Valid XHTML 1.1!
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
旅行人2003/9+10月号
旅行人 2003/9+10

隔月コラム:どこぞのカフェの店先で 連載第6回

民営化すればほんとによくなるのか?

「旅行人」 2003年9+10月号(No. 138)

要約:民営化するのがいちばん、政府が介入してはいけない、だから構造改革を、というのが最近の援助のはやりだが、援助というものは政府介入の最たるものだったりするのだ。それに民営化していない国鉄や電電公社のもとで日本は発達した。そんなものが主要因であるわけがないのだ。


さて、途上国が成長するにはどうしたらいいんだろうか、という話をするうちに、やる気を出させればいい、という話になってきたわけだ。でも、やる気というのはどうすれば起きるの?単にエサをぶら下げたのではダメだ、という話をしたけれど、他にどんな手があるだろうか。

  アダム・スミス以来の経済学の基本は、市場はとにかくえらい、ということだ。みんなが競争し、品質を上げてお値段を下げあい、それに対して買い手が自分の財布で投票する市場というシステムは、確かにすごいものだ。だから市場をきちんと機能させるのがいちばんいい。市場を機能させるのが、みんなのやる気を出させる一番いいやり方だ、という議論だ。

  じゃあそれを途上国に適用するとどうなるだろうか。途上国の多くでは、政府がやたらに市場に介入して、ダメな産業に補助金を出してみたり、民間企業のやる気をなくす変な規制がいっぱいあったりする。民間が十分にやれる仕事を、わざわざ政府がやったりしている。それがいかんのだ、政府が市場をゆがめるようなまねをやめて、もっと市場が有効に機能するようにしろ——規制は撤廃して、公社は分割民営化せよ——そうすればどの国もぐんぐん成長するはずだ、という理屈だ。

  さて、この話はウソじゃない。市場はきちんと機能すればとってもありがたいものだ。たぶん本誌を読んでいる旅行者のみなさんは、中国に行ったり、あるいは年配の人ならソ連東欧圏にでかけたりして、市場の働かない非効率な肥大化した公共サービスのひどさをいやというほど味わっているだろう。そして各種の市場化が進んだ後で、サービスが見違えるほどよくなった例を山ほど目にしているはずだ。最近なんか、駅や郵便局や電話の窓口で官僚的でつっけんどんな態度に出くわすと、「おお、懐かしい!」とかえって感激してしまうことさえあるくらい。

  でも援助という枠組みで考えたとき、これはとっても困った話になる。市場に任せろ、というのはつまり、政府はなるべく手も口も金も出すな、という話だ。ところが援助なんて要するに、政府が市場に介入しろ、という発想なんだから。

  そもそも援助という発想が出たのは、市場任せではうまくいかない、あるいは市場よりももっと上手な切り回しができる、という信念があったからだ。いまからは想像もできないけれど、昔は社会主義というのがすごくよさげに思えたことがあった。市場なんかよりも、えらい官僚や計画屋さんが計画的に経済を運営したほうがいいと思われたことがあったわけだ。それに市場に任せるってどういうことだろう。本当に市場がそんなに賢いなら「この国は電力さえあれば発展するな」と思ったら、めざとい投資家がやってきてどんどん電力に投資するだろう。「高速道路の二ーズがすごく高そうだ」と思ったら、みんな高速道路に投資するはずだ。どうして政府が、他の国からお金を借りて(あるいはもらって)、電力だの高速道路だのに投資する必要があるわけ? でも実際にそんなことは起きない。だからこそ、援助しなきゃ、という発想が出てくる。その根底のところを否定して、援助しつつ市場に任せろというのはなんか変なんじゃないか?

  それに、そもそものねらいはやる気を出させて成長を実現することだった。でも実際問題として、成長したところを見ると、別に自由放任の市場任せでやってるところなんかかえって少ないんだよね。日本がなぜ高度成長をとげたか、という話になると、昔の官僚はえらかった、といった話をする人が多い。東アジアの奇跡と呼ばれたASEANの急成長だって、政府の長期的な産業政策がよかったんだ、という人は多い。ひたすら市場任せの自由放任主義が本当にいいの?

  ホントのところ、実はよくわかんないのだ。

  確かに、市場を積極的に導入することでよくなった部分はある。電話とか高速道路とか電気とか水道とか鉄道とか、日銭が入るようなものはとにかくどんどん民営化して規制緩和することで、かなりのメリットが得られた。具体的にサービスが向上してお値段も下がった例は多い。

  でも、それが裏目に出ることもある。その一つの例が電力だ。アメリカでは電力セクターの自由化が進められてきた。でも数年前に起きたカリフォルニアの電力危機は、それが原因で起きたと言われる。昔のおっきな電力会社が電気をすべて仕切っていた方式では、電力会社だけが発電して、それを送電し、そして家屋や工場に配電していた。かれらは利潤追求の民間企業ではなかったから、ちょっと効率が悪くても、予備の発電所とか送電能力とかを確保して、安定した電力供給を重視していたわけだ。ところが、新しい自由化後の電力業界では、発電はだれでもできる。そしてそれを競争して送電会社に売る、という方式になる。さてこれだと、確かにみんなが競争するから安い電気は得られるかもしれない。でも、みんな売れない電気を作ってもしょうがないから、確実に売れると見込まれる電気を作るだけの設備しか作らない。すると、需要が予想を上回ったら、それを埋め合わせる予備の発電能力がない場合だって考えられる。そしてこれを書いている時点で起きた、アメリカ東海岸の大規模停電がある。起きてから一週間近くたっても、原因がさっぱりわからない。市場というのは、ときどき恐慌が起きたりする。なんかみんなが一斉に不安にかられて、市場が混乱することがあるのだ。

  そして、もう一つ大きな問題。確かに、市場化や民営化はいいことかもしれない。でも、それが決定的な要因なんだろうか。繰り返しになるけれど、日本をごらん。日本は電電公社で国鉄でと、民営化されない非効率なはずの公社をいっぱい抱えていても立派に高度成長をとげた。ドイツだってそうだ。奇跡的な急成長をとげた東アジア諸国だって、自由放任の市嚇任せとはほど遠く、かなり政府があちこち口出ししたし、公社だっていっぱいあったけれど、でも成長している。民営化だの構造改革だのが役にたっことだってあるだろう。でも、それが決定的な要因であるはずは絶対にないんだ。本当に成長を実現させたのは、なんか他のことじゃないんだろうか。

  そして最後に、構造改革だの民営化だのというのは大変なんだ。日本だって、道路公団の民営化だの、郵便サービスの民営化だの、いろいろ話はあるけれど遅々として進まない。それがそんなにいいもんなら、どうして日本はさっさともっと自由化や民営化を進めないの?既存の政治的なしがらみがあって難しい?なるほど。だったら途上国にそれを無理強いするのだってアレじゃないの?自分で構造改革しようとやる気を起こさせないとダメじゃないの?というわけで、話はまたやる気に逆戻りしてしまうのだ。(つづく)



前号 次号 「旅行人」 コラム一覧 山形日本語トップ


YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
Valid XHTML 1.1!クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
の下でライセンスされています。