた本というのはほとんどなかったんですよ」

――じゃあ、この本というのは結構決定版という感じなんですかね。

山形「うん。個人的には、あまりこれを読まれると、我々の仕事があれがバレるというのもあるんだけども(笑)。でも読んでほしいです」

稲葉「こういう本は大事だと思いますね。今やエクセルで誰でもデータ解析の真似事ができるような時代だからこそ読んでほしいって感じですね」

――なるほど。次は『福祉資本主義の三つの世界』(イエスタ・エスピン・アンデルセン)という――。

山形「これはねえ、まあ最近、将来高齢化社会で年金があるとかねえとか、そういう話は日本でも多くて。『じゃあ今後世界はどうなるのよ、俺が年取ったときにどうやって養われるのよ』っていうのを考えたときに、セイフティネットが要るとは言うんだけど、その具体像がなかなか見えてこないっていうのがあって。その点この本は、セイフティネットの在り方、人をどうやって養ってくかっていうパターンを分類して、こういう道があるんだっていうのを示してくれてるという」

稲葉「これは原書は90年に出た本なんだけど、世界的な名著で。福祉国家論という分野で完全に新しいパラダイムを提起したと言われてるんですよね」

山形「何を言ってるかっていうと、福祉を提供するやり方っていうのは、別に国がお金使うって話だけじゃないと。家庭も福祉を提供するものだし、企業も、福利厚生とか、年金とか、そういう形で福祉を提供する。そうすると、国全体、社会全体としての福祉を考えたときに、単に国が福祉政策を厚くすればいいって話じゃないだろうと。家族による福祉を高めるとか、企業が福利厚生を提供しやすくするっていう手もあるし、そこらへんの混ぜ具合が大事なんだよ、ということを言ってるんです。そして、その混ぜ具合によって福祉国家を類型化していて。だから、今後は年金どんどん切られてますし、実際これから我々があと数十年して定年を迎えて、どうしようかって話を考えると、今のうちに政府が何をしようとしてるかを見るきっかけぐらいになるといいなと」

稲葉「でもやっぱり、日本では先に訳された、この次の本(『ポスト工業経済の社会的基礎』桜井書店)がいいんだよね。この本に対する批判を受け入れて、更に先に進んだ論を展開してて。例えば、この本の終わりにも少し出ているんですが、みんな高齢化のことを問題視してるけど、そこから漏れてるのはどこかっていったら女性と子供で。それを今の日本の現状にあてはめると、まさに日本での労働政策の課題として若年者の教育訓練がこれほど問題になるってことは、誰も予想してなかったんですね。そこんところをしっかりと突いていて。ヨーロッパのような若年層の失業者なんて日本は無縁だってみんな考えてたんだけど、あっという間に似たような社会になってきてる。そういう福祉国家の在り方を紐解くという意味では重要な一冊だと思います」

――そして、山形さんの最後の1冊が『プロレスラー知事』(ジェシー・ヴェンチュラ)。これだけちょっと他と毛色が違うんですが(笑)。

山形「いや、これはね、まず、俺、この人好きっていう(笑)」

――ははははは。

山形「もう一つはやっぱり後半、お金をかけないで選挙に受かって政治の話に入ってきたときに、彼の政策というのは非常に明解なんですよね。例えば学校の問題も、日本であれば石原慎太郎なんかは自分の子供はちゃんとエリート校に入れた上で、一方で学校教育への補助をしないとか、そういう話をするけれども、彼は自分の子供はちゃんと公立学校に入れると。『自分のコミュニティで子供を育てられないなんてけしからん』と。おお、こいつ偉いと。あと、この人の娘さんは身体障害者なんだけど、身障者もちゃんと普通の学校行けるようにすればいいと。で、それを実現していると。だから、政策の明解さという点では今の日本の一部のタレント候補と通じるところはあるんだけど、彼のほうが一貫性を持っていて、しかもそれを実際にやっちゃってるという。だから、これを読むことで、この人と対比して日本のタレント候補はどうかというのを少しは考えていただけるとよいなあと。あと、それ以外でも、この人は圧倒的に面白い人生送ってるので、読みなさいと(笑)」

稲葉「だから、この人の考え方って、政府はなるべく手を出さないっていうリバータリアン(自由主義者)に近くて。だけどコミュニティを維持するんですよ。市場主義というわけではなくて、自発的コミュニティを重視するというのは面白いポイントですね。アメリカならではの草の根主義っつうかね」

