super-cannes

Dark Age Ahead: Caution (ジェイン・ジェイコブズ、Random House, 2004) 査読評価

2003/12/3
山形浩生

1. 概要

 かつて各種の文明が、一度習得した知識や技能をあっさり忘れ去ることで長い衰退と停滞の時期を迎えてきた。ローマ時代に華開いた各種の技術や文化的成果は、ヨーロッパでは中世の長い暗黒時代に忘れ去られ、ルネサンスにおいてやっと復活した。  それと同じことが現代にも起きようとしている、と著者は警告する。それは家族やコミュニティ崩壊、教育のお免状化、科学技術の軽視、専門家の自浄能力低下などに顕著にみられるのだ、と著者は主張している。

 しかしながら、そうした現象がなぜ文明崩壊にまでつながるか、著者はまともに説明できていない。また、それぞれの項目についても、一般性のある議論を展開できずに、きわめて少数の事例(それもジェイコブズの卑近な事例)だけで話をすすめ、その事例すら彼女の議論をサポートするものになっておらず、暗黒時代への逆戻りの可能性はいくら読んでもまるで感じられない。そして最後になって、文明崩壊は文化崩壊にあらわれると主張して、アメリカは実は各種の音楽が栄えているから文化崩壊の兆しはない、とこれまでの主張をひっくり返すような話を平然と持ち出し、さらに文化的アイデンティティを保つ方策として日本の人間国宝制度を挙げるという、支離滅裂な論理展開となっている。

 結果として、非常にまとまりが悪く、説得力のまったくない一冊となりはてている。翻訳紹介する必要はまったくなく、むしろジェイコブズの名誉のためにはなかったことにしたいくらいの本である。


2. 著者について

 ジェイン・ジェイコブズは、1960年代に『アメリカ大都市の死と生』(邦訳鹿島出版会、ただし抄訳)で建築・都市計画の世界に革命的といっていいほどの影響を与えた人物。従来のプランナーによるトップダウン型の都市計画は、各種の土地利用の分離と、問題の多いスラムはブルドーザ式に撤去してニュータウン型再開発を実施するやり方が主流だった。ジェイコブズはそれに対して、そうしたやりかたはかえって都市の活力をそぎ、コミュニティを破壊することで都市を危険な場所にしてしまうと批判し、従来の都市の歩道とそれに面した小商店が人々の交流と自発的な相互監視や警備ネットワークをもたらすことで、都市の活力と安全性向上に役立っていることを示し、新しい都市の見方を確立するとともに、最近はやりの住民参加型都市計画などの基盤をも提供している。

 その後も「都市の経済学」(邦訳TBSブリタニカ)において混合経済の優位性を示し、輸出主導型の経済発展に対して輸入代替型発展の重要性を述べ、『市場の倫理 統治の倫理』(邦訳日本経済新聞社)においては市場原理と行政的な原理との間の確執を明らかにし、『経済の本質』(邦訳日本経済新聞社)においては経済の自然的な把握について指摘を行うなど、優れた経済的洞察を展開してきた。素人でありながらも、本物の経済学者にすら高く評価される、数少ない人物である。


3. 本書の概要

第 1 章 災害
 歴史的にみて、ヨーロッパにおけるローマ時代から中世暗黒時代への移行、太平洋部族の技術的対抗、中国やイスラームの世界文明最先端からの転落など、非常に優れて発達していた文明が、その成果を忘れ去って退行する例がたくさんあることを指摘。そして現在、アメリカ文化(そしてそれを頂点とする西側文明)もそれと同じ運命をたどりつつあるのではないか、という本書の基本的な主張をまとめる。現代文明が依拠している要素として、著者は次の5つを挙げる:
  1. コミュニティと家族
  2. 高等教育
  3. 科学および科学技術の有効な実践
  4. ニーズや可能性と直結した課税や政府権力
  5. 各分野の専門家による自警・自浄能力
続く各章で、現在これらの要素が弱体化しており、文明そのものの危機につながっていることを論証する、とジェイコブズは述べる。

第 2 章 失敗を運命づけられた家族
 核家族は、生物学的に規定された最小の集団である。しかしそれは現代においては失敗を運命づけられている。二親だけでは、物質的にも精神的にも、家族が必要としているものすべてを供給はできない。これは各種政策によってさらに悪化している。所得分配の偏りにより、持ち家が買えない世帯が増えているし、家賃も上がっていて、さらに住宅補助のカットが進み、ホームレスが増えている。また、車の浸透によりコミュニティが希薄化している。このため、従来はコミュニティが提供していたサービスがなくなり、家族の負担が増えている。そして自動車会社は、車を浸透させるために公共交通へのネガティブキャンペーンを張っている。

第 3 章 資格授与か教育か
 現代の大学は、すでに教育の場ではなくなっている。むしろ、就職用に履歴書に書くための資格を授与する場所になりさがっている。そして知識向上よりは職業訓練校に成り下がっている。これは雇用の過度の重視からきている。アメリカは自国の雇用創出のため、温暖化に反対したり、農業補助を出したりしている。

第 4 章 科学の放棄
 科学と、それに伴う科学技術は事実をまず認識してその原因を考えることから始まる。ところが、交通工学においては、自動車進入禁止にすると迂回路の交通量が増すだけだとか、交通はなるべく自由に流すべきだといった車会社のイデオロギーにしたがったドグマがまかりとおっていて、自動車進入禁止が増えれば車の利便性が下がって網通量が減る、といったことが無視されている。また1995年に大量の死者を出したシカゴの熱波では、老人が外を歩きがちでコミュニティが機能しているところでは死者が少なかった。ところが国の機関の研究者たちはこれに注目しようとせず、エアコンが機能していたか、水が手に入ったかといったことばかりみていた。また、カナダの一部で雇用が急上昇したときに、それが中小企業による輸入代替によるものだということを専門家たちは見ようとしなかった。

