リフレーション政策の個人史と展望 山形浩生 1. はじめに  二〇一三年春は、二十年にわたり不景気が続いた日本の経済にとって大きな画期となった。その不景気最大の原因たるデフレに対し、ようやく実効性のある政策対応がうちだされつつあるのだ。もちろんこれは、通称アベノミクスに伴うリフレーション政策のことだ。しかもこれまでのかけ声だけのデフレ脱却ではない。いままでデフレを放置してきた主犯である日本銀行の首脳陣を刷新することで世界にその本気度をしらしめ、その首脳陣が明確なインフレ目標と実現手段をアナウンスすることで、人々の予想するインフレ率を確実に引き上げる――まさにセオリー通り、ごまかしではない正統ストロングスタイルのデフレ脱却だ。日銀総裁にもとアジア開発銀行総裁だった黒田東彦、副総裁の一人に我が国のリフレ論第一人者である岩田規久男が就任。現実的に望める最高の布陣で、これでデフレ脱却への取り組みを疑う者はいないだろう。そして二年後に2%のインフレを目指すという目標が明言された。  さらに、本稿執筆時点で状況はさらに進展した。前節で日銀人事を「現実的に望める」最高の布陣と書いた。この時点では、岩田規久男は筋金入りのリフレ派だが、黒田総裁がどこまでこれまでの日銀体制に対して突っ張れるかについては多少の悲観論もあった。特に、これまで何度も日銀のごまかしを目にしてきた昔からのリフレ派は、この十年でかなり心が歪んでしまったこともあり、岩田規久男総裁が実現しなかったことに失望する声も大きかった。また、目標のアナウンスはさておき、それを実現する手段が腰砕けになるのでは、という見方もあった。しかし四月頭、最初の政策会合でそうした懸念は一層された。世界的にも類のないほどの大規模金融緩和がいきなり発表され、しかもこれまでデフレ維持を支持してきた審議委員たちが突然旗色を変え、一斉にリフレ策支持にまわった。この動きは世界的にも絶賛されている。  十五年前からリフレの必要性の宣伝に努めてきた身としては、夢のようだとしか言いようがない。昨年夏に拙訳で出たクルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』(早川書房)の訳者解説を読み返すと、日本でのまともな脱デフレ、脱不況策の実現については「はかない夢」と書いている。わずか半年前には、こんな自体になるとはまったく予想もしていなかった。  そして、これはぼく一人や、いわゆるリフレ派にとってだけの朗報ではないはずだ。リフレ派の主張が正しく、これが成功すれば、それは景気を回復させて日本全体にとっての朗報となる。そして世界第二位……ではないのか、今は中国に抜かれて三位だっけ、それでも世界有数の経済が復活すれば、それは世界経済にとってもビッグニュースだ。いまアメリカ経済はやっとリーマンショックから立ち直ったばかりでヨロヨロだし、ヨーロッパ経済はユーロの惨状で足を引っ張る存在でしかない。一時がんばっていた中国も息切れ状態。だが日本の景気が回復すれば、世界各地の製品をもっと買うようになり、さらに資金も供給できる。うまく行けば停滞気味の世界経済を、泥沼から引っ張り出すことだってできるだろう。  さらにもしこれがうまくいけば、本誌の読者のみなさんにとってもまちがいなく朗報となる。非正規労働の惨状に心を痛めたあなた。景気が回復すれば、その状況はある程度よくなるし、労働者側の交渉力も高まる。若年失業を心配するあなたも同じ。企業の倒産も減り、就職口は増えます。福祉の低下をお嘆きのあなた。景気が回復すれば税収も上がる。そうすればいまよりも福祉にお金はまわりやすくなる。生活保護バッシングや、在日韓国人の特権バッシングの異様さを懸念するみなさん。あれは限られたパイを取り合っているから起こる争いだ。名作『竜の子太郎』にもあるとおり、ヤマメが何百匹もいれば、ヤマメ三匹喰ったくらいで龍にされる必要はない。他人の特権に目くじらをたてることもなくなる。そして途上国の貧困を心配するあなた。インチキなフェアトレードに頼らなくても、途上国の産業の市場が広がれば生活水準向上の余地も大きく拡大する。  念のため言っておくと、こうした問題が金融政策だけでだまっていても解決する、と言っているんじゃない。ただ、解決のための余裕は増える。こちらの取り分を増やすのに、あちらの取り分を削る必要もなくなる。現実的な解決策が登場して施行される余地はずっと高まる。いままであれこれ提案してもなかなか採択されなかったアイデアを実際にやれる場面も増えてくるのだ。