SD 連載

大学時代は欠かさず読んでおりました SD も、ついに山形の毒牙にかかる! わははは。チュミ『建築と断絶』で世話になった森田さんから話がきて、いきなり連載。大丈夫かなあ。いいの? (2000年5月:なんかよくなかったみたい。不穏な情報が……)


連載 Entropic Forest

ドイツから、ベッヒャー・シューレのハイナー・シリングというカメラマンが文化奨学金みたいなので、1998 年の秋から日本に一年いる。ベッヒャーって、タンクの写真とかたくさんとってる人で、すみずみまでピントが会った変にくっきりした写真を撮る人なんだけれど(とこの連載を機にはじめて知った)、このハイナー・シリングもその系統で、タンクとか、団地とか、高速のランプとか、ゴルフ練習場とか、駐車場とか、そんなものばかり撮っているのだけれど、それに文をつけなさい、という注文できた。「写真の解説じゃなくて、なんかこう並行するような感じで、インフラという視点から……」とのことなんだが、まあどうなるやら。

 ハイナー・シリングはいかにもなドイツ人で、まあブリクサ・バーゲルドに似ていなくもないかな。連載タイトルはかれがつけた。かれはトマス・ピンチョンのファンなので、なんかこういうのになった。ほうほう、それならその趣味にあわせてやろうじゃないの、というわけで……

第 01 回 「まつ。英語版) SD 1999年 1 月号

 柳下はこれを読んで、かなりニヤニヤするところがあるであらふ。バロウズとピンチョンとギブスンのぱくりだけで構成されているような代物。伏線ばかりで中身がまったくない! いわば、リンクだけでできてるような代物だな。でも、まあ雰囲気だけはなんとか……
 ハイナーくんが読めるように英語版もつくってあるのだ。

第 02 回 「年寄りは、寝ている。英語版) SD 1999年 2 月号

 小説っぽくはなっているけれど、別にこれは小説じゃないんだ。前回から続いているようにも読めるけど、必ずしもそういうわけでもない。ぼくはぼくで、ちょっと考えてる世界があって、それを写真に出てくるいろんな要素をネタにしてでっちあげてるわけ。
 もとは、各回のタイトルは全部樹とか植物の名前にしてEntropic forestでござい、というオチにしようかと思っていたが、2回目で挫折。わはは。これもバングラデシュで書いた。12/20〜21、もうラマダーンだった。

第 03 回 「On The Road.英語版) SD 1999年 3 月号

 ミャンマーで書いた。ITS による自動走行がどこまで実現性があるか、いまの段階では実はよくわからない。アメリカもそろそろあきらめるような様子もあるし、日本は実証実験とかをテストコースでやっていて世界でいちばん進んでいるところだけれど、それを一般車両と混在させるときのもんだいとかもあるし。でも、できたらこんなこともあるんじゃないか。とはいえ、こういうのをミャンマーのきたねー紅茶屋で書いていると、なんか店の内外の様子とまるでかけ離れていて、リアリティのかけらもないなぁ。

第 04 回 「自然に。英語版) SD 1999年 4 月号

 お写真としてなかなかむずかしゅうございました。要人がいっせいに東京を離れたら関東大震災でパニック、というアイデアは気に入ってるんだが、もうちときれいに出せなかったもんか。あと、自然がすでに人工化していて、インフラの一種であるというのも事実だと思うんだが、いまいちうまく出ていない。  

第 05 回 「片隅で。英語版) SD 1999年 5 月号

 文句なしの失敗作。うーん。いろんなところの片隅になんとなく生かされている人間がいるというか、人間のための都市やビルじゃなくてその逆、と思ったんだけれど、レムのパクリになっていまって内心忸怩。うーん。

第 06 回 「埋め立て地。英語版) SD 1999年 6 月号

 むかーし『宝島』で書いた処女小説もどきのバリエーションかな。移民がきて、なんとなく住み着いて、という感じ。まあまあではないでしょうか。写真の、四角く海に接している感じってのは好きなのだ。

第 07 回 「部屋。英語版) SD 1999年 7 月号

 この駐車場入り口の感じって、バンコクのある売春宿に似ておるのよ。そこから思いついた。

第 08 回 「監視。英語版) SD 1999年 8 月号

 毎回、カラーコピーで次回用の写真をもらうんだけれど、やっぱ実際のプリントとは仕上がりがちがうのだ。今回のメインテーマだった箱崎の大きな赤い板のオブジェは、カラーコピーだとほとんど均質な赤い帯だったのが、実際の写真ではあまり均質でない、表面の細かい錆とか結構出ていて、ちょっとはずした感じではある。

第 09 回 「底。英語版) SD 1999年 9 月号

どうしても経済システムについて言及した部分が必要だと思ったんだよな。これをその回にするのは苦しかったんだけれど、それをいったらこの回の写真はすべてとらえどころがなくて、なにをやっても苦しかった、というのはある。ぼくはいずれ、いまの市場万歳主義があちこちで破綻して、公共の役割ってのがまた大きくなると思ってる。この手のははやりものだから。

第 10 回 「InfraDream.英語版) SD 1999年 10 月号

 わあぁぁ。しばらくたって読むと赤面ものな面もある。ぜったい流行りそうにないなあ。英語のやつは韻をふんでないけど、マリリン・マンソンだって韻はふんでないわい!

第 11 回 「捨てる。英語版) SD 1999年 11 月号

 行徳富士の写真がでてくるとは思わなかった。やっぱ廃棄物問題はどっかではずせないでしょう。

最終回 「出口。英語版) SD 1999年 12 月号

 出口。

あとがき 「エントロピーの森をぬけて。英語版) SD 1999年 12 月号

 出口。



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YAMAGATA Hiroo