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連載 第 03 回

On The Road.


山形浩生

 考えてみれば、道からおりたのはもう 8 年ぶりのこと。もっともそのとき、かれはすでに考えたりできなくなっていたのだけれど。

 13 年前。職をなくして 4 年目に、妻と離婚、家を持っていかれた。以来、ずっと路上だ。昼間は路駐規制が厳しいので止まれない。だから起きている間はひたすら走り続ける。寝るときには、昔は一般道で路駐していたけれど、首都高速に自動走行レーンが完成してからはその必要もなくなった。

 いったん高速にのってしまえば、特に不自由はない。あちこちの路肩には、かれのようなモバイラー相手の店も出ている。同類は多い。問題は金だ。支払いはカードですむけれど、貯金もいつまで持つかはわからない。だから高速の乗り降りはなるべく避けたい。さらに多くのモバイラーは電池節約のため、自動走行路線でコンボイ走行中の無人自走貨物車両にアームをつないでから動力を切る。昼間はもっぱらそうやってひたすら充電に費やされる。貨物車がコンボイ離脱信号を出したら、アームをはずして次の車を探せばいい。

 自動走行の車両群を見たことがあるだろうか。数十台の車両が、わずか 30 cm ほどの車間距離で一団となって、時速 100 km 以上で走り続ける。それと併走しつつ、割り込み信号を出すと、ゲートが開くように車間が空いて、自分の車がそこに吸い込まれる。頭ではわかるけれど、毎回胸と背中に冷や汗がにじむ。気がつくと、前後左右すべてに無人の巨大な自走貨物車が迫っている。運転席にはだれもいない。ときどき、このまま押しつぶされそうな閉所恐怖症じみた気分にとらわれ、胸にさすような痛みが走る。

 自走貨物車は一目でわかる。まったく同じ規格の白トラック。巨大なヤードにそれが果てしなく並んでいたけれど、どこだか思い出せない。思い出す気もない。路上にいる限り、「どこ」を意識することはない。ただ動き続ける。動き続けさえすれば、それでいい。あたり一面が道路だ。道だけがかれの世界。いや、道すら意識することはあまりない。このせまい車の中だけが、もはやかれの持つすべてだった。テレビと電話とメール:もうそれ以外にはあまり興味もなかった。

2043 年 7 月 10 日:
 10 日未明、首都高速道路箱崎インター付近で乗用車が自動走行車線からの離脱に失敗。一般車線の車両五台とコンボイ走行中の車両群 23 台を巻き込んで、死者 3 名、重軽傷 8 名の大惨事となった。警察では被害者の身元確認などを急いでいる。

 調べによると、乗用車はアームでコンボイ走行中の車両に接続しており、離脱にあたってアームの切り離しが間に合わなかった模様。そのままコンボイにひきずられる形で一般車線の車両に次々に追突。そのうち 2 台が自走車線に突入してコンボイ全体が一気に追突状態となった。このため首都高速の一部では、未だに道路封鎖が続いており都民の足への影響が懸念されている。

 たまに、道から車が消えることがあった。たいがいは事故処理で道が封鎖されるためだけれど、ときになんの理由もなく、ぽっかりと空白地帯が開ける。そのまれな瞬間、一般車線で車を最大可能速度まで上げる。それがかれにとって、唯一の「解放」の瞬間だった。

 死ぬまぎわ。そのときにもそんな瞬間があった。だれもいない、暗い車線を、かれ一人が走っている。ふとかれは、道に見られているような気がした。また胸が痛い。

2043 年 7 月 15 日:
 14 日深夜、首都高速平和島付近で、乗用車の中から森沢一郎さん(84)の死体が発見された。死因は心筋梗塞。死体は死後 2 日を経過しており、死後も自動走行のまま走り続けたために発見が遅れた模様。電池が切れて自動走行から排出され、ようやく発見につながった。

 遺体は親族に引き取られたが、車両の記録によると森沢さんが首都高速に入ったのは 8 年前となっているとのこと。森沢さんにとっては 8 年ぶりの悲しい「地上への帰還」といえそうだ。




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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)