本誌のバックナンバーで議論されてきた各種の課題や提言は、これからその実効性が試される場面がたくさん出てくるはずだ。  本稿では、まずこのリフレをめぐる個人的な経緯を少し話そう。そしてこの説がこれまで受けてきた批判に少し触れる。その多くは、本誌に執筆するような人々からきたものだ。そうした批判は、このリフレ政策とともに通称アベノミクスを構成する他の要素とも関係しているので、それを少し考えよう。すでに述べた通り、リフレ的な金融緩和だけで万事解決とはいかないのだから。でも、ぼくは楽観的だ。問題がすべては解決しなくても、かなりの部分は改善されるはずだ。でも、そうなるとぼくはもう一つ影響があると思う。それは社会経済的にはまったくどうでもいいことだが、本誌的には問題となるはずだ。これまで多くの知識人は、反文明的、反経済的な物言いを弄することで糊口をしのいできた。そしていままでの不景気はかれらにとって、文明や資本主義の限界の露呈の証拠となっていた。本誌にもそうした論者が数多く執筆している。でもそれが変わり、多少なりとも成長が復活すれば、そうした物言いは支柱を失う。これをもう少し広い文脈で考えて見よう。 2. リフレ個人史  ぼくは自慢ではあるが、日本で最もはやい時期にリフレ説を紹介した人間だと思う。とはいえ、所詮は翻訳屋だ。岩田規久男や岡田靖のように、自力でこの理論にたどりついたわけではない。この理屈を初めて知ったのは、一九九八年にポール・クルーグマンがネット上でいきなり発表した論文「日本がはまった罠」*1を読んだときだった。  理屈としては実に単純明快。不景気になるというのは、みんながお金を使わなくなるということだ。その対策として、ふつうは中央銀行が金利を引き下げる。するとみんな、貯金をしても利子がつかないからさっさと使おうと思う。あるいは、借金をして設備投資をするのもやりやすくなる。あるいはお金をもっと刷って、みんなに配ってもいい。ところが、当時の日本のように実質的にゼロ金利だと、これ以上は金利を引き下げられない。お金を刷っても、みんな利子がつかないから銀行に預けることもせず、したがってそれが投資にもまわらない。通常の金融政策は効かない。今だけの一時的な金融緩和(日銀がこれまでやってきたのはこれだ)は効果がないのだ。  でも、そこでできることがある。将来インフレになる、とみんなが思えばいい。手元にある現金や、無利子で銀行に預けてあるお金の価値が将来下がると思わせればいい。それは金利をゼロよりもっと引き下げるに等しい。すると、みんなお金を使うようになる。いままでたんす預金になって淀んでいたお金が、実際の取引に使われ、みんなの商売を活性化させ、景気はよくなる。  つまり、インフレ期待を生み出せばいい。そのためには、中央銀行が断固としてインフレにするぞと宣言し、これからお金を刷りまくるといって、それを実際にやってみせればいい。まさに今回、黒田日銀がやったことだ。  さて当時、ぼくはまだマクロ経済学などほとんど理解していなかったし、する気もなかった。当時の本業は不動産開発で、不動産はインフレと金利に大きく左右される。その意味でそうした指標には注目していた。でも、それがどんな形で決まるかは、仕事では理解する必要はない。外生変数、つまり勝手に外から降ってくるものとして受け取っておけばよかった。少なくとも実務面ではそうだ。  むろん知識としては、金利は中央銀行に左右されるものだ、ということは(『クルーグマン教授の経済入門』を読んで)知っていたし、IS-LM分析くらいは当時でも多少はわかった。だが一九七〇年代の高インフレ期を経験した身としては、やはり物価高はあんまりよくないものだというのが基本的な認識だ。『クルーグマン教授の経済入門』でも、インフレはそんなに実害はないのだ、と書かれていてたいへん意外ではあった。だがその本でも、実害はないとはいえ決してよいものではないというのが基本スタンスだ。アメリカのFRBがインフレ3%くらい(一九八〇年代当時)を容認しているのは、単にやる気がないからなのだ、というのが同書の主張だ。  それがこの論文では、インフレ――いやインフレ期待――は望ましいものになっている。変なの、と思ったし、また当時の英『エコノミスト』ですらトンデモ扱いしていたのを見ると世間的にもそう思われたようだった(たまりかねてクルーグマン自身が同誌投書欄に抗議文を載せていた)。