ウィリアム・バロウズ:履歴書 山形浩生 名前:ウィリアム・シュワード・バロウズ 生年月日:一九一四年二月五日 年齢:七十八歳(一九九二年四月現在) 性別:男(ただし女役も可) 現在の職業:本業は作家。副業として画家、俳優 本籍(出生地):アメリカ合州国ミズーリ州セントルイス、パーシング通り 家庭環境: 1)家系  地元では新興の名家。祖父のウィリアム・バロウズが、歯車式加算機を安定駆動する油圧装置を開発、バロウズ加算機社を興して財をなす。なお、この社は、後のメインフレームの雄バロース社(現在はユニバックと合併してユニシス社)とは無関係。 2)父親:モーティマー・バロウズ。  祖父のバロウズ加算機社を共同経営者に譲り、その資金で板ガラス工場(製材工場説もあるが、重要ではない)を経営。ごく常識的な中小企業社長。 3)母親:ローラ・リー・バロウズ  霊感が強く、人づきあいが下手。手すさびに「砂利石の庭」というみやげもの屋を経営したり、生け花の本を書いたりするが、地域や親戚とは長期にわたって疎遠な関係を保つ。次男ウィリアムを溺愛。目のある人にはたまに指摘される、バロウズの小説の女々しいマザコンっぽい部分は、この母親に端を発する。また、バロウズがペンネームとして使用する「ウィリアム・リー」という名は、母方の性を借用したものである。 4)兄:モーティマー・バロウズ  特記事項なし。 5)使用人  (1)コック:迷信に凝っていて、いろいろな呪文をウィリアムに教える  (2)家庭教師:イギリス人。幼いバロウズにいたずらしたらしい。 6)周辺環境:記憶すべき風景と事象  れんが造の三階建て家屋、下水が直接流れ込んで悪臭を放っていた「父祖の川」、バロウズが馴染めなかったアメリカ中西部の保守的風土。 学歴: 1)就学前  病気がちで神経質、幻覚症、内向的。かなり早い時期から物書きを志望し、パルプ雑誌やジュブナイル小説を読みあさりつつ、自分でもそれに類するものを書くようになる。 2)中学校:ジョン・バローズ学校。地元。同級生の子どもたちと馴染めず。その陰気さのため、近所の人々にも気味悪がられて避けられていた。 3)高校:ロス・アラモス農場学校(一九二九ー一九三二)。  全寮制の学校。ボーイスカウト的な教育方針に馴染めず、仮病を使いまくっては部屋にこもり、フランスの小説などを読みあさる。また、自分の同性愛嗜好に気がついたのもこの高校でのこと。同級生の少年に恋して、慕情を密かにノートに書き綴り、後日それを読み返して自己嫌悪に陥り、物書きへの志向を放棄する。中退。 4)大学1:ハーバード大学(一九三二ー一九三六、専攻英文学)  本人は特に大学に行きたいという強い希望はなかった。むしろ、母親の希望に答えた、というのが事実に近いらしい。ここでも大学の気取った雰囲気に馴染めなかったものの、大学特有の変人たちとのつきあいはそれなりに楽しかったようだ。それまでセックスを知らず、赤ん坊はヘソから生まれてくるものだと思っていたバロウズは急速に啓蒙され、男娼買いと娼婦買いを覚えるに到る。 5)大学2:ウィーン大医学部(一九三七)  卒業旅行として、パリとウィーンで半年過ごす。医者を志すが、盲腸で倒れたのと、ナチズムの台頭する街の雰囲気を嫌って中断。ユダヤ系女性の亡命を助けるため最初の結婚。また、卒業と同時に、両親から月額二〇〇ドル(一五〇ドル説あり)の小遣いが保証される。これによって、この先二五年にわたってバロウズの生活は保証される。 6)大学院:ハーバード大学院(一九三八、専攻考古学)  高校、大学を通じての友人、ケルズ・エルヴィンスをたよってハーバードの大学院に入る。考古学を選んだことに理由はない。ナヴァホ語とマヤ考古学を学ぶ。このとき得たマヤ関係の知識は、後の作品にしばしば登場する。しかし、一時は本気で考古学者を志したものの、閉鎖的な学者世界を嫌って中断。  ケルズ・エルヴィンスとの共作で、六年ぶりに小説を書き上げる。 