山形「うん。あとアメリカの選挙って恐ろしくて、もう郵便番号別に、この地区の人はどういう人種でどのくらいの所得で、どういう嗜好を持っていてっていうデータベースが全部完成していて。選挙運動ってほとんどそれに合わせて上手くセリフを決めてやると、全部ホイホイ動くっていうすごいことになってて。だけどそういう観点から見ても、この人が知事に当選したケースは意外だったらしいんですよ。だから、彼の選挙運動自体研究対象になっていて、この人の政策もおそらく研究対象になるでしょう。なるべく政府はタッチしないし、規制もしないっていう政策っていうのが上手くいくんかいなっていう。それこそリバータリアンの一歩手前みたいな政策だけども、その実験としてもすごく面白えなと。だから、すごく注目してます」

『だれが「本」を殺すのか』の迫真性

――わかりました。では、稲葉さんの5冊にいきたいんですけども、『だれが「本」を殺すのか』(佐野眞一)は非常に話題になった一冊ですが――。

稲葉「いや、これはやっぱり読んでおかないと。本礼賛論ではないんだけれども、IT革命がどうとか言ってる今、本が大事であるっていうことが改めてわかるというか。今、本の在り方が革命的に変わっているのはわかるんだけど、ただそれがどこに行くかなんて誰にもわかんない話で(笑)。そういうときに現場に寄り添ったこういう本は非常に大事だし。特にメディア論とか言ってる奴はこれ読まなきゃいかんだろうと。まあ、社会教育を考える上での基本文献だと思いますけどね」

――山形さんはどうでした?

山形「いや、面白かった。なんか2ちゃんねるでは、みんな点が辛くて、『古くせえ本擁護論だよ』という感じで(笑)、全然期待していなかったんだけども、やっぱり2ちゃんねるなんか信用しちゃいけねえなと(笑)」

――ははははは。

山形「ただねえ、佐野眞一という人は全般的に出てくる結論はそんなに面白いと思わないのね。この本でも、いろんな人のインタヴューは『おおーっ!』て感じなんだけども、最後になにか残るかっていうと、あんまり残んない(笑)。それが惜しいなと思うんだけども。ただ逆に言えば、ディテイルの迫真性みたいなのがあるんですよね。僕、この人の『カリスマ』(日経BP社)を読んだときにすごく不満で。何月何日に何店のオープンにやって来て、キャベツがねえって指示したとかいう話がずっと書いてあって、それがどうしたっていう(笑)。『キャベツ売ろうが何しようが、知るかよ、そんなこと』って(笑)。そういうとこは不満だったんだけども、ある意味これを読んで、そういうのもありかなという気はした」

稲葉「どこかの書評で、印象はいっぱい積み上がるけどトータルな数字でどうなってるかが明解に示されないという批判があったんだけど、それはやっぱりルポライターの仕事ではないですよ。むしろそういうことやんなきゃいけないのは学者なんだよね。トータルな出版産業論が学術的に日本にないことのほうが問題で。この人責めるんじゃなくて、経済学者、経営学者を責めろよっていう感じですかね」

――では、2冊目は『フロン』(岡田斗司夫)なんですが。

稲葉「『フロン』は、まあ『夫をリストラせよ!』で有名になりましたけど、批判は簡単なんです。『リストラっていうけど、要するに夫が家庭で何もしないで楽するだけじゃん』って。だけど、この人の真意というのは、より効率的に使うために外部化したほうがいい場合には夫を外部化する、それがリストラだと言うわけですね。つまり、『家族というのは社会のマネージメントの単位である』と言い切ってるわけですよ。例えば、結婚してようが、子供がいないカップルなんてのは、ただの同棲だと。『家庭というのはケアしなきゃいけない対象をケアするためのシステムなんだ、愛情とか安らぎとか言ってる暇があるか、バカ野郎。とにかくそういうケアをできるだけ効率化して、その担い手に余裕を持たせなきゃダメだ』と。この問題提起は絶対的に正しいですよ。これが真面目に子育てやってる父ちゃん母ちゃんの気持ちだと僕は思いますよ」