が、最初は単なる興味本位で訳しはじめたものの、理屈としてはまったくおかしなところはない。その後クルーグマンが批判に答えた各種の文も訳すうちに、ぼくはこれが正しいと確信するようになった。それを確認すべく、マクロ経済学についても付け焼き刃で勉強を進めていったが、その考えをひっくり返すようなものはついぞ見つからなかった。また欧米からは、クルーグマン以外にもバーナンキやサミュエルソンなど、この見方を支持する経済学者の声は聞こえてきた。一方、国内ではリフレ政策に対する批判、嘲笑、罵倒は山ほどあって、四面楚歌状態。凋落著しい木村剛の各種著書などはその最悪のものだが、多少ましな小野善康&吉川洋編『経済政策の正しい考え方』(1999)でも、いまやリフレ派の大守護者の一人たる浜田宏一すらリフレ説を鼻でせせら笑っているのを見ると、本当に遠いところまできたと感慨深いものがある。  もちろん当時、ぼくの知らないところでは先に挙げた岩田規久男や岡田靖は一九九〇年代初頭からずっと金融緩和の必要性を強く訴え続けていた。また中原伸之も日銀審議委員として、いわば敵陣で孤軍奮闘していたのだった。また当時、主に貿易問題をめぐって展開されていた通俗エコノミスト&学者たちのインチキ経済学議論を糾弾する本を次々に出していた野口旭も、だんだんリフレ説に言及するようになっていった。確かリフレ派の大論客たる安達誠司が本業で書いた各種レポートなどがこっそりネットで出回りはじめたのもこの時期だったように記憶している。そしてクルーグマンによる主張の集大成的な『復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲』*2をぼくが訳したのが二〇〇一年。同年、伊藤隆敏『インフレ・ターゲティング』も登場した。そしてこの翌年あたりから、怒涛のようにリフレ派の本が刊行されるようになった。先の野口旭や田中秀臣、若田部昌澄の『エコノミストミシュラン』など各種の本、原田泰の各種著書、竹森俊平『経済論戦は甦る』、さらに大御所岩田規久男編『まずデフレを止めよ』『昭和恐慌の研究』の各種論者など。当時、朝日新聞をはじめいくつかの雑誌で書評をやっていたので、こうした本の普及に多少は貢献したつもりではある。  一方でこの説は次第にネット掲示板で話題になりはじめた。東北大学の数学者黒木玄による掲示板*3は、別に経済学専門ではなかったが各種の議論の中でこれもしばしば話題にのぼり、まったくの経済学素人だった主の黒木玄が、あれよあれよという間に並の専門家などはるかに上回る実力を身につけ、その数学能力を縦横に発揮してリフレ議論の正しさを主張するようになったのは驚異だった。当時のネット掲示板はレベルがたかく、えらい経済学者が上から目線でやってきてボコボコに叩かれ、逃げ出す光景もよく見られた。財務官僚だというbewaadのブログ(なぜか途中から急にリフレ政策を疑問視するようになってしまったのは本当に不思議だった)やリフレ派罵倒の常道だった「最新モデル使ってない!」に対し、そうしたモデルでもリフレ的含意は導けることを示してくれた矢野浩一。さらにそれが飛び火して、特にかの「2ちゃんねる」が一時不調だったときに経済関連の避難場所になっていた、「いちごびびえす」*4などでも話題になりはじめた。そこでは銅鑼衣紋/どらえもんなる人物が、しばしばこの議論に言及して擁護してくれるようになった。当時はそれが岡田靖だということも、それ以前に岡田靖の何たるかも知るよしもなかったが、日本でも支持者(それもかなり理論的にしっかりした人物なのは一見してわかった)がいるというのは心強かった。  その後、二〇〇〇年代後半に入って、小泉政権での竹中平蔵のブレーンとして暗躍した(ゆえに暗黒卿と呼ばれる)高橋洋一が、以前よりはるかにストレートなリフレ支持をうちだし、さらに理論的な裏付けや言論活動に加えて具体的な政治的働きかけまで含めた各種活動を始めたのは大きかった。田中秀臣のネットその他での戦闘力も急激に上がったし、その一方でリフレ論争以外の経済学分野で啓蒙活動を広げてきた飯田泰之がほうぼうでリフレ策についても大きくとりあげるようになった。さらに、バーナンキがアメリカFRB議長となったうえ、リーマンショック後に英米の中央銀行が次々に大規模な金融緩和を展開したことで、それまで暴論扱いされていたこの政策が急に市民権を得ると同時に、それと比べたときの日本銀行の無策ぶりがますます多くの人の目に明らかになってきた。