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Super-Cannes (J. G. バラード) 査読

11/5/2000
山形浩生

1. 概要

過去20年にわたり、世界最高の SF 作家にしてイギリス最高の現代作家の一人として君臨し続けるJ・G・バラードの最新作。カンヌを中心とした南仏に広がる、リゾートとビジネスを融合した新しい形のビジネスパーク群を舞台に、大量殺人事件の謎を解明しようとする元航空機パイロットが、一見完璧に見えるビジネスパークの裏に広がる狂気と陰謀と闇の世界を徐々に解明し、反撃を決意するまでをサスペンスに満ちた筆致で描いている。

2. あらすじ

 元パイロットのポール・シンクレアは、医師である妻ジェーンとともに、南仏のカンヌ郊外にある、スーパービジネスパークのエデン・オリンピアに訪れる。主人公はアマチュアパイロットで航空関係の雑誌編集者でもあったが、あるとき管制塔からの指令を無視した強引な離陸に失敗したためにひざを複雑骨折し、同時に飛行ライセンスを剥奪されたが、この入院時の担当医師がジェーンだった。二人が結婚してすぐに、ジェーンがエデン・オリンピアに転職することとなり、二人は車でエデン・オリンピアに到着する。

 しかしジェーンがこの職を得るにあたっては、謎があった。前任者グリーンウッドはジェーンの元恋人だったが、ある日突然、自宅に人質三人を監禁してからエデン・オリンピアの多国籍企業重役たちを銃殺してまわり、その後人質たちを銃殺してから自殺するというショッキングな事件を起こしていた。動機はいっさい不明で、犯罪らしい犯罪のまったくなかったエデン・オリンピアにおいてはまったく信じがたい事件だった。結局、精神錯乱として片づけられてはいるが、これはジェーンの精神にも影を落としており、主人公ポールもそれを感じずにはいられない。

 到着したかれらを迎えたのは、黒人の警備担当者ハルダーと、市の精神科医ペンローズ。しかし驚いたことに、かれらに与えられた住宅は、あのグリーンウッドが人質たちを監禁して殺したうえに自殺したその住宅だった。

 エデン・オリンピアは、世界中の巨大多国籍企業が立地している、ビジネスとリゾートを融合させた新しいビジネスパークの一つである。あらゆる場所は監視カメラによって監視されており、結果として犯罪は皆無、街路にはちり一つなく、すべてが完璧に管理されている。住民たちは社交などもほとんど行わず、お互いに完全に無関心なまま暮らしている。ジェーンはすぐにエデン・オリンピアの多忙な生活に入り込み、全住民の健康状態を自動的にチェックするシステムの構築に全力を挙げるようになる。が、職のない主人公ポールは、日々なにもせずに過ごすうちに、じょじょに家の中でグリーンウッドの痕跡を発見してゆく。さらに、ある日グリーンウッドを訪ねてきた謎のスラブ系の男に襲われかけたこと、そして警察の報告とはちがう場所から縦断を発見したことから、ポールはグリーンウッドの死に疑問をいだくようになり、真相の究明に乗り出す。

 警察の記録や関係者への聞き込みを重ねるが、調査はあまり進展しない。みなグリーンウッドをきわめて高潔な人格者だったとほめ、さらにかれが虐待児童の保護施設まで運営していたことが明らかとなるだけ。しかし調査の課程で、ポールは自分と妻に犯罪指向が芽生えているのを悟る。妻は雑誌の万引き、自分は車の故意の衝突や自動車窃盗。そして妻のクリニックを訪ねたり、精神科医のペンローズと話をするうちに、そこに患者として来院している重役たちが、みななぜか全身あざだらけだということにも気がつく。

調査を進めるうちに、妻ジェーンはますます仕事に没頭するようになり、ますますポールから離れ、隣家の妻シモーヌとレズビアン的な関係に溺れてゆくが、ポールはなすすべもなくそれを見守るばかり。そしてある日、ちょっとしたアラブ系移民の犯罪をつかまえた警備員たちが、犯人を半死半生になるまでなぐりつけている場面にでくわすが、なぜかその場にはエデン・オリンピアの住人たちがいて、それを見物している。

さらに先日襲ってきたスラブ人にたまたま出くわし、尾行すると、かれらが幼女売春を行っていることがわかる。ポールは思わず一人買おうとするが、それが性欲からなのか、彼女を救い出そうとしてのことかは自分でもわからない。そしてちょうどその時、なんと多国籍企業の重役たちが自警団まがいにかれらを取り押さえ、半死半生のめにあわせる。

警備担当のハルダーが、その寸前に主人公をそこから救い出す。そしてその後、かれはグリーンウッドの死の謎について、各種の情報提供をしてくれるようになる。これまで手に入らなかった現場写真なども、ハルダー経由で次々に手に入るようになる。殺された重役たちは、実は麻薬の密売や故意の交通事故、移民たちをねらった、自警と道徳維持を口実とした暴力行為などに手を染めていたのだった。そしてグリーンウッドも、児童虐待の保護施設をフロントに幼女売春のあっせんを行っていたことが明らかとなる。

 この時点でようやくペンローズ医師が、すべてを説明するのだった。エデン・オリンピアの住民たちは、このビジネス社会における新たなエリート階層であり、エリートには常に、一般人には許されない悪徳が認められている、エデン・オリンピアは既存の道徳や善悪を超越しており、あらゆる危険や許容範囲のコードは、企業による製品の安全範囲によって管理規定されており、したがってその範囲内で行われるあらゆる行動は許されるのだというのがかれの説明だった。したがって、その範囲内では、エリートがいかなる暴力や不道徳行為に手を染めようと、まったく問題にならない。