山形「いやあ、僕はなんかね、そこまで実感持てなくて。『はぁ、なるほど。そういうのもあるかな』ってぐらいの話で。ただ、やっぱりこの本でいいなと僕が思ったのは、例えば日本の社会の建て直しとかいう話をするときって、それこそ宮崎哲弥みたいな人が何を言うかっていうと、昔あった価値観に戻ろうみたいな話とか、昔あったある程度規制の大きいコミュニティみたいなものを作ろうっていう話をするんだけれども、それに対して我々は、もうある程度の自由っていうのを味わっちゃったので、昔みたいに縛りの多いところに戻って、父権の確立とか、移動の不自由なコミュニティってものを確立しなきゃいけないっていう考え方は辛いだろうっていう。それは非常に現実味覚えるし。そこをちゃんと前提にしてくれてるというのは嬉しいなと。よく子供の面倒をみられないって話になると、『親がしっかりしねえからだ!』って話になって、親の辛いほうにばっかり話が進むんだけども、そうじゃない。その意味でこれは、上手くいくかは別問題だけれども、新しい考え方を打ち出せてるなあと思います」

現代経済の入門書『サイバー経済学』

――次は、『階層化日本と教育危機』(苅谷剛彦)というものなんですが。

稲葉「この本のポイントというのは二つあって。一つは日本のゆとり教育が政策としてかなりまずいってことを明らかにしたことです。ここでは統計をもとに本格的な社会学の作業でそれが述べられてるんですが、そこから言えるのは、たぶんゆとり教育に限らず、日本の政策というのは、きちんとした政策評価、政策の効果を調べるということをキチンとやってこなかったってことです。同時に政策批判にしても、イデオロギー的に批判することじゃダメで、政策のパフォーマンスを見てダメだと突きつける類のことをアカデミズムが怠ってきたことまで明らかにしてしまってるんですね。まずこれが一点です。そして第二点としては、この本が出るまでは、いわゆるヨーロッパなんかの階級構造は日本では教育の面でも当てはまんないというのが通説で、それは実際間違いじゃなかったんですね。格差はあるんだけど小さいし、上も下も文化的には結構共通で階級文化のような分断がないと。教育社会学でも割とそういう感じの研究が多かったんですけど、この刈谷さんの本は、むしろヨーロッパのような格差が日本でも始まってるのを統計によって明らかにしているんです」

山形「アメリカでは、そういう教育社会学というのは、人種問題と密接に絡んだことして出てきて。例えば、知能試験で“yard”っていう言葉が出てきたとして、黒人の貧しいところなんかは中庭のある家なんかに住んでないわけですよ。そういうところから白人の上位を温存させるための人種差別的なものだっていう批判があって。だから、もしかすると、アメリカ経由で日本にそういう教育社会学が入ってきたときに、日本では人種の問題があまりないから、格差なんかに関して『まあ、あれは関係ねえや』っていうのもあったんでしょうね」

――『サイバー経済学』(小島寛之)というのはどういう理由で?

稲葉「これは新書版サイズで、キチンと経済学の基礎を踏まえながら、経済の先端領域までをカバーした啓蒙書で。まあ確かに、サイバーというか、ITの発達でこれほど金融取引がややこしくてなってるなか、オーソドックスな経済学の道具で平明に解説したものはあまりなくて。そういう意味で、これは非常にいい。金融革命に関しては、いろんな本があるけど、それこそ金融革命の経済学というレベルに達してるものはそんなにないと思いますね」

山形「第1章の“サイバー経済”を読んだときは『SF作家ウィリアム・ギブソンがサイバーパンクという分野を樹立し、ギブソン原作の『JM』という映画が大成功を収めたときは』って、嘘つけ、あれ大コケしただろう!」

――ははははは。

山形「この人あんまり知らないだろうって思ったんだけど、2章以降は面白い。バブルの話もキチンとしてて。世にあるバブル批判の本は、『あいつらバブルなんて、こんなこともわかんなかったのか、バーカ』っていう本ばっかりだけども、これはそうじゃなくて、バブルのなかにいる人にとって地価がガンガン上がっていれば、確かにおかしい水準には来てるけれども、来年ぐらいまではもつだろうっていう判断は合理的であるんだよと。ただみんなが合理的な判断しても、全体としてよくなるわけじゃねえんだっていう話を非常にキチンと押さえてるし。ミクロ経済学とマクロ経済学の違いみたいなのもキチンと押さえられてるし。あと、最後のほうではSIGHTでも連載している小野さんの理論も説明されていてわかりやすいし(笑)」