7)メヒコ市立大学(一九四九、専攻考古学)  アメリカでの麻薬所持による裁判から逃れるため、メキシコに移住。復員兵援護法の適用を受けるために入学。バロウズは、母親のコネでうまく徴兵を逃れており、まちがっても復員兵などではないが、どういうわけかこの法律の適用は受けられた。マヤ考古学とメヒコ考古学の講義を受講。 職歴: 1)軍志望(一九四〇、すべて却下)  第二次世界大戦を目前にひかえた一九四〇年、「お国のために役に立ちたい(より正確には、かっこいいヒーロー的な活躍がしたい)」と思い立ち、海軍と空軍将校として応募するが、肉体的な問題で落とされる。また、CIAの前身であるOSSに応募するが、これも人格的な問題で不合格。  開戦後、徴兵が来たが、将校になって命令を下すことにあこがれていたバロウズは、兵卒なんか嫌だ、というわけで、母親に頼んで軍にコネのある神経科医に、徴兵不適格の診断を下してもらう。 2)コピーライター(一九四一)  軍将校の応募をすべて蹴られて、ニューヨークで働きたいと思ったバロウズは、父親のコネで弱小広告代理店に入社。徴兵がかかるまでの半年足らずをここで過ごす。 3)害虫駆除業者(一九四二)  徴兵不適格が認められ、バロウズは徴兵により働き手の減ったシカゴに向かう。工場勤め(三日)、私立探偵(二週間)、バーテン(二週間)を経て、AJコーエン害虫駆除社に勤務。一日平均勤務時間二時間。あとは競馬場などで油を売る生活を八カ月継続。これはバロウズの作家業以外の職歴として最長不到期間である。八カ月・・・なお、映画「裸のランチ」冒頭で登場するのが、この時期のバロウズの暮らしぶりである。 4)故売屋(一九四二ー一九四五)  定職として行っていた仕事ではないが、チンピラ連中とのつきあいが始まったシカゴ時代に、コネとブツがあり次第、それをさばいては小銭を稼いでいた。「ジャンキー」冒頭のシーンがその当時の雰囲気を伝えている。 5)麻薬の売人(一九四五ー一九四九?)  バロウズがモルヒネを使い始めたのが一九四五年。故売屋稼業のなかで手元にわたってきたモルヒネを使って見た結果、自分が中毒になり、自分の薬を買うために売人生活を余儀なくされる。非常にきちょうめんで優秀な売人であったが、自分の薬代にはなかなか追いつかず、副業として介抱強盗などにも従事。この当時の話は、「ジャンキー」に詳しいが、その他バロウズ作品のいたるところに登場する。 6)物書き(不定期。一九五七年よりほぼ専業)  これについては後述。 7)その他  麻薬所持の保釈中に、親のみやげ物屋で配達係として勤務。  友人と共同で油田と農業に出資(一九四七年。より正確には、親に出資してもらう)。失敗。  俳優業(一九六二、八〇年代後半。不定期)「チャパックワ」(コンラッド・ルークス監督、一九六六)「砲撃開始!」(アンソニー・バルチ監督、一九六二頃)、「デコーダー」(ムシャ監督、一九八三)「パイレート・テープ」(デレク・ジャーマン監督、「バロウズ」(ハワード・ブルックナー監督)、「ドラッグストア・カウボーイ」(ガス・ヴァン・サント、他。おもに対抗文化の代表作家としてのネームバリューと、その無表情な存在感目当てで出演依頼がなされているらしい。  画家/彫刻家(一九八六より。不定期) 身体的特徴/病歴: 1)左小指の第一関節切断(一九三九)  惚れた男につれなくされて、あてつけのため発作的に切断。 2)各種薬物中毒(一九四五ー一九五六)  「一応なんでも試してみる」という方針で、薬に手を出すうちに、故売稼業でモルヒネを入手。以来、中毒状態が続く。以来、十年以上にわたってありとあらゆる薬に手を出す。具体的な薬の種類やその詳細については、新版「裸のランチ」の補遺に詳しい。  「麻薬を使うのに、はっきりした理由はない。それ以外に何もすることがなくて麻薬をうっているうちに、気がつくと中毒になっているのだ」とバロウズは「ジャンキー」序文に記している。同時に、「麻薬は刺激のためのものじゃない。