またネット上でクルーグマンをはじめ、リフレ関連を中心に多くの文献を勝手に翻訳する人々が続々登場し(「道草」なるサイト*5がその梁山泊だ)、内外論調のちがいが鮮明になって、マスコミ報道の異様な偏りや歪曲もだんだん明白となった。片岡剛士は『日本の失われた20年』とそのベースとなった論文を皮切りに、リフレ理論と政策の集大成を展開、さらにジャーナリスティックな著作では上念司が日銀批判を前面にうちだした強い論調の著作を次々に刊行した。が……  2012年初頭の時点でも、それが実際の政策に影響を与えそうな様子はなかった。それどころか、東北震災復興を口実に消費税率引き上げまで決まってしまい、しかも主流メディアや学界の主要学者たちは一斉にそれに賛成するという惨状。景気が悪いときに増税し、緊縮財政を組むのがいかに愚行かは常識以前のはずなのに……もはや経済学のイロハすら期待できないのかとぼくはほとんど絶望しかけていた。  だが突然、どこからともなく(いや裏ではいろいろ工作があったのだろうが)安倍晋三が、アベノミクスを掲げて自民党総裁に復帰。そしてその後の動きは、冒頭に書いた通りだ。こういう書き方をすると、リフレ議論が着実に勢力を増して本丸(=日本銀行)を陥落させたかのようだけれど、そんな印象はまったくない。むしろ『指輪物語/ロード・オブ・ザ・リング』ではないが、こっちでは一貫して多勢に無勢、討ち死に覚悟でオークどもにどかどか殴られているとき、いつの間にかホビットどもが向こうの山で魔の指輪を始末して、突如サウロンが消え失せて敵も味方も唖然、という感じだ。  そのホビット役がだれだったのか――アベノミクスのブレーンとされる浜田宏一だったのか、あるいはリフレ派支持の自民党議員である山本幸三だったのか、はたまた高橋洋一がそのお膳立てを行ったのか、それとも第一次安部政権で生じた安部自身の日銀不信が原因だったのか――それはしょせん外野のぼくには知るよしもない。ただ、ホビットたちがモルドールに潜入するにあたって他の連中の戦いが目くらまし程度でも意味は持っていたように、この15年以上にわたる多くの人々の活動も、今回の結果に何かしらの意味は持っていたはずだ。 3. リフレ反対論 さて、これまでリフレ派は四面楚歌だったと述べたが、その反対論は大きく2種類にわけられる。 (1)リフレ自体が不可能(つまりどうやってもインフレ期待は上がらない)、または可能でも景気回復につながらない、という実効性をめぐる議論 (2)リフレ政策より他の政策を重視すべきだという議論 前者の検討をまともにやろうとすれば、細かい理論的な説明が必要となり、本稿ではおさまりきらないし、こうした本や論文はすでにたくさん出ている。  だがそれ以上に、こうした議論自体がもはやまったく無意味となった。アナウンスだけで市場の期待が変えられるかという疑問については、四月四日に新体制日銀の初会合でリフレ派の理論通りの政策がうちだされた瞬間に株価と為替相場が大きく動いたことで、ほぼ証明されたといっていい。中央銀行が本気を見せ、本気を裏付ける目標とその実現方法を述べたら、市場参加者の期待は明らかに動いた。そしてそれに伴い、民主党時代に円高でつぶれた製造業も、年末以来続いてきた為替状況の恩恵で急激に受注が復活している。企業も政府の賃金引き上げ要請に対し、前向きに対応したところが多い。まだ具体的に何も政策が動いていない段階でこれだ。  もちろん今後、話が予想通りに進まない部分は出てくるかもしれない。それでも全体として景気は改善しそうだ。人口の高齢化や人口減の影響はあっさり蹴倒されたようだし、またインフレが制御不可能になってハイパーインフレとかいうことも起こりそうにない(つーか、そんな兆候が出てきたらそこでやめればいいだけの話だろうに)。これは今後、時間がたつにつれて裏付けも増え、それがさらに期待を確実にするというよいスパイラルができるだろう。  おもしろいのは、この二番目の、他の政策重視議論だ。これは通常、単独では出てこなかった。リフレはそもそもうまくいかない、という議論がひとしきりあったあとで、「だがうまく行ったとしても……」という形で出てくるのが普通だった。  こうした議論とそれに対する反論についても、もうすでに世のリフレ関連文献にいやというほど出ている。でもその中の代表格二つについては、ちょっと触れておきたい。たぶん立場としては正反対のものでありながら、そこには共通するものがあるからだ。 3.1. 構造改革  この議論の筆頭は、構造改革議論だ。