――90年代以降の経済の教科書として、すごくコンパクトにまとまったものなのかなと思ったんですけど。

山形「うん。ただこれだけじゃないダメだけどね」

稲葉「初めの一歩。匂いを嗅ぐにはいいんじゃないかと思うんですよ」

――じゃあ、最後は『経済の本質』(ジェイン・ジェイコブズ)という。

山形「これは……難しい本だよね。言ってることは、経済の原則というのは、自然の持ってる原則と、たぶん似たようなところがあるはずだという。例えば経済的に言うと、いろんなものに手を出すよりも一つのものに特化して作ったほうが効率いいってなるけれども、でも自然を見るとどんどん多様な方向に進んでるし、経済ってそんな一極集中で一つのものだけ作ってるのがいかにいけないことかっていうのがわかるだろう、って説明してて。でも、この本の一番不満なところというのは、経済のやり方と、それから自然のやり方のあいだに似たところがあるのはわかった。けど、『お前そっからどうするんだよ?』っていう話がいまいち……」

稲葉「まあ、やっぱり、この本だけでは困るというか。この本はジェイコブズの経済理論の現時点での総括みたいなとこがあるんですけど、確かに前著(『市場の倫理、統治の倫理』日本経済新聞社)と比べると若干迫力が落ちる。ただ、今の日本はジェイコブズの著書がほとんど絶版で読めないっていう非常に困った状況になっていて。そういうなかでとりあえずジェイコブズを紹介したかったという」

――前著は面白いんですか。

山形「前著は、世の中には市場でカタがつくことと市場ではカタがつかないことがあるんだっていう話で。それをゴッチャにして、なんでも市場で解決できるとか思うのは間違いで。だから、国は、市場で解決できないモラルっていうのをまた別のやり方でオペレーションしなきゃいけないっていう話を、非常に筋道立ててしていて。そのなかでNGOとか、政府とか、そういうものの役割もかなり上手く整理されていて。『おお、こういう整理ができるんだ!』という」

稲葉「まあ、このジェイコブズというのは例外的な存在なんですよ。この人以外にプロの経済学者から尊敬されてるアマチュアの経済評論家ってのは、まずいないんですよね」

山形「うん。経済だけじゃなくて、この人の本は都市工学とか都市設計の事業では必読の副読本になってるので。そこでしてるのは、区画整理して、はいここオフィス、ここ住宅っていうやり方がいかに有害であるかっていう。そこにあったコミュニティであるとか、都市の活力そのものを支えていた社会的な仕組みを全部破壊するやり方がいかによくないかっていう話で。じゃあそれを生き長らえさせるにはどうしたらいいかっていうのをずーっと、発想の根本に置いてた人で。そのなかで、ローカルな人たちの活動を支えるっていうのが非常に大事なんだ、それがまた経済全体を支えることにもなるんだって話から、どんどん話が経済全体のほうに進んでいったんですよね」

『ザ・ゴール』の有効性

――では、最後に編集部の5冊にいきたいんですが、『マッキンゼー式世界最強の仕事術』(イーサン・M・ラジエル)。これは読んでみてどうでした?

山形「いやー、これは『へーん』てなもんでしかないんだけどなあ(笑)。まあ、プレゼンのやり方とかプロジェクト構築の方法とか、かなり具体的な記述があるから参考にはなるんだろうけど、ただ、これを読んだからといって、仕事できるようにはならない(笑)」

――ははははは。稲葉さんはどうでした? 学者の立場から。

稲葉「いやあ、ああなるほどな、コンサルタントってこういう仕事してんのかって。だから、そこそこいい会社で、そこそこ仕事をしながら、ちゃんと鍛えられてる人にとっては参考になるかもしんないけど、それ以外の人々にとってはどれくらい役に立つのかとか、ちょっと僕にも判断できないなあ」

山形「確かに会社のなかで、上司にプレゼンしなきゃいけない、社内ミーティングでなにかしなきゃいけないときにはそこそこ使えなくはない。ただ、アメリカのビジネススクールを出た坊ちゃん嬢ちゃんがよくやるのが、会議とかで、これの目次みたいなことをそのまま口走るとこがあって(笑)。『まず我々はこの会議において問題の本質を見極めなきゃいけません』『そんなこと知ってるよバカ野郎!』と」

――ははははは。

山形「だから読むのはいいし、使えるとこは使えるけれども、目次そのまま読むような真似はしないでね、すぐバレるから、という(笑)」

――(笑)。では次に、今年最も売れた『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン)という。

山形「なんでこれ買うの? みんな」

稲葉「うん(笑)。間違ったこと言ってないかもしんないけど、大の大人が今さら別にどうでもいいじゃんという(笑)。それだったら『バター~』の『もういいからここにいなさいよ、のんべんだらりとやんなさい』のほうが好きなんだけど」

山形「うん。ただ、これを読んだ人が何を求めてるんだろうっていうのはほんとに謎で。訳した奴も羨ましいよな、まったく。さっきの『CODE』で何倍俺は訳したと思ってるんだという」