さらにかれはは、これが精神治療の一環であることを主人公に告げる。開設直後のエデン・オリンピアでは、人々はビジネスに没頭しすぎるあまり、精神に変調をきたし、それが肉体の免疫レベルにまで影響を与えてきわめて不健康な状態が続いていた。しかし一人の重役がたまたま追い剥ぎを取り押さえ、それをなぐりつけたところ、肉体的にも精神的にもきわめて健康状態が向上した。それをヒントに、ペンローズ医師は重役たちをグループにしてそれぞれに、各種の暴力行為や不道徳行為を「処方」していたのだった。警備会社の手配または設定により、ある場所で不道徳行為(売春や麻薬取引)が行われるように仕組まれ、そこへこの自警団が赴き、「犯人」たちをなぐりつける。あるいはその他の各種買春、SM、そして軽犯罪から自動車による傷害、殺人までがすべて「処方」の産物なのだった。グリーンウッドはそれに悩み、こうした犯罪の中心的な存在だった重役たちを殺害したのだった。

被害者たちの立場はどうなる、とつめよる主人公。しかしペンローズは動じない。これにより、ビジネスパークの生産性はあがり、結果的にその移民たちの雇用も賃金水準も向上する。結果としてそれは、その「被害者」たちのためにもなるのだ、とかれは主張する。主人公は反論できない。そして妻ジェーンもすでにその中に取り込まれつつあることを知って、主人公は静観するしかない。

 しかし事態はペンローズの制御をこえて拡大しはじめる。まずエデン・オリンピア自体が拡大するにつれて、これまでは小規模ですんだ各種の犯罪が数を増し、地元の警察もおさえきれなくなりそうな傾向がでてきた。さらに、内部での抗争が激しくなり、相互の脅迫も生じてくる。そして、内幕を知りすぎた主人公にも攻撃の手が向けられ、かれの愛人が殺害されてその罪が主人公に負わされようとする。

 ここに至って主人公もついに決意する。妻ジェーンをエデン・オリンピアからつれだし、ロンドンに向かわせると同時に、かれはライフルを買い込むのだった。グリーンウッドの遺志を継ぎ、エデン・オリンピアの犯罪の中心人物たちを射殺すると同時に、すべてを公表して世界に知らせよう、と。

3. 背景

本書の舞台となっている、ソフィア・アンチポリスを中心とする、リゾート型ビジネスパーク群は実在しており(ただし実際にはここに描かれたほどはうまくいっていない)、JGバラードが『クラッシュ』映画化でカンヌ映画祭に赴いた際にこれらを見て興味を抱き、小説の舞台としたものである。  作品としては、バラードの読者ならすでにおなじみの設定が無数に登場して 主人公の、離陸に失敗して負傷した飛行機パイロットは、『夢限会社』をはじめとしてバラード作品の常連だし、その妻が幼妻的な医師なのも、女性医師に対するオブセッションの強いバラード作品にあっては定番となっている。また、これまでは広告といった形で作品世界に入り込んでいた企業群が、このビジネスパークでは実際のテナントとしてあちこちに存在するようになり、巨大企業に支配された完全でクリーンな現代社会の戯画としてとても有効に機能している。

 また本書の設定そのものも、60年代以来、世界風景の郊外化を大きなテーマにして書き続けてきたバラードの十八番である。完全にコントロールされ、無害化された人工環境と、その中で不合理なものへのあこがれを封じこまれて、完全無欠な装いの裏側で次第に狂ってゆく人々、そしてその結果としての崩壊。本作品は、バラードのビジョンが未だに有効であり、現代性を持ち続けていることを十分に物語っている。

4. 評価

 本書はいわば、映画「ファイトクラブ」の小説版といえるだろう。企業にコントロールされ、完全に無害化された環境の中で人々が見いだす出口としての暴力行為とその拡大。そしてそれを解明しようとして奔走する主人公の一人称の語り口もにている。各種の設定とあわせて、バラードのファンであれば文句なく楽しめる作品となっている。

ただし本書の欠点を挙げるなら、構成のまずさだろう。本書は全3部から成るが、スーパービジネス都市エデン・オリンピアの秘密が解明されるまでの第一部が6割以上を占めている。この部分は、グリーンウッド医師の残した手がかりと、警備担当者ハルダーの導きがうまくからみあい、精神科医ペンローズによるエデン・オリンピアの病理の解説にいたるまで非常に手堅いサスペンスとなっている。

しかし次の第二部は、カンヌ映画祭を舞台にしつつ、主人公がとりあえず優柔不断を演じているだけで、あまり必然性も感じられない。また第三部では、エデン・オリンピアの病理がエスカレートし、それに対して主人公が反撃を決意するところで終わるが、これがたったの四〇ページほど。きわめてせっかちな印象となっているうえに、具体的な反撃やエデン・オリンピアの崩壊そのものは描かれないままに終わってしまうため、どうしても読者としては物足りなさを感じてしまう。「ファイトクラブ」とのアナロジーでいえば、主人公がカード会社爆破計画をつきとめて「なんとかしなきゃ」と思ってガールフレンドをバスに乗せたところで映画が終わってしまうようなものだと思ってほしい。 その意味で、本書はバラードの最高傑作とはいえないし、むしろきたるべき作品のための序曲的な意味合いが強い。しかしながら、特に前半部の謎の解明に至るプロセスは見事であり、読者の期待を裏切らない。また全体のテーマとなっている、管理社会、ビジネス偏重と労働過剰からくる精神のゆがみと不健全性、そしてそこから芽生える暴力衝動といった要素は、先にあげた「ファイトクラブ」や日本における各種の郊外部での犯罪を待つまでもなく、すでに現代では普遍的な要素となっており、一般の読者に対しても大きくアピールするものと思われる。その意味で、翻訳刊行する意義はきわめて大きいと判断される。

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