2003/3/3
山形浩生
ニューヨーク市ブルックリンの低所得地域出身の著者が、ギャングの抗争、家族内のドラッグ問題などを体験しつつ、クラッカー世界を経てセキュリティ技術者となるまでを描いた自伝。生々しいブルックリンのギャング団の争いやクラッカー時代のワレズ(海賊コピーソフト交換)から各種のコンピュータ侵入などの様子を生々しく描き、最後に9.11貿易センタービルテロの現場近くにいたときの体験で幕を閉じている。
エジョヴィ・ニュウェレはOpenBSDのports(パッケージ)管理者の一人として多少は知られている。
全体としてあまり高い評価はできない。20歳そこそこの人物では、どんなに波瀾万丈の生活を送ってきたとはいえ、しょせん大したことは期待できないし、伝記として語れるほどの経験も実はないのが普通。本書では、そうした人生経験の薄さが露骨に出ており、それをカバーするだけの売り物が何も出ていないのが致命的である。
構成からわかる通り、いくつか大きな話の柱はあるが、ぞれが必ずしもうまくブレンドしていない。仲間内のけんかやギャング団同士の抗争の話から、話題がクラッカー時代の各種クラッキングの話題に移ったとたんに話はそれだけになり、その後セキュリティ専門家の話に移行するとそれだけになってしまう。最後の、貿易センタービルの近くにいた話も、別にそれがどうした、という感じ。そして本の最後の「ぼくがここまでやってこれたということが最大のハックだ」というのは、露骨に無理に結論めいたこじつけをしただけにとどまっており、読んでいてはずかしいほど。
ブルックリン時代のストリート体験にしても、必ずしも例外的にすごいわけではない。また各種クラッキングの自慢話も、別に変わったところがあるわけではない。ワレズ集団に入ってソフトの海賊コピー交換をやり、2600系クラッキング集団に入り、その後プログラミング技能を身につけてセキュリティ担当者になった、というどこにでもある話。なにやら伏せ字の政府機関をクラックした、という自慢にしても、細かい話はもちろん書けないため、結局「いやあ、侵入したら近所に聞き込みがきてさ」といった、よくあるクラッカーの大風呂敷以上のものにはなり得ていない。
さらに著者も、ことさらすごく有名というわけではない。何か話題性のあるプロジェクトを実現させたり、目立つソフトを開発したりといった実績には欠ける。また特にこれといって注目すべきエピソードに巻き込まれたわけでもない。ハッカーとして注目すべき哲学や発想を持っているわけでもない。結局、クラッキングについてもストリート生活についても、読者としては「ああそうですか」と言うしかなく、新しいことが学べるわけでもないし、またことさら手に汗を握る迫力があるわけでもない。9月11日が人生の転機だった、とカバーの惹き句には書いてあるものの、実際には何も変わっていない。
クラッカーとしての裏渡世に専念するならまだおもしろいだろうし、ブルックリンの不良生活を詳細に描くならそれもおもしろいかもしれない。が、この本ではどれも中途半端。またおそらく日本の善良なハッカーたちは、クラッカー時代の自慢を読んで何よりも嫌悪を感じるだろうと思われるし、いま著者とそれなりに親しいOpenBSD関係の人々も、本書を積極的に売り込んだりしてくれることはまったく期待できない。
本としても、相互にあまり関連しあわないエピソードが次から次へと垂れ流し的に羅列されるだけで散漫。読み物としてのおもしろさにも欠ける。