稲葉「ははははは」

山形「ただ、これは、要するに短くて、バッと読むと1冊読めましたっていう達成感が得られて」

稲葉「達成感(笑)」

山形「で、書いてあることが、『やっぱり前向きに行動して探さなきゃ!』っていうメッセージで、みんなそこそこカタルシスを得てるんじゃないですかという。けれど、それがなぜこの本なのかというのは、やっぱり相変わらずわかんないなあ」

稲葉「うん。少し前の小室哲哉の曲の歌詞みたいだよね。前向きになれるし、癒してくれる(笑)。同じぐらいの感じのもんだと思うんだけど」

山形「僕、最初もっと絵本みたいなものだと思ってた、これ」

稲葉「そういう本だと思ったら、なんか説教臭いんだよね。せめて説教臭くなかったら良かったのにって(笑)」

――(笑)。では次は『ザ・ゴール』(エリヤフ・ゴールドラット)なんですけども。これはどうでした?

山形「これ、結構面白かった」

稲葉「生産管理の勉強本として、よくできてそうな気はします。特に、ボーイスカウトを引率してハイキングに行って、そこでこの本の肝となるTOCというロジックに気付くところがあるんだけど、あのへんなんか上手いね」

山形「工場の中で一番手間のかかる工程のところがボトルネックで、そこをフル稼働させて、他のところはそれに合わせればいい、無理する必要はないんだっていう考え方と、もう一つは、でもそのボトルネックというのは改善していくと工場の中でどんどん動いていくんだって話を、非常に小説仕立てで上手く絡めていて」

稲葉「ただ、大変立派で教育的でいいこと言ってると思うけど、250万部売れるほどの本なのかとか、解説に書いてある、これを紹介したら日本の生産性が上がって、貿易摩擦が再燃して、世界経済が破滅するっていう、それはどうなんだろうと」

山形「(笑)まあ、それはねぇ」

稲葉「だから、生産管理の教科書に新しい1章を付け加えたか、加えないかぐらいの話じゃないかなと(笑)」

山形「うん。でも数字で教科書的に説明されるよりはこういう小説で一通り読んで考え方がわかるし、たぶん次に読む時はこの数字ほんとかなって確かめたくなるようなところもあるし。だからその意味ではよくできてる。もっと馬鹿な本かと思ってたんだけども」

稲葉「そんなに馬鹿じゃないね。地に足が着いてる感じはある」

山形「ただこの、最後のところがなんか馬鹿なんだよなあ。『私たちが探し求めているものは、いったい何なんだ。三つの簡単な質問に答えることのできる能力じゃないのか。“何を変える”、“何に変える”、それから“どうやって変える”かだ』と(笑)」

稲葉「はははは」

山形「そんなのすべてそうじゃん? ていうか、今さら、それを言ってどうすんだよ、お前っていう」

稲葉「うん。内容のないカタルシス作ってるよね。でも、その分、分厚いわりには読みやすいから。生産管理の教科書しんどいって人が、まあその前に読むぐらいの本にはいいかも」

『金持ち父さん 貧乏父さん』の欠点

――じゃあ次は『竹中教授のみんなの経済学』(竹中平蔵)なんですが。

稲葉「前半読んだときは、立場はともあれ意外とまともじゃないと思って。割とわかりやすいし、目配りは広いし。難を言えば環境問題とかがないことかなと思ってはいるんだけど。ただ後半で、ITとか言ってる頃にはもう、爆発してますね(笑)。構造改革とか、リストラとかいう辺りから少し怪しくなるんだけど、『普通の人もあんまり郵貯に逃げてないで資産運用しましょう』という辺りからどんどん怪しくなっていって。IT礼賛に行くともう、鼻先にニンジンぶら下げもせずにケツ叩いてるだけだなっていう(笑)」

――(笑)山形さんはどうでした?