麻薬は人生そのものだ」とも(邦訳の「麻薬は生き方なのだ」という鮎川訳は、若干意味を不明瞭にしている)。麻薬の世界も、麻薬の外の人生と同じ、人に利用されて苦しむだけの繰り返しにすぎない、という認識がここにある。ともあれ、一九五六年、厄年を迎えたバロウズは親からさらに五〇〇ドル引き出し、イギリスでアポモルヒネ治療を受け、中毒を脱する。  ただし、これ以降も機会があれば、ヘロインやモルヒネなどの代謝系の中毒を起こさない薬にはちょくちょく手を出している。 賞罰: 1)文書偽造による麻薬入手(一九四六、ニューヨーク。有罪)  処方箋を偽造してモルヒネを入手しようとしたために逮捕。 2)飲酒運転、風紀紊乱(一九四八、テキサス。有罪、罰金一七三ドルと免停六カ月)  飲酒運転中、ちょっとその気になって、妻と道ばたでコトに及んだところを逮捕。 3)麻薬所持(一九四九、ルイジアナ。保釈中に逃亡) 4)過失傷害致死(一九五二、メキシコ・シティ。保釈中に逃亡)  「おかま」で描かれた、イェージとボーイフレンドの愛を求めての南米旅行から帰ったバロウズは、どちらも得られなかったため、非常に落ちこんでいた。そのボーイフレンドも交えたパーティーの席上で、「ウィリアム・テルごっこの時間だ」と内縁の妻ジョーンの頭にシャンペン・グラスを乗せさせて、三メートルのところから撃った。日頃から拳銃を持ち歩き、射撃の名手として知られていたので、だれもバロウズを止めようとはしなかった。弾はそれてジョーンに命中。  逮捕されたバロウズは、両親に頼んで弁護士と保釈金をつんでもらい、しばらく毎週月曜に出頭する日々が続く。しかし、やがて弁護士事務所が保釈金の上積みを要求してきたため、たかられるのを嫌ったバロウズは国外逃亡。 5)わいせつ文書執筆(一九六三年、勝訴) 3)アメリカ文芸協会会員(一九八三) 4)フランス芸術賞勲三等(一九八四) 主要な友人・知人: 1)アレン・ギンズバーグ(友人、愛人。詩人)、ジャック・ケルアック(友人。作家)  一九四三年、シカゴでバロウズと出会う。当時、害虫駆除業をやっていたバロウズの周辺には、かれのセントルイス時代の友人を介して奇妙な知的不良集団のようなものができあがっていた。ギンズバーグもケルアックも、そこに加わったわけだ。  初めて会ったとき、バロウズは近くのレスビアン・バーでのケンカの話をしていたが、そこで何気なくシェイクスピアを引用してみせたのでギンズバーグはいたく感心したという。また、いつもスーツを着こなして帽子をかぶっているのも目だったという。  ギンズバーグはバロウズと肉体関係を持ち、「吠える」に端を発する成功で名声を確立して、この先あらゆる面でバロウズに援助を与えることになる。金銭的な援助、精神的な援助、出版社の斡旋など、バロウズがギンズバーグにうけた恩は計り知れない。  ケルアックは、自分には物書きとしての才能がないと確信していたバロウズに、書き続けるよう励まし続けたという点で、作家バロウズの誕生に与えた影響は甚大である。「裸のランチ」「おかま」のタイトルは、ケルアックの案である。また、自分の作品の登場人物としてもバロウズをよく登場させている。 2)ジョーン・ヴォルマー(内縁の妻)  ギンズバーグやケルアックと同じグループでバロウズに出あう。堕胎経験二回、既婚、娘一人で、非常に知的な反面、不安定な部分も持っていて、覚醒剤の常用者。セックスの経験は豊富で、ケルアックとも寝ている。バロウズとはセックスの面でも話題の点でもウマが非常にあったため、やがて同棲、妊娠。バロウズが堕胎に反対だったので、一九四七年にウィリアム・バロウズ・ジュニアを生む。  その後、バロウズとは特に問題もなく暮らし続ける。ジョーンのほうも、バロウズのやることに口を出さず、バロウズも彼女の行動に文句をつけず、お互い勝手に行動。しかし、ニューヨーク、テキサス、メキシコシティと、常にバロウズと行動をともにしていた。一九五二年、メキシコシティでバロウズに射殺される。  彼女を殺すことで、バロウズは出口なしの状態に追い込まれる。