第 5 章 考えのない税金
 課税や公共支出はだんだん住民のニーズにあわなくなってきている。トロントは公共交通補助がカットされ、また清掃費もカットされたために、多くの住民が嘆いているにもかかわらず、こうした機能が低下した。政治家は住民ニーズを聞こうとせず、新保守主義といったイデオロギーにだけ動かされて各種の公共支出をカットしている。

第 6 章 自警・自浄の妨害
 警官の汚職が増えているし、またアメリカの大規模粉飾会計などでみられるように、その他のビジネス界でも自浄能力は衰えている。

第 7 章 悪のらせんが展開
 マンハッタンではホームレスが増えている。また賃料規制も攻撃されている。住宅補助や住宅取得の優遇措置も切られている。だからマンハッタンの住宅事情は悪化している。そして住宅価格のバブルが起きているので、農民が農地を売って郊外住宅の増大を招いている。これがスプロール化と、低密度居住にともなうコミュニティの破壊と車依存を招いている。これはすでにのべたような各種問題をさらに悪化させる。

第 8 章 暗黒時代のパターン
 以上のような形で、暗黒時代の到来が懸念される。これらは文化の破壊を通じて実現されるであろう。日本は人間国宝を定めて、野蛮な西洋化に対して自分たちのアイデンティティが保存されるようにすることで暗黒時代の到来を防いできた。アイルランドも自分たちのアイデンティティを強固に保存してきた。いまのアメリカは、ロックや R&B やジャズやラップといったいろんな音楽があって、文化的多様性を維持している。でも、これが将来的に今まで述べてきた問題を通じて破壊される可能性がある。そしてアメリカは傲慢さと自己欺瞞によってその危険を高めている。


4. 評価

 以上の本の要約からわかるとおり、本書の議論は目を覆いたくなるほどひどい。それぞれの章でテーマとしてあげられているような問題意識そのものはわからないではない。しかし、その中で例として挙げられていることが、本当に西側社会全体に共通する問題点なのか、それが本当に悪化しているのか、という点をみると、一つ残らずきわめて疑問である。それぞれの章についての批判されるべき点は以下の通り。

第 1 章:(暗黒時代到来の可能性)
 彼女の挙げている五点が重要であるという議論がまったくない。それはその後の各章で説明するというのだけれど、実際に読んでみるとそうした説明は皆無。文明崩壊に危機感を持つためにこうした問題に焦点をあてるべきだという議論の根拠がまったく示されない。
第 2 章:(家族とコミュニティ)
 コミュニティが車のせいで崩壊している、という話に終始するけれど、それがどこまでひどいのか、きちんとした分析がまったくないし、家族制度の話はほとんど出ていない。
第 3 章:(大学)
大学がお免状取得場所になっているのは事実だが、ジェイコブズの論理ではそれ自体よりもむしろ、雇用重視の政策がいけない、という話になっており、ちっとも大学の問題が指摘されない。雇用をめぐる議論もまったく一貫していない。
第 4 章:(科学)
 科学の軽視といって出されるのが、交通問題と、病理学者によるある疫病拡大におけるコミュニティ要因の見落とし、ある地域の経済分析のミスの三例。これがなぜ西側文化全体の傾向をよくあらわすものとして挙げられるのか、まったく示されていない。そもそもジェイコブズの診断のほうが正しいかどうかも、必ずしもはっきりしない。
第 5 章:(税金)
 ジェイコブスの好きな公共支出項目がカットされた、という点だけをあげつらい、だから支出とニーズが乖離している、という結論に飛びついているが、あまりに近視眼的。公共支出の全体像をみて、どういう配分になっているかをもとに議論しなければ、何がニーズで何が重要かという議論はまったく成立しない。
第 6 章:
 彼女の描いている現象がどこまで一般的なのかについてまったく検討なし。
第 7 章:
 低密度郊外開発と車重視でコミュニティ破壊、というお題目の繰り返しにとどまる。他の部分との関連性も薄い。
第 8 章:
 これまでの部分でさんざん危機だなんだと煽ったくせに、最終的にはいまのアメリカはいろんな音楽があって文化的に多様だからオッケーである、ただ傲慢さがよくない、というだけ。これまでの議論とのつながりがほとんどないも同然。さらに、日本の人間国宝がそんなにすごい制度ですか? まったく説得力なし。

5. まとめ

 全体を通じて、とにかく車重視がいけないのだ、という主張をなんとかまぎれこませようという意図があまりに露骨で、しかもそれが有機的にからみあっていない。挙げる例の一般性も疑問だらけ。そして本全体の論理展開もきわめて疑問(たとえばジェイコブズがアメリカ文化の豊かさの証拠としてあげるラップやヒップホップは、彼女が批判する再開発から生じたコミュニティ崩壊後のスラムの黒人たちが生み出したもの。ではコミュニティ崩壊は結局文化の崩壊につながらなかったので、いいのだ、という議論にすらなる)。

 かの有名なジェイン・ジェイコブズの最新作であり、彼女の著作にこれまで大きな感銘を受け続けてきた評者としては極力好意的に読もうと努力した。しかしどう読んでも、これまでの評価以上のことは書けなかった。本題とは関係ない部分で鋭い洞察などがみられるといったこともまったくない。正直いって、あの偉大なジェイン・ジェイコブズがここまでひどい本を書いてしまったということには唖然とさせられる。主張の面でも、またそこで採り上げられている事例やその分析の面でも、見るべきところが一つとしてない。きわめて残念ながら、翻訳紹介する価値はほとんどないといえる。

以上。

査読リスト 日本語 Top Page


YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)
Valid XHTML 1.0!クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
の下でライセンスされています。