山形「あのー、結論だけ欲しい人が太字のところを見て聞いたふうな口を利くという意味では、まあ前半はいいだろうと。ただ後半になって孫(正義)さんとかITの話が出てくると、もうやめてくれよっていう。だから、まあ、前半だけパッと読んでおくには悪くはないかなと。中谷(巌)の『痛快!経済学』(集英社インターナショナル)と比べると、まだ少しはこっちのがいいかなっていう(笑)」

――ははははは。最後は『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ)なんですが。

稲葉「僕、これ買っちゃったんすよ」

山形「どうして(笑)」

稲葉「『人生設計入門』みたいな本かなと期待したんだけど、あっちのほうがいいよね、格段に」

山形「うん。『人生設計入門』は逆だもんね。投資も素晴らしいんだけれども、でもいろいろ見てみると一般の人に与えられてる投資チャンスなんか全然ないのです、と。だから要するに、貧乏人にできることというのは、きちんと働くことだっていう。それと比べると、この本って『借金するな、投資しなさい』『あ、そう』っていう」

――ははははは。

稲葉「いや、ていうか、このロバート・キヨサキっていう人は、自分とこの投資教育ゲーム、なんだっけ、そう『キャッシュフロー』、これを売りたいがための本なんでしょ?(笑)」

山形「『キャッシュフロー・フォー・キッズ』。いいよなあ(笑)」

稲葉「『投資っていうのが有効なビジネスを育てることなんですよ、だから金融とか株は別に汚いもんじゃないんですよ』って言うことは確かに大事なんだけど、じゃあそういう生産的な投資を一般投資家がするためには何をしたらいいかっていうと、とんでもなく高いハードルが日本にはある。例えば投資信託にお金を預けたらいいかっていうと、投資信託の連中が勝手な(笑)ことをやるわけでしょう?」

山形「うん。だから要するに、この本の前提自体が間違ってるんだよね」

稲葉「そう。自分のお金を使って役に立てられる人がいるんだったら、まあ貸してもよろしいと思ってる人は日本に結構いると思うんだけど、誰に貸しゃあいいのかわからないわけで。実際この著者がやったのも、自分で汗水たらして働いてるわけですよね。会社にまず雇われて、ノウハウ蓄積して、自分で独立して、ビジネスをしてお金を貯めましたって話で。地道なんですよ。稼いだお金をいかに上手に回しますかじゃなくて、やっぱりその前の稼ぐところにあんたの成功の秘訣があったんでしょ、と。だからちょっとね、拍子抜けするわけ (笑)」

――へえ。じゃあ資産運用を喚起する内容の本ではないんですか。

山形「書いてる意図としてはたぶんそういうことしたいんだけれども」

稲葉「伝わってくるのは、運用するほどの資産はやっぱり働いて得なきゃな、っていうことでね」

山形「うん。あと、運用するといいよっていうのと現実にじゃあそれができんの?という話は、またちょっと別のわけですよね」

――なるほど。じゃあ大体一通り15冊見ていったんですが、最後に5冊から外れてしまったお勧めの本などあればお聞きしたいんですけども。まず稲葉さんのほうから。

稲葉「僕は4冊。文化に対して進化論的なアプローチをした『表象は感染する』(ダン・スベルビル 新潮社)。同じく進化論という点では『ダーウィンの危険な思想』(ダニエル・C・デネット 青土社)。怪しいところも多いんだけど、AIとか社会生物学とかを考えるのに、なんかしら使える。あと山形さんから挙がった『福祉資本主義の三つの世界』の関連という意味で『社会変動の中の福祉国家』(富永健一 中公新書)。福祉国家としての日本の現状をわかりやすく教えてくれる啓蒙書です。最後は『イギリスと日本』。なぜヨーロッパではイギリス、アジアでは日本から産業革命が始まったのかということをトータルに分析しています」

――では山形さんは?

山形「僕は2冊。一つは、森山和道さんも誉めてた『人体部品ビジネス』(粟谷剛 講談社選書メチエ)。2年前に出たものなんだけど、臓器売買がビジネスとして成立するようになってきて、それに対する倫理的な問題も山ほど出てきてるんだけど、人が治るという大義の下どんどん進行している実態がキチンと書かれた本。もう一冊は、科学書ではないんだけど、瀬名秀明の『虹の天象儀』(瀬名秀明 祥伝社)。プラネタリウムの閉館をテーマにした話で科学書と小説の中間みたいな感じで、サクッと読めるし、非常によいもんじゃないかと」

――(笑)ちなみに編集部から挙げた5冊の中で、一番まともだったのはどれなんですか?

山形「『ザ・ゴール』」

稲葉「うん、間違いないですね(笑)」

――じゃあ一番きつかったものっていうのは?(笑)。

山形「『チーズ~』はねえ、500円なら許すかなとか、そういう世界だよね」

稲葉「うん。あと『みんなの経済学』も後半かなり危ないよね」

山形「でも、個人的には『金持ち父さん~』のほうがイヤらしいというか、煽りという面ではこれが一番煽ってるという、そういう気はしますね」●

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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