風の噂ではございますが……
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マンキューせんせいったら正直なんだから……。死人にむち打つような真似して(でも毛沢東は、犬がどぶに落ちても殴るのをやめてはいけない、と申しているそうです[←数名の方からのご指摘によれば、マオではなく魯迅だとか)。ちなみにクルーグマンによるガルブレイス叩きは『経済政策を売り歩く人々』(日経)にあります。 (2006/5/3, id)ジョン・ケネス・ガルブレイス
ジョン・ケネス・ガルブレイスが昨日死んだ。ワシントンポストとニューヨーク・タイムズの記事を参照。また、ガルブレイスの経済学のまとめはこちら。
わたしは昔から人間としてのガルブレイスのファンだった。とはいえ、経済学者としてのガルブレイスの結論にはほとんどすべて賛成できなかったけれど。ガルブレイスは自分の思いこみだけで動いており、自分の職能の告げる内容にはしたがわなくてもいいと思っていた。人気ある著作家として、かれは狭い経済学者集団だけをねらうよりは、もっと広い読者を目指そうとしてた。1970年代に学部学生だった頃、ガルブレイスは一般大衆の間で最も認知度の高い経済学者だと読んだことがある。
(後略)
もちろん賢明なる諸君は、女教師が生徒に関係を強要されて潮をふく AV だって探せばあるんじゃないですか (松島かえでのアレとか)、とか、宇宙企画族では男は生徒でサマンサ族では男は校長で、当初の女教師との関係が逆転しているから、よく見ると逆転の数があわなくてそんな厳密な変換の対応関係があるとはいえないんじゃないですか、とか尋ねたくなるんだが、そういう論証はいっさいなし。あっても「いやしかしよくみると、こちらでは学生は制服を着ていたがこっちでは着ていない」とか、これまでまったく問題にしなかったものを急にクローズアップするという手口。「女教師系 AV 神話の分析! 宇宙族の神話Aは、「女教師が生徒に関係を強要して立ったまま潮をふいてしまう」というものであった。この神話においては、女から水が下に落ちる、という構造があり、女は天の役割を与えられている。これに対しサマンサ族の神話Bにおいては、女教師は関係中にシャワーを下から男にかける。これは水が女(大地)から上にあがる、という構造となっていて、さきほどのものとは逆である。これをもって神話構造に一貫性はないと否定する説もあるが、これは神話の論理を理解しない愚論である。こちらの神話Bにおいては、逆に女教師が校長に関係を強要される話となっている。すなわち、両者の関係の逆転のに対する論理的な対応として水の方向/女の役割も逆転しているのである! これは以下のような構造図式として明確に示せるのである:
このように、神話は常に明確で厳密な内的な構造論理を維持しているのである!