風の噂ではございますが……
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hamachan 様のコメント | 山形の記述 | コメント |
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「富岡日記」を持ち出して「女工哀史」に反論したつもりになっている (*1、10/6コメント) | ところでなんでも、労働研究者はサヨクな方たちが多くて、資本家は常に労働者を搾取したことにしたいから、女工哀史みたいなのをなるべく称揚して、こういうやる気のある労働者が国や資本と協力して喜んではたらく富岡日記は自分の説に都合が悪いから「特殊例だ」「こんなのばかりではない」「一面的だ」と貶めるのが作法だと聞いたことがあるが、本当かね。まったくどうしようもないね。 (*2, 強調引用者) | 「反論」というのが何をさすのか不明。女工哀史がなかったなどと言っているわけでは毛頭ない。さらに、この下りは単なる伝聞として書かれており、さらに「本当かね」とつけることでその妥当性に関する判断は明確に保留してある。 |
『そういう謙譲の美徳を示されておられるのであれば大変結構なんですがね。いやあ、確かに世の中は女工哀史の通りでしたが、ごく初期の一部では富岡日記みたいなこともあったんですよという風に、居候がそっと出すような言い方であれば、誰も文句は言いません。それだけの話です。 (*3コメント欄) | 上を参照*2 | 女工哀史がなかった等は一切書いていないし、富岡日記こそが真の代表的実態だったと書いてもいないし、かなり留保もさんざんついておりますが。このため、ごく少数の例外を除いて、確かにおっしゃるとおり誰も文句はおっしゃっておりません。上のコメント参照。 |
労働問題研究者はみんなサヨクだと思いこんでいるらしい (*1、10/6 コメント) | 労働研究者はサヨクな方たちが多くて*1 | 「みんな」と読むべき理由はない。「多い」と言ってる以上、明らかに「みんな」ではないことは含意されている。 |
私について言えば、労働問題の専門家としてブログを張っている以上、その範囲については専門家としての責任をもってものを言ってるつもりです。(*3コメント欄) | - | 「責任」……ふーん。 |
おお、あの地味な『メイソン&ディクソン』より数層倍期待できそうではありませんか! しかしこの分も、数日掲載された後で削除され、そして今また復活と、例によって謎めいた展開。しかもハードカバー 992 ページって、『重力の虹』やM&Dのさらに三割増し。すげー。 (2006/7/22, id)1893 年シカゴ万博から第一次世界大戦直後の日々に至るこの小説は、コロラドの労働問題から世紀変わり目のニューヨークに、ロンドンからゲッチンゲンへ、ヴェネチアからウィーンへ、バルカン、中央アジア、謎のツングースク隕石事件のシベリア、革命期メキシコ、戦後のパリ、サイレント時代のハリウッド、そして厳密にはまったく地図に登場しない場所いくつかへも逍遙いたします。
ほんの数年先に全世界的な惨事を控えたこの時期は、企業の貪欲に歯止めがなく、インチキ宗教がはびこり、白痴めいた軽薄さ、地位の高い人々の邪悪な意図がはびこった時代。現代との対比は意図してはおりませんし、また読み取るべきでもございませぬ。壮大な登場人物群には、アナキスト、風船屋、ギャンブラー、大立者の企業家、ドラッグ好き、無辜の民や頽廃階級、数学者、マッドサイエンティスト、シャーマン、霊能者、舞台手品師、スパイ、探偵、女性冒険家、雇われ殺し屋などなど。ニコラ・テスラ、ベラ・ルゴシ、グルーチョ・マルクスもゲスト出演いたします。
確実性の時代がかれらのまわりで音を立てて崩れ去り、予測のつかない未来が生まれる中、この連中はおおむね自分の人背を謳歌せんとしているだけ。中には人生に追いつける人もいれば、人生に追いかけられるはめになることも。
一方で、不肖この著者めはいつものやつを展開いたします。登場人物は作業の途中で立ち止まり、おおむね間抜けな歌を歌います。異様な性的行為が執り行われます。奇妙な言語が語られ、それも必ずしも慣用語法にはしたがっておりませぬ。事実に反する出来事も起こりまする。これがこの世でないにしても、ちょっとした手直しをいくつか加えれば、あるいはあったかもしれぬこの世界。それこそフィクションの主要な目的であるとおっしゃる方もおりますぞ。
それを決めるのは読者の皆様、すべては読者の自己責任。ご幸運を」
――トマス・ピンチョン