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旅行人2003/5月号
旅行人 2003/05

隔月コラム:どこぞのカフェの店先で 連載第4回

援助のやりかた:やる気はどうすりゃ出るのか? その1

「旅行人」 2003年5月号(No. 134)

要約:開発援助はもともと第二次大戦後のマーシャルプランにルーツがある。敗戦国から賠償金をふんだくらずに、かえってお金を貸してあげて発展をうながす、というのは革命的な発想だった。でも、援助は成績悪い子の成績をあげようとするみたいなもの。教科書をあげれば発展するところもあり、さらに家庭教師をつけなきゃだめ、そしてそれでもダメな子は? そこで「やる気がないとダメなんだ!」というのにやっと気がついたのが今の援助の状況。


 今回は長くなるから、前置きのつかみなしで入る。その昔、1950年代とかに開発援助が始まった頃というのは、開発援助はこんなにいつまでもやっているはずじゃなかった。もともと開発援助の原型は、第二次大戦後にアメリカがやったマーシャルプランだ。これは革命的な発想だった。それまで戦争やったら、勝った国はまけた国を戦後賠償と称してしぼりつくす。それが戦争の醍醐味でありうまみだった。ところが、アメリカはちがった。なんと、負けた国の戦後復興に力とお金を貸してやった。昨日まで爆弾を落としていたところに! そして、それはとても有効だった。敗戦国はすぐに立ち直って成長を始め、ナチスを生んだような変な不満もあまり出てこなかった。そして第二次大戦後、あちこちの植民地が独立したときも、同じモデルが使えるとみんな思ったわけだ。しばらく気前よくお金を貸してあげれば、すぐにみんな成長軌道にのるだろう、と。

 それが50年たっても未だに続いているなんて、だれも思わなかったのだ。

 なぜそうなのか、という話になると、諸説ある。心優しいバックパッカーのみなさんなら、たぶん「援助が腐敗していて必要としているところに行かなかった」とか、鈴木宗男事件みたいに援助を送る側が自分の利権しか考えなかったからだ、なんてことを思うだろう。でも、必ずしもそうじゃない。

 一方、それは援助をもらうほうの問題だ、と主張する人もいる。援助をもらうほうに、そもそもやる気がないからだ。援助をお小遣いとかんちがいして、それを引き出すことばかりにかまけているからだ、という主張だ。

 援助機関は、このどっちも言えない状況に追い込まれている。50年たっても成果が上がらないのは、自分の援助がタコだからだ、なんて事は認めるわけにはいかない。でも、援助される側がXXだから成果があがらねえんだ、なんてことは、立場上はいえない。さあ困った。

 で、実際のところどうなんだろうか。たぶん、どっちもあるんだろう。でも、むしろ後者のほうが強いんじゃないか、とぼくは思っているし、世の援助業界ははっきりとそれを言わないけれど、実質的にそれと同じことを言うようになっている。

 ここに、成績の悪い子がいる。勉強しないから成績があがらず、成績あがらないから自分は勉強したって仕方ないと思っていて、悪循環に入っているようだ。さてどうすればいいだろう。

 一つの考え方は、この子には勉強道具がないんだ、という考え方。参考書や、鉛筆や、ノート、パソコンやインターネットがないのがいけない。だから、そういうものを買ってあげれば、成績があがるだろう、という発想がある。

 もう一つの考え方は、この子は勉強の仕方を知らないんだ、という考え方。だから、家庭教師をつけてあげましょう、というわけね。そうすれば勉強のやりかたがわかって、成績があがるでせう。

 さて……読者のみなさんはどう思う? 確かにそれで成績あがるやつもいる。ぼくが家庭教師をした中にも、ちょっとコツさえ教えてやればするする勉強ができるようになった子もいた。でも、そんなことしたって成績上がらないやつは上がらない。ぼくが家庭教師をしていたガキは、いやひどいもんだった。親が甘やかしてなんでも買ってやるので、キン肉マン消しゴムとかなんたらシャーペンとか山のように持っていたけれど、成績なんかあがりゃしねえ。ぼくがいくら教えたって、宿題はやんないし、話はきかないし、どうしようもない。

 途上国の援助も、これと同じ状況だ。最初の頃は、「こいつらは資本が足りない、インフラが足りない」というのが主流だった。ダムとか道路とか電気とか。そういうのがないから、産業も育たないし発展できない。だからそういうのを作ってやろうじゃないか、という話。これは勉強道具を買ってあげましょう、という話と同じだ。確かにそれで成功した国もある……が、そうでないところもある。キン肉まん消しゴムみたいなどうでもいいインフラを、国家元首の趣味でたくさん作る国もある。また確かにそこに変な業者が入り込んで、入りもしないものを作らせる構図というのは確実にある。あちこちで、使われぬまま放置されている援助インフラがある。このダム。あの製粉工場。あのアルミ工場。機械やインフラだけあってもしょうがないのだ。それをちゃんと使う能力がないと。

 そのうち「人的資本が足りない」という話になる。「やはり人こそが国の支え、教育こそは国の基盤!」というわけだ。じゃあどんどんみんな教育しましょう! 確かにそれでうまく行くところもある。でも、そうでないところも多い。教育は、インフラ建設ほど利権がないので、鈴木宗男も発生しない。でも、無駄な教育はある。某国は、自国語を広めるための援助ばかりしていて、それが相手国の役にたつかなんてまともに見ていさそうだし。教育水準だけあげても仕方ないし、世の学者と称する連中を見ていると、こんな連中ばかりなら教育なんてかえって国のためにならんなあ、という気もするでしょう。あるいは極端な話、国民の半分が国文学と素粒子物理の博士号を持ったところで、たぶん大して役にたつまいな、というのは直感的にわかるでしょう。

 というわけで、援助の世界も手詰まりになった。そのとき、だれかが思いついたのだ。「問題は、インフラでもないし教育でもない! 要はやる気だ!」

 アホみたいでしょう。でも、そうなのだ。勉強の話を考えてみよう。やる気があれば、正直いって勉強道具も家庭教師もあげなくていいのだ。というか、やる気というのはまさに、それを工夫するだけのパワーを見せる、ということなんだもの。勉強道具がなければ図書館にこもるだろう。家庭教師がなくても、学校の先生をつかまえていろいろきくだろう。途上国にやる気さえあれば、援助もうまく行く!

 しかし問題。やる気って、どうやって出るの? というか、どうやって出させるの?

 家庭教師のときだって、「こら、やる気出せ!」と言うと、ガキはそのときだけ「はい!」とか言ってがんばるふりをする。でも、ちょっとでも目を離すとすぐもとに戻る。さてどうする? こういう時、やる気を出させる特効薬がないわけじゃない。それは、エサで釣ることだ。「来週までにこの問題集を解き終わったら、おもちゃを買ってあげるぞ」というやつだ。これは誰でも思いつくことだ。そして、これが短期的には効くのもみんな知っていることだ。が…… と書いたところで紙幅がつきたので、ここは「つづく」ということで。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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