二〇〇二年から二〇〇三年頃、リフレ論者は、構造改革論者との熾烈な戦いを強いられた。当時、小泉純一郎首相の下で、不景気脱出策としては構造改革議論が我が世の春を謳歌しており、リフレなど論外というのが世間的な論調だったのだ。  この論争は全般に不毛ではあった。というのも構造改革論者のほとんどは、その改革すべきだという構造が何なのかをまるで明示しなかったからだ。個別に自分の気にくわないものについて、あれはダメ、これはよくないと個別にだめ出しをする。その筆頭が郵政改革だった。でも、郵政改革をするだけで景気がよくなるとはだれも思わないだろう。景気回復の話をするなら、経済全体でどの程度の改革をすればどのくらいの回復が見込めるかを示してくれないと、政策としては意味を持たない。ところが構造改革には、そうした議論は皆無だった。  さらに、別に構造改革とリフレ的な金融政策は、相容れないわけではない。実行する主体は重ならないし、金融政策は日銀にやっていただき、構造改革も並行して進めれば何ら問題はない。いやそれどころか、問題のある構造がわかっているなら、リフレで景気回復すれば改革のためのリソースも出しやすくなる。リストラされた人も、次の職をみつけやすい。だからリフレ主張の中で、構造改革するなと言った人はたぶんいない。  ところが構造改革主張者は、リフレをしてはならない、という。その筆頭は、当時の小泉純一郎首相だ。かれは、二〇〇一年ジェノヴァ・サミットで以下のように発言している: 「『改革なくして成長なし』と決めたのであるから、改革を後回しにして景気刺激策を取ることはできない。改革せず景気が先だと言って、景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう。『改革なくして成長なし』ということは、過去の10年の日本のやり方で分かっているはずである。だから、ある程度の低成長は覚悟して、『改革なくして成長なし』という方針通り選挙後もやっていこうと思っている。」 構造改革はよいことだと思っていた人ですら、これを読んでギョッとするのではないか。普通の考えは、構造改革をすれば経済の効率が改善する、というものだた。だから改革すれば成長が起きる、改革しないと成長は実現しないことになる。ところがこれを読むと、「改革なくして成長なし」というのは、そういう意味ではなかったことがわかる。改革を強制するために、あえて景気回復させない、と小泉は言っている。  これは他の構造改革論者でもそうだった。景気がよくなると、ダメなゾンビ企業が延命する、景気は悪いままにしておけば、優良な企業だけが残り、経済のぜい肉がそぎおとされて筋肉質になる――これもよく聞かれた議論だった。それはリフレのような小手先の対策でなく、日本経済の根本を改善するものなのだ、と。  でも、実際に倒産しているのは、必ずしもダメな悪い企業ではなかった。銀行が融資を引きあげたために黒字倒産といった例はたくさんあった。またダメな企業がつぶれて、その穴を優秀な企業が力強く埋める、というものではない。穴自体がシュルシュルと縮小して消え、経済全体がどんどん縮小し、するとそれまで普通に経営できてきた企業が次々に経営難に陥る。そもそもよい企業とか悪い企業とかいうのが、デジタルにあるわけではない。一ドル九〇円でやっていける企業と、九一円までしか耐えられない企業に決定的な差があるわけではないのだから。九一円までの企業はゾンビで、九〇円の企業はそうでないというなら、その理由は説明する必要がある。が、そんな説明はついぞない。  さらにそぎ落とされているはずの「ぜい肉」というのは、実際には各種の企業であり、そこに雇われている人々だ。そぎ落としたら消えてなくなるような存在ではない。構造改革を口実に景気を回復させないことで、実はこの政策は目の前の人々の苦しみを無視するどころかそれをさらに悪化させ、人々を見殺しにするものだったといえる。 3.2. 失業、雇用対策  さて小泉式の構造改革を含む二十年にわたる景気回復の軽視により失業がたくさん生じ、また新卒ですら就職難の状況はご承知の通り。これに対してはもちろん失業者対策が必要だ。失業手当の充実も重要、再雇用のための職業訓練もあるだろう。またそれ以外にも失業者の生活を支えるための生活保護、教育面での措置などもいる。そうした負担が財政を圧迫する状況も現実化してきた。  これについて雇用や福祉の関係者や研究者からは、そうした状況を作り出している安易な構造改革議論に対する批判は出た。