未だにバロウズは、自分が妻を殺したことを正面きって認めようとはせず、「外部の邪悪な霊に憑かれた」などと語る。そうした一種の弁明を行うためにも、かれは書くしか手がなくなった。折しも「ジャンキー」が出版されたバロウズは、物書きという立場にしがみつくに到る。この意味で、作家バロウズを生んだのは、まさに妻の射殺という事故であった。 3)ブライオン・ガイシン(友人。画家)  一九五四年にバロウズがたどりついたタンジールは、うろんな連中がひしめく町だった。世界各国からの亡命者あるいは流れ者。ポール・ボウルズとジェーン・ボウルズのような作家、そしてブライオン・ガイシンのような画家もいた。  タンジールでは、多少面識のある程度だったバロウズとガイシンの交遊が始まったのは、一九五九年のパリでのこと。非常にエゴが強く、自分のことならいくらでもしゃべり続けられるガイシンにバロウズはひかれ、同じビート・ホテルに暮らして毎日のように会っている。暗殺教団親玉ハッサン・イ・サッバーの話や、著しい女嫌い、日本の某ディスコで「バロウズ開発」として紹介されていたドリーム・マシン開発、そして何よりカットアップという技法をバロウズに教えるなど、「裸のランチ」以降のバロウズの作品に著しい影響を与えた人物。 4)モーリス・ジロディアス(出版者)  オリンピア・プレスの社長。この出版社は、パリで英米から観光客相手に裏部屋でポルノを売っている出版社だった。焼き畑商法であり、客が中身を吟味して買うことなどまずない出版物が専門だったため、社長の趣味で一割くらいは文学っぽい小説をまぎれこませることができた(もっともそのために同業他社からは「上品すぎる」と嫌われていたそうだが)。時代的に、それまでは考えられなかったような野心的な試みが数多くなされ、発表場所を求めてウロウロしている時期。ベケットの「ワット」「モロイ」「マロウンは死ぬ」、アレキサンダー・トロッキの諸作、そして有名なナボーコフの「ロリータ」などがポルノにまぎれて刊行されている。ただし、契約や支払面でかなりルーズな人物であったことは、本誌の「ナボコフ特集」などでも取り上げられていたし、その他の作家からもたびたび訴えられている。  とはいうものの、かれがいなければ、「裸のランチ」が日の目を見ることはなかったかもしれない。ベケットやナボコフ、バロウズのような小説を紛れ込ませることで、ポルノのシリーズとしてのオリンピア・プレスの評判はだいぶ悪化したという。それだけのリスクを負ってまで、こうした作家を世に出したこの人物は、もっと評価されていい。 5)ウィリアム・バロウズ・ジュニア(息子)  一九四七年生まれ。バロウズの息子。母親を射殺し、自分にほとんどかまってくれない父親に対する感情はかなり複雑なものだったらしい。優れているとは言いがたい小説を二冊書いて、死亡。 人事評価:  以上、小説以外の部分で見るバロウズは、マザコンで内向的で人見知りする、こらえ性のない、そのくせプライドだけは人並はずれて高い人物である。まわりからつれない扱いをうけた、と不満が多いが、こんな自意識過剰で身勝手な人間なら当然である。ふつうはこういうつまはじき状態が続くと、多少は自分の性格を改める気になるのだが、バロウズの場合、身勝手が高じてヤバくなると、母親が出てきて助けてくれる。大学だって、勉強したかったわけでもない。親の希望だったからというだけ。卒業後も、まともに就職しないでも暮らせるだけの金が親からもらえたため、職を探す必要もなかった。かっこ良さそうだと思った仕事に応募はするけれど、落とされれば派手に恨んでみせるし、たまに採用されても、楽な部分ばかりでないことを知るとやめてしまう。なにかやりたいことのために努力するなどということは皆無。麻薬を始めたのも、ほかにすることがなかったからだ、と自分で言っている。「幼い頃から作家になりたかった」と言いつつ、そのために何かしたわけでもない。結婚しても奥さんはほったらかし。子供ができてもほったらかし。  