(Cambridge University Press, Cambridge UK, 2001 ISBN0-521-01068-3, 515ページ)
2002/4/10
山形浩生
自称環境保護論者たちや、エコロジストたちは、地球環境が危機的な状態に陥っていて、いますぐ文明のあり方を 180 度転換しなければ早晩地球は滅びる、と主張したがる。資源枯渇、地球温暖化、人口爆発、環境ホルモン、生物種の絶滅、森林消失……だが、そうした主張は本当に正しいのだろうか?
こうした環境保護論者たちが使っている各種の数字を子細に検討して、本書はまったくちがう世界像を描き出す。環境保護論者たちの多くは、センセーショナリズムを求めて統計をゆがめたり、部分的に取り出したりといった悪質な処理をしている。さらにこうした人々は、5 年ごとに同じ危機を何度も言い立てては、それが毎回はずれるというパターンを繰り返していて、かなり信用できない。
ロンボルグは本書で、環境保護論者たちが地球環境危機説を唱えるのに使っているのとまったく同じ統計を使って、大幅にちがう地球環境を描き出す。地球環境は、そんなに悪くない。人々の生活はどんどんよくなっている。そしてこれまで人々が実施してきた環境対策は、かなり効いている。そして将来の危機を唱える各種の説も、一歩下がって見ると、まったく説得力はない。
そしてそれをもとに、ロンボルグはもっと正気な環境保護論を唱える。ウソをついてまで環境危機説を煽るのは、長期的には信用をなくして自分の首を絞めるだけだ。さらに環境危機を過大視して過大なコストをかけるのはいけない。環境は重要だけれど、それは他の政策課題とのバランスや、保護のためのコストとのバランスで考えなければならない。そして環境保護のためのいちばんいい方法は、ライフスタイルを大きく変えたり、発展をあきらめたりすることではなく、それなりの経済成長を途上国にもたらしてあげることだ、と論じている。
著者ビヨルン・ロンボルグは、1965年生まれのデンマークの統計学者。現在、デンマークのアーハウス大学政治科学部における統計学担当助教授。これ以外の著書としては The Structure of Solutions in the Iterated Prisoner's Dilemma (Center for International Relations Series) がある。もともとグリーンピース所属の熱心な環境保護論者で、「地球環境はそんなに悪くない」という記事を読んで、それに反論すべくデータを調べ始めたのが本書のきっかけとなっている。環境学者ではないが、一方で本書で扱っているような統計データの収集解析とその結果解釈については強い専門性を持っている。
環境破壊、資源枯渇、食料危機、地球温暖化、環境ホルモンと、悪いニュースばかり耳にする。でも実際は、資源はまだまだある。食料だって増えているし寿命ものびている。地球温暖化は問題だけれど、誇張されすぎだし、いま提案されている対策はかえって有害。生物種だって、絶滅するのは0.7%程度ですむ。
悪いニュースをひろめている各種環境団体の主張は、おおざっぱにみてもおかしなところだらけだ。 結局、世界はいろんな意味で改善している。また、豊かさと環境がトレードオフになってもいない。むしろ豊かになってはじめて環境について心配するようになるのが実状だ。ただし、まだまだだめなところはあるので、それは今後も改善する必要がある。ただし、そのためには実状をきちんと把握し、またやれば改善可能だということを認識するべき。
まず、環境団体がすでに権益団体になってしまっていること。メディアは、センセーショナルな記事ばかり報道したがること。そしてそれにあわせて研究者も、「大した問題はない」という研究よりは「これは一大事」発表をしたがること。
こうした傾向には注意が必要だ。
世界の人口はそもそもいろんなものを考える基盤だから重要。多くのところで人口爆発の危機がいわれている。でも実際には、世界中で出生率は低下しつつある。また大都市問題も実態とはちがう。豊かな田舎に住んでいた人が、都市スラムで悲惨な生活というイメージはまちがい。田舎はどこでもまずしくて、都市スラム住人のほうが豊か。