またその対策となる各種制度の拡充を求める声や各種の提言が行われた。もちろん、最も効果のある失業対策は、よい職をつくることだ。また各種福祉や失業対策のためにも税収が増える必要がある。だからこうした論者は一様に景気回復のためのリフレ策も支持するだろうと思うのが人情だろう。  でも、そうはならなかったのがきわめて不思議なところだ。むしろ古参の福祉や雇用研究者の多くは、リフレなどの景気対策は意味がない、というのだ。景気がよくなっても、どうせいずれまた不景気になったら元の木阿弥だ。だから、不景気なときにも失業者が困らないような仕組みを用意することこそが重要なのだ、という。景気回復だのリフレだのというのは、その本来やるべきことから目をそらしてしまう*7。だからこうした論者は、リフレ策支持をいやがった。いやそれどころか、リフレ策に対する批判の大きな一派がこの人々だった。要するに失業はこれまでの社会に内在する本質的な矛盾や課題のあらわれであり、景気回復はむしろそれをうやむやにしてしまう、ということらしい。あるいは、リフレ派は景気回復で問題は解決すると主張することで、自分たちのやっている理想の失業対策や福祉政策の追求を否定しているのだ、と思ったらしい。  これはリフレ論者の多くにとって、目が点になるような議論だった。まず不景気がいつまでも続いて新規雇用がちっとも発生しなくても失業者がまったく困らずにやっていける制度なんていうものは、原理的にあり得ない。またここでもリフレ派がしつこく言い続けたのは、福祉や失業対策が必要ないということではない。失業対策、雇用対策するにもパイを広げて税収を増やす必要がある。また失業対策でも福祉でも、人々の自立は重視する。リフレを通じた景気回復は、そうした面をお手伝いできるんですよ、ということだったんだが……  失業や福祉を重視する人々の多くは、小泉政権の規制緩和や構造改革をかなり強く批判していた。失業を増やして格差を増大させる、弱者切り捨てだといって。だがおもしろいことに、そういう人々が実は、批判している小泉的な構造改革論者とまったく同じ状態になっていた。目の前にいる弱者や失業者の苦しみには目を向けていない。景気回復すればそもそも失業者にならずにすんだ人々、あるいは職につけるかもしれない人々を無視して、自分自身の考える(原理的に無理な)理想の福祉だののほうがなぜか重要だと考えている。これは、非常に不可解であるとともに悲しいことだった。 4. アベノミクス:その他の部分  さて現在、リフレ政策が採用されたからといってはしゃぐな、という声もある。これだけで問題がすべて解決されたわけではない、というわけだ。はい、その通りではある。景気がきちんと回復するまでにはまだかかる。ハードルもいくつかある。構造問題は残っているし、福祉も課題であれやこれや。ついでにいえば、ぼくはいまでもクルーグマンの当初の分析が一番理屈の上でもすっきりしていると思うので、インフレは2%より上を目指したほうがいいと思う。4%とか。  でも……リフレだけで世の中のあらゆる問題が解決するなどとは、最も楽天的なリフレ論者ですら口にしたことはないだろう。ただし、景気が回復して、経済全体のパイがある程度広がらないと、その他のどんな政策もまともに動きようがない。福祉の向上もインフラの整備や補修も、失業の改善も女性の地位向上も出生率改善も、何も実現できない。そして景気が回復するための最大のハードルは、インフレ期待を引き揚げることができるかどうかだった。いままで数十年につまずき続けてきた第一のハードルが、とりあえずきれいにクリアされたということは、十分にはしゃぐに値することだとぼくは考える。  景気が回復すると決まったわけではないという人もいる。ぼくはこの点楽観的だ。理論の中でも不確実要素だった期待は明らかに変わった。その結果として、景気の先触れとなりがちな株価は上がっているし、また早速実体経済にも波及している。  それでもうまくいかなければ? 景気が回復しなければ? むろんそうなれば、リフレは嘲笑され批判されることだろう。だがダメでもせいぜいが、デフレのままで不景気が続くにすぎない。いまと同じだ。そして、これでダメなら日本経済も世界経済も、はるかに大きな問題を抱えることになる。もはや不景気から脱出するための手がなくなったということだもの。リフレ派がいいとか悪いとかいうどころではなくなっているはずなのだ。  ではアベノミクスの他の面は? 