バロウズがさまざまな麻薬を試しているのは事実である。ただし、それは「自分のからだを使った実験」などというえらそうなものではなく、単に常に楽な方向を選んだ結果、と見たほうがいい。モラトリアムの塊のようなぷーの人、それがバロウズである。  モルヒネ使用の結果として、かれは仕送り以上の金をどうしても手に入れる必要が出てくる。また、物価上昇に伴って、二〇〇ドルの仕送りの価値はどんどん低下してくるため、さまざまな職に手を出さざるを得なかったのが一九四五年からの時期である。随時親に金をせびりつつ、ニューヨークからテキサス、メキシコ、タンジールという具合に、生活費の安い(そして麻薬の手に入りやすい)ところを探して移住を繰り返し、なんとかモラトリアムを維持しようとしている。  かれが本格的に作家として活躍を始めるのは、まず妻の射殺以降のことであり、この時の保釈金や弁護費用の負担はかれの両親にかなり重たかったと推定される。一九五七年のタンジール移住前後から、両親はそろそろ引退の準備のため、仕送りの打ち切りを匂わせている。妻を殺したことによる逃げ場のなさと弁明の必要、そして仕送り停止という経済的な危機が、作家バロウズの誕生には大きな意味を持っていたと考えられる。 主要著書:  バロウズの著書は、アングラ出版社によるものも含めると膨大な数となる。重複するものも多く、とてもすべて書き尽くせないし、そもそも本人からしてすべて把握しきっていない。また、小説の多くは明確な主人公もストーリーも持たないものであり、個別に解説する意味は少ないため、ここでは時代別にグループ化して論じる。 「ジャンキー」(一九五三、邦訳:思潮社、鮎川信夫訳、一九六九) 「おかま」(一九八五、邦訳:ペヨトル工房、山形浩生・柳下毅一郎訳、一九八八) 「麻薬書簡」(一九六三、邦訳:思潮社、諏訪優・飯田隆昭訳、一九六六)  「ジャンキー」が出版されたのは一九五三年であり、一九五二年に出版決定の知らせをうけたバロウズは、妻の射殺で獄中の身だった。これまでにも親に散々迷惑をかけ、しかも世話は兄に任せっぱなしで、余罪があるためアメリカにも戻れない。友人のギンズバーグもケルアックもまわりにいない状態で、バロウズが唯一すがれたのが、「自分は本を出した。自分は作家なんだ、もうこれしかおれには残されていないんだ」という認識だったことは想像に難くない。  このバロウズ草創期の三作は、いずれもほとんど自伝的そのものと言っていい。「ジャンキー」は一九四五年の麻薬の味を覚えてから、一九五一年にイェージを求めて南米旅行に出発する直前までを扱っている。まだ自分の創作能力や脚色能力に自信のなかったバロウズは、極力客観的でクールな書き方を保つように努力しており、麻薬売人やジャンキー、ホモ、コソ泥といった裏の世界を扱っていることもあって、ハードボイルド的な味わいの強い小説になっている。  「ジャンキー」後半の、メキシコ・シティの部分から始まるのが「おかま」である。この書物が書かれたのは、妻の射殺を経て保釈となってメキシコ・シティにいた頃。ボーイフレンドの気を引こうと努力するリーが、「イェージっていうすげえヤクがあるから探しにいこう」と相手を旅行に誘い、結局はかれにふられる、というストーリー。テーマといい執筆時期といい、バロウズにはセンチメンタルになるべき要素がたっぷりあった。できあがったのは、もの悲しくも美しい、純愛小説である。センチメンタルな部分をごまかそうとして、主人公はやたらにしゃべりまくり、ジョークを飛ばす。「裸のランチ」以降の作品に満ちるブラック・ユーモアのルーツはここにある。  一九五三年、保釈中にメキシコを脱出したバロウズは、こんどこそ幻のイェージを発見すべくコロンビアに向かう。イェージは見つかるものの、それはかれが期待していたような、すべてを解決してくれる究極のドラッグではなかった。「麻薬書簡」はその道中と、それをなぞるギンズバーグの道中の手紙を集めたものである。 「裸のランチ」(一九五九、改訂版一九六二年。