先進国でも途上国でも、平均余命はのび、乳児死亡率は激減している。また、病気ももちろん昔よりはるかに減ったし、治療法も増えている。現代人はストレスやアレルギーや農薬や薬物によりどんどん不健康になっている、という説を唱える人は、どうみても間違い。
マルサス以来、いずれ食料危機がやってきて人がどんどん飢え死にする、というのが通説になってしまっている。でも実際には、先進国も途上国もカロリー摂取量は着実に増えている。飢えている人の割合もどんどん低下。緑の革命はそれなりに効果をあげて、収量の高い病害虫に強い作物がどんどん出て食料価格は低下を続けている。
世界中、GDP はぐんぐん上がっている。ラテンアメリカとアフリカは確かに上がりかたが遅い。また分配の問題はないわけじゃないが、それでも世界中で貧困層は削減されつつある。さらに世界中の世帯は、車や家電を持つようになって、物質的にも豊かになっている。教育も余暇も増えて、事故や災害も減っている。
寿命も延び、食い物も増え、所得も持ち物も増えていて、どう見ても世界的にかつてない繁栄が実現されている。
第三部のイントロと検討内容の説明。
食料が足りなくなるという議論は、ワールドウォッチ研究所が好んで出すけれど、はずれてばかりいるし、データの特異点だけ取り出して大騒ぎするので信用できない。数十年単位で見れば、食料不足を示唆するデータはなく、農作物の収量増大もしばらく続きそう。中国の肉消費が増えたら危機がくるとワールドウォッチ研究所は騒いだけれど、まったくそんな兆候はない。表土流出による農地破壊も、そんなことが起きたら困る農民自身が対策をとっていて大丈夫。水産資源も栽培漁業がかなりうまく行っている。だから当分足りる。
森林全体を見ると、過去50年以上一定水準。熱帯雨林は確かに減少しつつあるけれど、一部の人が明日にも消え去るように騒ぐアマゾンだって、年0.5%程度の減り方。
石油埋蔵量の推計はいろいろあるが、まだ結構ありそうだし、それに値段があがればみんな省エネする。あと二〇〇年くらいは大丈夫。風力や太陽電池などの再生可能エネルギーに切り替えろと主張する人は、それがいかにセコイかを見ていないけど、そのうちもっとよくなるかも。
金属資源でもなんでも、過去数十年にわたってあらゆる資源や鉱物は価格が大幅に低下している。採掘技術も向上しているし。したがって、資源枯渇の心配はなさそうだ。
水も、絶対量としては大丈夫だ。ただし、一部の国では水へのアクセスに問題がある。それは何とかする必要がある。が、多くの国はこの点でも改善が続いている。また、水資源をめぐって地域紛争が増えるという見解もあやしい。昔から水利権は重要で、したがってコミュニティはそれをめぐる紛争解決手段を持っている。いまもそれはかなり機能している。
というわけで、今後大きな問題が起こりそうには見えない。
大気汚染が最悪だったのは、産業革命頃のイギリス。その後、大気は急速に改善されているのだ。ロンドンの現在の大気の状況は、16 世紀と同じくらいの水準。途上国の場合、確かに大気汚染はだんだんひどくなっている。しかし、大気汚染をなくすためのもっとも有効な方法は、豊かさを増すことのようだ。
酸性雨は1980年代に大きな問題とされていたけれど、どうもそんなに問題ではないみたい。酸性雨による森林減少も大したことはない。
これは屋内でたき火をする途上国ではきわめて大問題。先進国では、ラドン汚染が問題にされることが多いけれど、そこそこ。また、喫煙も大きな屋内空気汚染の源ではある。その他、アスベストやホルムアルデヒドの問題などは確かにある。
アレルギーは人類を滅ぼす的なニュースは多いが、そもそもアレルギーの原因がよくわからないので、これはなんとも言えない。これは研究を増やすしかない。ただ、別に環境が悪化しているからよりも、屋内で過ごす時間が増えていることのほうが重要のようではある。
これはかなりましになってきている。また、回復不能と言われたエクソンヴァルデスのタンカー座礁や湾岸部の重油流出現場でも、生態系は完全に回復しており、海の自浄作用は非常に強いことがわかる。