三本の矢と称される代物のうち、第二の矢である国土強靱化というのが具体的にどんなものかはまだよくわからない。ただ積極的な財政支出をするのは、それ自体として悪いことではない。日本は現在まだ不景気で、需要が足りない。それを財政支出で補うのはまったくのセオリー通りだ。ゼロ金利の流動性の罠のときでも、初歩的なIS-LMモデルが教えてくれるのは、大規模な金融緩和と大規模な財政出動の合わせ技こそが特効薬だということだ。  リフレ派の一部、たとえば田中秀臣や飯田泰之は、この財政出動が公共事業、特に建設事業の形をとることについては懐疑的だ。あまり波及効果がないのだそうだ。だがその彼らでも、それ以外の財政出動については反対していない。補助金、各種手当ての増額、減税など、できることはたくさんある。また、日本のインフラの改修点検が必要なのはだれの目にも明らかだろう。そうしたものに公共事業が向くなら、それは大変結構。東北震災の被害を見て、なにやら地域密着の自給自足生活がいいと思ってしまった人も多いのは不思議だが、ぼくはむしろ、しっかりしたインフラの重要性が明らかになったと考えている。ライフラインが確保され、物資補給がしやすいようなインフラがないと、救援活動もできないし、またその後の産業復興や生活復帰も困難だ。むろん、こちらは時間がかかるから、何を優先するかは考えるべきだろう。が、ぼく自身は最悪単なるばらまきでも、ないよりずっとましだと考えている。  そして第三の矢である成長戦略。構造改革論者の残党は、この成長戦略こそが最も重要だ、というようなことを言いたがる。が、ぼくはこれ、アベノミクスの中で最もどうでもいい部分だと思っている。というのも……成長戦略なんて、わかりはしないからだ。お役所の産業政策育成がことごとく失敗しているのは常識だ。もっと規制緩和でイノベーションを、といった議論も聞かれる。でも、その主張の妥当性は結局、どこのどんな規制を問題にしているのかにもよるだろう。できることがあるならやってほしいが、実際問題として、これまでの延長以上のことができるとも思わない。むろん、知的財産に関わる各種規制を撤廃してコピー天国にします、といったすごい規制緩和があれば話は別だ。でも大したことないのに妙に取りざたされるTPPにしても、そんな大胆なことにはならないのは見えている。  すると、ぼくからすればアベノミクスの他の部分は、そんなに大きな懸念ではない。財政支出をある程度やってくれれば、リフレ政策の効果がひっくり返るとは思えない。唯一不安要因があるとすれば、消費税率の引き上げで景気が悪影響を受けることくらいだ。こっちも今後検討が進んで先送りにでもなればと願ってはいる。が、それでリフレ政策の効果が決定的に潰れることは、たぶんないんじゃないか*8。 5. リフレ派の戦い=反成長論との戦い  ではこれからどうなるだろうか?  基本的に今後、景気は回復に向かうだろう。当然ながら、あらゆる部分が理想的な展開を遂げることなどあり得ない。それでも、全体としては成長する。それだけでも過去二十年の惨状からすれば大成果だ。それをどう分配するかは、また別の政策的な課題だ。  そしてその中で社会や生活の各側面も改善が見られるだろう。冒頭に述べたとおり、それは就職の問題、福祉の問題、近隣諸国との関係の問題など、すべてに及ぶ。その細かい改善の方向性は、個別の政策できちんと対応すべきこととなる。でも、その個別政策が活動する余地は確実に広がる。いま、将来にあまり期待が持てず、公務員志望に縮こまっている若者たちも、もっと希望を抱く余地も出てくるはずだ。  そしてその過程で、ぼくは経済成長というのが実はとてもありがたいものなのだ、という認識があらためて出てきてくれればと思う。構造改革論者も、福祉雇用論者も、リフレ派を批判する過程で、そもそも成長は望ましくない、それは人々や企業を堕落させたり、社会の矛盾を覆い隠したりする小手先のものだという立場を採りがちだった。そしてそうした論調が強いからこそ、これまできちんとした景気対策が取られないという自己成就的な悪循環が続いていた。そうした物言いがインチキだったというのが、少し見えてくるんじゃないか。  リフレ派は、特にここ数年は日本銀行を日本経済の最大の問題点として論を張ってきたと思う。だがそれに加えて、もう一つ大きな敵があったとぼくは思っている。それは反経済成長論というやつだ。