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連載 第 02 回

年寄りは、寝ている。


山形浩生

 その頃。

 東京湾の反対側からちょいとずれたところでは、夜のはやい年寄りたちがさっさとセルで寝静まり(といっても 20 人くらいは死んでるだけかもしれん、やれやれ。でもどうであと 2 〜 3 日はみつからんよ)、階段室ばかりがひたすら無用に煌々と照らされているのである。いつもながらうだるような暑さのなか、ヒトの気配はほとんどない。ただ無数の冷房装置がたてる低周波の振動が、鈍いうめきとなって街全体を微かにふるわせている。

 最近ではこんなふうに、昼と夜は実にすがすがしくはっきりわかれちゃってる。夕方、年寄りは自分のセルでテレビを見てる。夜には、寝ている。昼間、年寄りはテレビを見てる。食料を、無駄なエネルギーと排泄物に変換しながら。みんな生産活動に従事する気は特にない。たまに飽きると、ずっと窓から外を見物。そこには、果てしなく続く同じようなセル街があるだけなのだけれど。それとも、ここを貫通して通過するだけの、輸送動脈を走る車両を眺められるかもしれない。いまや自分とは無縁の、生産現場の片鱗を懐かしんでるのかもね。でも小一時間もすると、それにも飽きてテレビに戻る。

 そして朝の小半時だけ、外に出てあちこちにたむろして、焦点のあわない目線で、なにを見るともなく見てるんだ。じっと。ひたすら。見られるもの、動くものはすべて見られる。われわれも。はっと気がつくと、四方八方、見渡す限りの年寄りたちが、そこらじゅうのでっかい備蓄施設や通信塔や高架(その向こうにもまたセル街が見えるんだ)をバックに、あるいはセルの窓から、みんなこっちをじっと見つめてる。無表情に。何の感情もみせずに。こわい。でも見るだけ。なにもしない。ろくに覚えてもいないらしいよ。こないだここらでキルギス人が殺されたときも、見ていた人はいくらもいたはずなのに、目撃者はぜんぜん出ていない。

 とはいっても、かれらがテレビに飽きるなんて滅多にないんだけどね。多くの年寄りは、そもそもテレビに飽きるという発想がないから。それに、視覚刺激へのヒトの反応パターンは、前世紀のハリウッド映画、MTV、日本アニメやマンガの発達で究極のところまで研究が進んでるんだよ。スリットからのぞく白い三角形。Y 字のひだ。流線。原色テロップ。ダッシュボードと傷口のアングル。数字。欲望も感情も、こんなパターンを見せるだけでほぼ条件反射的にコントロールできる。いまのテレビは、抽象画のモンタージュのめまぐるしい連続か、同じ風景のロングショットがひたすら続くだけ。でも、昼間に酔狂にもこういうセル街にいると、ふつうは冷房のうなり以外は物音一つせずに静まりかえっているのに、あるときあたり一帯がいっせいに笑いで爆発するんだ。きっかり 10 秒。そしていっせいに静まる。同じテレビの、同じ番組の、同じところでみんな笑うの。画面には、ただのテロップ。

 でもいまは夜。年寄りは、寝ている。

 そしてやがて朝になっても、市街地は相変わらずどこまでもどこまでもどこまでも広がり、無数のセルがひしめきあっている。あの輸送動脈沿いにちょっと北にいくと、新興の輸入労働地区にたどりついて、あそこの様子はまたぜんぜんちがってるけれど、それはまた別の話だ。

 というわけで朝だ。朝には、多少なりとも気温が下がる。テレビもまだ始まらないし、見ていてごらん。まもなく年寄りたちがそこらじゅうをうめつくす。ほらごらん。貴重な年少者たちが、いずれ年寄りどもの奴隷となるべく(そしてやがてはその年寄りに加わるべく)、大切に囲われて飼われているだろう。あそこもじきに、無数の年寄りに囲まれて、無数の視線にさらされることになるんだよ。

 まったく、と彼女。むかつく。




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