邦訳:河出書房新社、鮎川信夫訳、一九六四、改訂版一九九二)  一九五七年、麻薬から立ち直ったバロウズは憑かれたように執筆を開始する。そしてすさまじいつぎはぎ編集の末に完成した原稿を、パリのアレン・ギンズバーグに送り、その後も数回にわたって訂正や追加差し替え原稿を送る。一応の完成を見た原稿を、ギンズバーグがパリのアングラ出版社オリンピア・プレス(フランス語読みではオランピアだが、英米人専門の英語出版社であったので、ここではオリンピアと表記する)に持ち込む。その原稿が物理的にあまりにひどい状態だったため、一度は「読めるようにしてから出直せ」と追い返されたものの、一九五九年に無事出版されたのが、ジャック・ケルアック命名の本書「裸のランチ」初版だった。  出版社としての編集作業は皆無。「十日で原稿をあげろ」と無理な注文がつき、雑多なセクションがいい加減な順番で印刷所にまわされ、ゲラができた時点で構成を考えるはずだったが、その出鱈目な順番が「なんとなくいい感じ」だったので結局手は入らず。  健全なポルノだと期待して読まされた読者の反応は、あまり芳しいものではなかった(そりゃそうだろうね)。「裸のランチ」を有名にしたのは、各種の裁判である。まず、「裸のランチ」の抜粋を掲載した雑誌が、郵便法違反で次々につかまる。そしてボストンでは、本屋がわいせつ文書販売のかどで逮捕。こうした裁判のなかで強調される「文学的価値の高さ」が「裸のランチ」評価に大きく寄与したのは事実であり、またわいせつ裁判の対象となったという事実が売上に大きく貢献したのも、これまた事実である。  この「裸のランチ」と同時期に、「吠える」「ロリータ」「北回帰線」などが登場し、いずれも激しい議論を巻き起こしていること、そしてその議論のおかげでいずれも売上がかなり伸びていることは記しておこう。この六〇年代初期という時代は「こんなことを書いていいのか!」「こんな書き方をしていいのか!」という解放と発見の時代だった、とトマス・ピンチョンは書いている。「裸のランチ」も、それをめぐる一連の騒ぎも、そうした時代の産物だったのだ。  邦訳は非常にはやい時期に行われ、鮎川信夫と当時の編集者の見識の高さがうかがえる。ただし、旧訳は明らかにオリンピア版によるものであり、その後、原著の加筆部分を盛り込んだ改訂版が映画の公開にあわせて出版。 「ソフトマシーン」(一九六一、改訂版一九六六、一九六八。邦訳:ペヨトル工房、山形浩生・曲盛彦訳、一九八九) 「ノヴァ急報」(一九六四。邦訳:サンリオSF文庫、諏訪優訳、一九七八。改訳版近刊) 「爆発した切符」(一九六二、一九六七。邦訳:サンリオSF文庫、飯田隆昭訳、一九七九。改訳版近刊)  「裸のランチ」でとりあえず作家としての地位を獲得したバロウズは、雑多なエピソードをいい加減に並べる、というやりかたが気にいったのだろう。また、ブライオン・ガイシンと出会い、カットアップという技法を手にいれる。出来合いの文を出鱈目に切り、出鱈目に並べかえて新しいことばの連なりを産み出す手法である。そしてそれをさらに発展させた(というより、切る手間を省いて省力化を計った)折り込み法(フォールド・イン)により、「裸のランチ」以降の数年間、かれはすさまじい量の本を世に出す。これは、一つには家賃の支払に追われていたせいだという証言もある。  ただ、語り口はいささかエキセントリックなものだが、追っているテーマは「裸のランチ」から一貫している。麻薬の売人(あるいは麻薬そのもの)とジャンキーの関係を、「言語」を含むこの世のありとあらゆる人間関係にまで拡大適用し、それを「ウィルス」「寄生虫」とその宿主の関係として描いた、ほとんど強迫観念のようなバロウズの小説世界は、「裸のランチ」以降さらに先鋭化され、その一方で一般性を失った。「ソフト・マシーン」「ノヴァ急報」「爆発した切符」などの諸作は、具体的な風景をほとんど持たない、観念とおぼろげな記憶のみが交錯する、時に美しい、時に耐えがたいほど退屈な、不思議なブレンドの小説となっている。 