地域によっては、これは大きな問題だけれど、でもアメリカの場合、これは実はあまり問題ではない。捨て場はそこそこある。リサイクルは、いまくらいで釣り合いがとれているようなので、無理してこれ以上やるとかえってつらい可能性がある。
母乳中のDDTも減少しているし、公害による影響は昔よりかなりマシ。公害で人類が滅びるといった説はおかしい。まだ問題はあるけれど、決定的ではない。
化学物質が増えて発ガン性物質も増え、だからガンが増えているという説があるけれど、これはまちがいで、寿命がのびたために高齢者のかかりやすいガンの割合が高まっているだけ。残留農薬も、まったく問題にならない。発ガン性で言えば、農薬なんかよりコーヒーやレタスのほうがはるかに危険。それに農薬を使わなくなったら食物が高価になって、みんな栄養失調でかえって不健康になるぞ。ただしそれを使うときに高濃度で浴びる農民は問題。これはなんとかする必要あり。
また、環境ホルモンなるものの影響は自然ホルモンに比べれば話にならないくらい弱い。ふつうの植物にだってホルモンは天然に含まれている。最近の合成物質からくる環境ホルモンはその数億分の一くらいの量や影響しかない。実際のデータ不足も不足で、唯一示されている精子が減ったという話も、1970年以前のデータがぜんぜんなくて何とも言えない。
生物がどんどん絶滅しているというのは、誇張がすぎる。環境保護論者の、あと数年で半減といった話はまったく不適切。過去50年で生物種は 0.7% 減少した。これは問題ではあるし、解決はしたいけれど、でも未曾有の危機ではない。
問題ではある。実際に起こってはいるようだ。ただしその速度と影響は誇張されすぎ。また京都議定書は、たぶんコストばかりで大した効果はあげない。もう少しコストと便益をきちんとはかりにかけるべき。
ついでにオゾン層の消失も、止まったようだ。オゾンホールも消えたみたい。これはフロン廃止の効果だとされているけれど、実際には、フロン代替物がやすくできたという経済原理の効果が強かったことを忘れずに。
窮地ではない。進歩は続けている。環境問題は重要だし、環境が破壊されたら人は生きていけないから、絶対に保護は必要。ただし。それはほかのことときちんと優先順位をつけて行おう。先進国の、ほとんど何の影響もないダイオキシン削減と、そのお金で後進国に学校を作るのとどっちを優先するべきか、という選択が必要。
また、遺伝子組み替え食品も、今後きちんと受け入れる必要がある。それが有害だという証拠はまったくあがっていない。業界圧力で研究がもみ消されたなんてこともない。
日本でも環境問題はかなり話題になっているし、環境ホルモン騒ぎや「買ってはいけない」騒動など、一般人の環境に対する関心はそこそこ高い。本書はそれに対して冷静かつきわめて穏健な見方を提示できる。要点は以下の通り:
本書は、環境問題の関係者にかなり広く読まれることが期待される。すでにその方面では一大毀誉褒貶を引き起こしており、肯定派、反対派ともに読まずにはすまされない書物となるであろう。また、文章的にも読みやすく、一般向けに書かれており、タコツボ論争的な部分もない。環境に関心のある一般読者にも広く読まれる。長期的なトレンドを扱っているので、すぐに古びることもないであろう。
何よりも、よみやすくわかりやすい翻訳が望まれる。一般向けに、恫喝型環境論者のおかしなところを指摘した部分がきちんと伝わり、また地球の現状について明確な理解を生じさせる必要があるからである。
また同じ理由で、正確な翻訳が必要。あげあしを取られやすい内容なので、いい加減な処理は命取りになる。
おそらく一番の問題は、本書がかなり長いこと。500 ページ以上となっている。このうち、注と参考文献が 150 ページを占めている。ただしこの部分は絶対に削除できない。参照している文献などが偏っておらず、フェアな議論が展開されていることを支えるのがこの部分だから。ただし邦訳時にはここの部分の邦訳書などを調べるのが結構手間にはなるだろう。これをどうするかは問題。最悪、わけてウェブページの載せるといった処理は可能か? これは交渉が必要かもしれない。