Valid XHTML 1.0! Sight 7 号 (2001.3 刊行) 書評:連載第 7 回

21世紀の世界のゆくえ。

カク・ミチオ『サイエンス21』(翔泳社)
世界銀行『世界開発報告一九九九/二〇〇〇』(東洋経済)

山形浩生


 二十一世紀初の原稿だ。二十一世紀。もう言い古されていることだけれど、ぼくがガキの頃に見た大阪万博の時代には、二十一世紀はもっと未来未来しているはずだった。人類は地球的な問題は一通り解決し終えているはずだった。終戦後から一九七〇年までの間に、先進国はかなりすさまじい発展をとげ、科学と技術は進歩し、人々の生活は劇的に変わった。あとはそれをもうちょっとのばす一方で、後進国(当時はそう呼んでいたし、いまだってこれを言い換えたところで何の解決にもならないと思う)にもその成果をばらまけばおしまいのはずだった。

 が、もちろんそうはなっていない。

 カク・ミチオ『サイエンス21』(翔泳社)を読むとき、ぼくはなんとなく、ガキだった一九七〇年代あたりに読んだいろんな未来予測の本を思い出す。二十一世紀にはコンピュータ、量子、バイオ。この三領域での科学の発展が未来を変えるだろう、とカクは書いている。ああそうだね、むかしもそういうことが言われていた。コンピュータ技術の発展はすべてを変えるはずだった。一九六〇年代、七〇年代は、計画の時代だった。市場のカオスに対して合理的なモデルによる計画が人や社会を決定的に変えるはずで、計算機技術の進歩がそれを圧倒的に支援するはずだった。原子力、特に核融合が人々に無限のエネルギーを与えてくれるはずだった。バイオ技術の進展で、緑の革命が世界にもたらされるはずだった。

Science 21

 その希望の末路をぼくたちはすでに知っている。

 この本自体は、とってもおもしろいし勉強になる本だ。これは世界の科学者にカク・ミチオ(かれ自身が第一線で活躍している科学者だ)がインタビューしまくってまとめた、科学の現状とその将来に関する見事なまとめだ。コンピュータ革命による、いままでとは決定的に異なる環境そのもののインテリジェント化。DNA の完全解読(単に配列ではなく機能まで)による新たな可能性。そして量子の克服による新しいエネルギーと空間の支配。カクはそれらが相互に関連しあった未来の科学技術のあり方について、統一的に説得力ある形で記述するのに成功している。森山和道の解説も、簡潔だけれどポイントをおさえていて勉強になる。

 古くなっている部分もある。革新的なDNAコンピュータを使って数ヶ月かかるとされているDES暗号は、原著刊行の翌年にはすでに、民生用カスタムチップを使った百万円ほどのマシンで、ものの一週間ほどで解読されている(EFF『DES のクラック』参照)。ヒトゲノムの配列の解読が予想よりずっとはやく終わったのも周知のことだろう。でも、それはカクの基本的な予想を裏切るものじゃない。

 ただ、技術的にできることと、実際にやることとはちがうんだ。

 カクは、地球文明がいまの地域間抗争の段階から、惑星上のあらゆるエネルギーを自在に支配するタイプ一文明へ百年ほどで進歩するだろうと言う。その根拠として、かれはアジア諸国の年10%成長をあげている。原著刊行直後に、アジア通貨危機が起きたのは皮肉だ。さらにグローバル化が進む論拠として引用するのが、レスター・サローや大前研一というドキュソ(©2ちゃんねる)な連中。(ちなみにギデンス『第三の道』の中でも大前研一がまじめに採り上げられててびっくり)。

 ぼくはカクが正しいにしても、それが実現されるのはずいぶん先になると思う。遺伝子関連の分野は、たぶん人間の尊厳とかなんとかで足かせがかかるだろう。医薬品の発展も、バカな動物愛護団体の活動のせいで脅かされるかもしれない。

そして、それ以前にその惑星規模のタイプ1文明に地球が到達するまでに克服すべき課題は山ほどある。それを見せてくれるのが世界銀行『世界開発報告一九九九/二〇〇〇』(東洋経済)だ。