「猛者(ワイルド・ボーイズ):死者の書」(一九七一。邦訳:ペヨトル工房、山形浩生訳、一九九〇) 「聖者の港」(一九七二) 「ゴキブリホイホイ!」(一九七三。邦訳(予定):ペヨトル工房、山形浩生、柳下毅一郎、渡辺佐智江他訳、予定邦題「おぼえていないときもある」)  「ソフトマシーン」三部作で、カットアップ/折り込みという技法に関する実験を一通り終えたバロウズは、読み易い物語的な手法に戻ってくる。「いずれ読者もカットアップに慣れる!」と主張していたバロウズも、多少は妥協することにしたらしい。  ここでバロウズは、少年時代の記憶を小説に織り込むことで、別の味わいを出している。人づきあいが下手で夢見がちだった少年時代の話が、「おかま」で見られたような感傷を作品に取り込むにあたって非常に有効に機能している。  また、映画的な手法の多用もここではじまる。「宇宙はすべて、だれかがあらかじめ記録したテープの再生にすぎないんだ」という「ノヴァ急報」などでの強迫観念的な主張が、ここで映画という洗練された形で提示されている。  「ゴキブリホイホイ!」は短編集であり、これまであちこちのアングラ雑誌に発表した短編をまとめたものである。長編に見られる気負いと強迫観念はなく、非常にヌクヌクした、なつかしい世界が展開されている。目に見える風景ではなく、精神の中に展開される一瞬の風景をそのまま切り出してきたような短編ばかりであり、そのいずれもがきわめてバロウズ的なイメージにあふれている。お望みなら、インターテクスチュアリティと言ってもいいが、それの塊のような美しい書物である。 「ダッチ・シュルツ最期のことば」(一九七五。邦訳予定あり) 「映画ブレードランナー」(一九七九。邦訳:トレヴィル、山形浩生訳、一九九〇) 「おしごと」(一九七〇) 「第三の精神」(一九七八、ブライオン・ガイシンと共著)  七〇年代は、バロウズが不活発な時期であった。この時期の一つの特徴として、「猛者」や「ゴキブリホイホイ!」で導入された、小説世界を映画スクリーンとみなす手法が、こんどはさらに徹底して映画シナリオとなって登場している。禁酒法時代のギャング、ダッチ・シュルツの生涯を描いた「ダッチ・シュルツ最期のことば」や「猛者」をニューヨークに移住させたような「映画ブレードランナー」は、映画シナリオという形式の制約から、これまでのバロウズ作品に見られない明確で読み易いものとなっている。  また、同時に理論的な整理も試みられている。インタビュー集「おしごと」は、インタビューという形式でそうした整理を試みたものであり、女や政治、小説の技法について非常にまじめな議論が展開されている。また、「第三の精神」は、カットアップをバロウズに教えたブライオン・ガイシンとの共著のかたちをとり、そうした技法の主旨と、その応用や展開を、具体的な作品に即して説明した本である。いずれもバロウズ理解には非常に役にたつ。 「紅夜の都市」(一九八一。邦訳:思潮社、飯田隆昭訳、邦題「シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト」、一九八八) 「どんづまり」(一九八四。邦訳:思潮社、飯田隆昭訳、邦題「デッド・ロード」、一九九〇) 「西方の地」(一九八八。邦訳:思潮社、飯田隆昭訳、邦題「ウェスタン・ランド」、一九九一)  ウィリアム・バロウズが「裸のランチ」以降に多少なりとも一般的な支持を受けるようになるためには、八〇年代になって「紅夜の都市」(邦題「シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト」)の刊行を待たねばならない。  基本的に、この「紅夜の都市」に始まる三部作は、「猛者(ワイルド・ボーイズ)」の延長線上にあると見ていい。その語り口は、「ジャンキー」でのハードボイルド、「おかま」のセンチメンタリズム、「裸のランチ」の誇張に満ちたブラックな笑い、カットアップなど、これまでのさまざまな手法の集大成となり、それが物語的な構成をもって編み込まれている。