この二十年にわたる日本の不景気のおかげで、もはや経済成長の時代は終わった、日本は今後成長余地がない、資本主義は終焉を迎える、といった物言いがもっともらしさを持っていた。そしてそうした議論が、さらには構造改革論や雇用福祉論からのリフレ批判と相乗効果を持ち、もっともらしさをさらに強めていた。  たぶん、かつて高度成長時代には、そうした反成長、反資本主義、反文明的な物言いにもそれなりの意義はあったんだろう。それは経済成長の中で多少その矛盾や歪みを指摘する効果があった。そしてそれは、高度成長期の中で人々の幸福や福祉に貢献したことだろう。  だが、低成長、いや不景気の時代においてはそうした物言いの役割は変わる。それは人々の幸福や福祉には貢献せず、むしろ現状の人々の不幸を正当化し悪化させる方に貢献してきた。多くの知識人は、環境が変わった中で自分の発言が果たす機能を考えることなく、一九六〇年代と同じことを繰り返していれば知識人ヅラができると考えている。それは、本誌に書いている論者の多くにも言えることだ。だが、これまでの低成長の中で、だんだんその浅はかさは見透かされてきたのではないか。そして成長がある程度軌道にのって、その影響が多くの人に実感されるようになると、その浅はかさはますますあらわになる。己のイデオロギーや文明的な偏見のために人々の短期的な反映と生活を犠牲にする議論を平気で行っていた人々として。本質に拘泥し、小手先の――だが実効性のある――主張を軽視した人々として。  むろん、いずれそれがもっと続いてくれば、またそれがもたらす歪みを指摘するような反成長の言説はそれなりに意味を持つ場面も出てくるだろう。そしてそれが実現する頃にはもはやリフレ議論は当然のものとなり、改めて「リフレ派」などというグループを想定することもなくなっているはずだ。だがそのときにも、ぼくはときに思い出してほしいとは思う。まったくの逆風の中、つまらない本質議論やイデオロギーにとらわれることなく、本当に人々を豊かにして生活を楽にするような小手先の対策を必至で訴えた連中がいたことを。あなたはそいつらが気にくわないかもしれない。でも、たぶんそんな人でも、多少はその恩恵をこうむることになるのだから――目論見通りいけば、ね。 *1 http://cruel.org/krugman/japtrapj.html またクルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』(ちくま書房)にも収録。 *2 http://cruel.org/krugman/krugback.pdf またクルーグマン他『クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門』(春秋社、2003年)にも収録。 *3 黒木のなんでも掲示板 http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/ 経済関連の議論だけを抽出したものが http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Readings/leapinthedark.html にある。また当時、稲葉振一郎による掲示板や山形浩生ファンによる掲示板も、この議論に大きな役割を果たした。 *4 いちごびびえす http://www.ichigobbs.org/ *5 道草 http://econdays.net/ *6 首相官邸サイト 小泉総理の演説・記者会見等 ジェノヴァ・サミット内外記者会見(平成13年7月22日) http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/genova/press.html *7 たとえば稲葉振一郎ブログでの議論をまとめた以下のページにおける、本田由紀の発言(2005/11/18 22:51) を参照。http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/comment/20051111/p1 *8 なお、アベノミクスの見通しなどについて、執筆時点の最高のまとめは片岡剛士『アベノミクスのゆくえ 現在・過去・未来の視点から考える』 (光文社新書、2013)である。真面目に興味がある向きはこちらを参照のこと。 2013.04.15 脱稿 『atプラス』(太田出版)16号用原稿 他の執筆者は水野和夫を筆頭に反リフレ派ばかりの四面楚歌