World Development Report

 これは世界銀行が、過去数十年の開発援助の経験をふまえて、現状と、今後行うべきことをまとめた本だ。本書に挙げられた課題――貧困、人口増加、食料と資源の不足、水、都市化、健康、社会組織、不平等、官僚主義と腐敗――を見て、ため息をつかずにいられる人は、たぶんかなり無神経な人なんだと思う。問題の一覧表はぜんぜん変わっておらず、それぞれの項目も、目に見えて改善されたものは数えるほどしかない。惑星規模の文明に到達するまでの道のりのなんと遠いことか。そしてそのための処方箋として世界銀行がここで挙げていることも、どこまで決定的なものなのか、実はよくわかっていない。そしてある程度はうまくいくことがわかっている(そして惑星文明への移行に不可欠な)グローバル化すら、考えの浅い一部の過激派に攻撃されているありさまだ。

 ぼくは必要以上にペシミスティックになっているのかもしれない。その一つの理由は、これを書いているぼくがこの数週間にわたってインドやバングラデシュの農村をまわる日々を送っているからかもしれない。この本に書いてある各種のことが、ここではほとんど現実味を持たない。貧困と飢えがそこらじゅうにある。これがあと数十年、いや百年で解消される、とはぼくは思わないのだ。もちろん、解決しようとして人々は動く。そして、その中にかなり大きなビジネスチャンスはある。環境の排出権取引とかね。でも、それが効力を発揮するのは……うーん、どうだろう。

 そして、ぼくはもう一つ、カクの本でちょっとふれられているだけの問題が今世紀中にでっかくなるんじゃないかと思う。それは人口減少だ。いずれ生活と教育の水準があがるにつれて、世界的に出生率は減り、いずれ人口は減少に向かうと思われている。先進国ではかなりはやめに、後進国でも二〇五〇年くらいで減少をはじめる、というかなり有力な推計もある。そのとき、人類は自分たちのやってきた活動のなにかをあきらめなきゃならなくなるだろう。自動化でなんとかなる部分もあるけれど、そうじゃない部分がある。そのとき、ぼくは宇宙旅行にプライオリティがあがるとは思えない。科学も、現在のような形で推進されるかどうかは疑わしい。

 もちろん、これはいつか変わるかもしれない。それこそカクの言うバイオ技術かなんかで。でもそうなるためには、ぼくは生命倫理とかの連中がもったいぶって口にする、人間の尊厳という考え方を捨てなきゃいけないんじゃないかと思う。たとえばだれでも勝手におもしろ半分で試験管ベビーを作ったりクローンをしたりすることを認めるようにすれば、みんな嬉々として子供をつくるかもしれない。ペットみたいに子供をつくって、飽きたらそれを捨てて社会に面倒を見させるようにすれば、人口は増えるかもしれない。あるいは、自分の子供に対する無関心が人口増につながるかもしれない。でも人類はそうしたいと思うだろうか? わからない。

 またそれとは別に、惑星規模のエネルギー管理のためには、かなり中央集権的で強力な管理社会が要求されるんじゃないか。自由や匿名性という価値観はそのとき守られるだろうか? わからない。

 二十世紀後半になって、初めて「全地球」という単位でものを考えることが現実味を持ってきたのは事実ではある。もし二十一世紀に全地球的な文明が構築されるとして、そこでもプライオリティはどういうものになるだろうか。その基本となる価値観はどんなものだろうか。『サイエンス21』『世界開発報告一九九九/二〇〇〇』では、その部分で決定的な差がある。かつての理想では、そこに差はないはずだった。両者は矛盾しないはずだった。科学の進歩が社会の進歩を生み、飢えをなくし、人々の生活水準をあげて幸福をもたらすはずだった。いま、この『サイエンス21』の内容と、『世界開発報告一九九九/二〇〇〇』との記述を比べたとき、この両者がきれいにむすびつき、相互に支え合うような絵を描くのはむずかしい。

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