また、ハッサン・イ・サッバー、猛者軍団、失われた都市、突然変異ウィルスなどのモチーフ面、あるいは登場人物面でも、これまでのバロウズ作品の集大成であり、古参ファンを喜ばせてくれる。非常に読み易く、若干物足りない気さえするほどではある。が、明らかにこの三部作は、バロウズの新しい作品世界の広がりを示している。  バロウズは、「ジャンキー」でのウィリアム・リーや「猛者」でのオードリー・カーソンズなど、自分の分身を登場させるのが好きな作家であった。「ウェスタン・ランド」では、これに加えて老作家ウィリアム・ホールが登場する。書けない作家、という存在として登場するこのホールにより、孤独、老い、死などが語られるのはしんみりと感動的。 備考:  一時は絶筆説も流れたバロウズだが、現在もなお新作執筆中であるという。「紅夜の都市」までは、朗読ツアーなどのドサまわりをしなくては生計がたたなかったバロウズだが、現在は物価の安いカンサス州ローレンスで、かなり楽な生活を送れるようになっているようだ。が、経済的な条件が整ってからも書き続けている理由の一つは、かれがいまだに自分の妻の射殺という事件を乗り越えられていないからなのだろう。繰り返しになるが、「外部からの侵略者による人間の操作」という、一貫したバロウズのテーマは、基本的には奥さんの射殺に対する弁明であり、「自分がやったんじゃない」と言い張るための方便である。一九八五年「おかま」序文は、それまで言及を避けてきた妻の死についてはじめて自主的に語っているが、その方便を否定するには至っていない。単に「悪の勢力に憑かれてやった。だからその勢力を明確にするため、自分は書き続けるんだ」と述べているにとどまる。  もちろん、そんな悪の勢力はない。そんなものを無理に仮定すれば、「ノヴァ急報」時代の陰謀史観に逆戻りしなくてはならないだろう。ないものを探ろうとする迷いと逡巡は、バロウズの小説世界に人間味を与えているし、それが見つからないことで、バロウズ特有の哀しみと喪失感は生まれている。いつかかれは、その「外部の悪意」が存在しないことを認めることになるだろうか。その時、バロウズはようやく書くことから解放されるはずだ。だが、かれに残された時間はもう少ない。 主要参考文献) Ted Morgan, "Literary Outlaw: The Life and Times of William S. Burroughs" (New York, Henry Holt and Company, 1988) Maynard/Myles, "William S. Burroughs: A Bibliography,1953-73" (The University Press of Virginia, 1978) Michael B. Goodman/Lemuel B. Coley, "William S. Burroughs: A Reference Guide" (New York, Garland, 1990) (やまがた ひろお、地域開発計画) ****************************** 前略  えっれえ長くなってしまいました。四〇枚強! これでも作品解題がくいたりない感じです。  いま気がつきましたが、単なる年譜にはなりませんでしたが、よろしいのでしょうか。ふつう、人が年表を見るのは、なにかを年代ごとに追うよりも、むしろ「XXがあったのはいつだっけ」といった、テーマ別の事項の調査のためだと思います。そのためにはこの形式のほうがよかろう、と思ってこうしてみました。  また、コメントもぐちゃぐちゃ入れてあります。かなり辛辣な物言いをしている部分も多々ありますが、ロック業界に多いバロウズ教徒の思いこみにペケをくれるためには必要なことだと思います。  「削れ」等のご注文がございましたら、ご連絡ください。ではまた。