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木を盲信してはいけません。

(The Economist Vol 376, No. 8437 (2005/07/30), "Down with trees," p. 70)


  一般に、木は環境によいと思われている。木は二酸化炭素――温暖化ガスの一つ――を大気から吸収し、炭素を固定して酸素を放出するので、森林は「地球の肺」と呼ばれたりする。木の根は地中の水分や養分を固定し、近くの川がきちんと流れるようにする。木はまた、そうした川の流量を雨期と乾季でそこそこ一定にさせて、干ばつや洪水を防ぐので偉いのだ、とされてきた。今週刊行された2つの研究は、これが悪質なナンセンスだよ、と述べている。

  一つはイギリスのニューキャッスル大学とオランダはアムステルダムの自由大学の研究者たちが率いる国際研究で、森林と水との関係に関する神話をいくつか指摘している。たとえば、乾燥地や準乾燥地では、樹木は固定するより遙かに大量の水を消費する。そして水分や養分が固定されるのは、木があるためではなくて、地面が圧縮されていないからにすぎない。

  世界水委員会は、今後30年で水需要は50%ほど増えると予想している。さらに40億人――世界人口の約半分――は2025年までに、きわめて高い水ストレス状態に暮らすことになるとされる。つまり、健康な生活を営むだけの飲料や入浴洗濯に必要なだけの水が手に入らなくなるということだ。

  南アフリカの政府は、1998年に水を基本的人権として扱うようになってから、木に対して厳しい態度をとってきた。樹木は、草地や南アフリカ独自のフィンボス低木地に比べて蒸発による水の喪失(専門用語では「蒸散作用」)が二倍も高い。同国は森林会社に対し、水が川や地下の水層に到達しないようにしているという理由で罰則を科していて、これは水学者たちに賞賛されている。

  インドでは、大規模な植樹プロジェクトは貴重な水を失わせるだけでなく、水学者の指摘する真の問題を見えなくしてしまう。その問題とは、作物潅漑用に帯水層から取水が無秩序に行われていることだ。農民たちは井戸を掘るのに何の許可もいらないし、ほとんどの農民は無料で電力をもらっているので、くみ上げる水の量には経済的な制限がほとんどない。カルナタカのコラールチクでは、地下水位が地下 6 メートルから 150 メートルまで下がったために、井戸が干上がってしまった。

  報告書「山から蛇口まで:土地利用と水管理で地方部の貧困者に便益を」(刊行はイギリスの国際開発局 (DfID)) の結論では、森林が乾燥地や準乾燥地で水の流れを増やしたり安定させたりするという科学的な証拠はない。同報告書の提言では、問題が水不足なら、政府は植林に制限を設けるべきだ、としている。

  二番目の研究は、アマゾン流域の森林が炭素をどのくらい固定するかを研究したものだ。成長中の樹木は二酸化炭素を消費する。これまでは、そのときに固定された炭素が大気中に放出されるのは、100年後とかにその木が枯れたときだと思われていた。が、残念でした。今週のNatureに発表された論文では、アメリカとブラジルの科学者チームによれば、樹木はたった5年ほどで、こっそり炭素を大気に戻しているとのこと。(←この部分、訂正記事を参照)

  が、それでは樹木を切り倒そうと意気込むまえに、熱帯雨林の便益はお忘れなく。コスタリカでは、アレナル国立公園の高地の雲森林は雲の水を保水し、蒸散ではあまり失わない。森林から流れる水による水力発電は、コスタリカの電力需要の1/3を供給している。そしてそれは農地を潅漑し、それから多くの渡り鳥のすむ重要な湿地へと流れ込んで、最後にきわめて肥沃な漁業水域に流れ込む。この地域はいまや一大エコツーリズム地域にもなっていて、コスタリカ最大の外貨獲得源でもあるのだ。

訂正 (2005/8/13号, p.66)

前の記事で、アメリカとブラジルの研究者チームが、樹木は 5 年で炭素を大気に戻すことを発見したと述べた。その研究者たちは、以下のことを明確にしてくれと当方に要請した。ここで挙がった 5 年という数字は、近郊の川で見つかった炭素の年齢である。その炭素は落ち葉や小枝から発生したものである。木に吸収された炭素の大半はその幹や根に蓄積され、木が枯れて腐るまでそこにとどまる。こちらの炭素の滞留期間は、平均で一世紀以上にわたる。混乱を招いて申し訳ない。


解説

  簡単な話ではございますが、木も生長したり生きたりするのに水を(かなり大量に)使うのです。したがいまして、水の絶対量が少ないところに木を植えると、状況はかえって悪化するのでございます。しばしば、砂漠化防止と称して善意の方々が頼まれもしないのに水のないところに木を植えにきたりしますが、やめろ~~。あと、途中に書いてあることも重要。水が足りない→井戸を掘ろう、という短絡的な発想は必ずしも得策ではないかも。かえって有害かも。水が足りないから水を有料にしよう、というほうがずっといいかもしれない。

  ついでにもう一つ、木が二酸化炭素を吸収するのは、生長してる間だけです。いったんある大きさにたどりついて安定した森林は、二酸化炭素と酸素に何の影響も与えない。だからアマゾンのジャングルは酸素を放出なんかしとらんのでございます。これはすでに常識のはずなのに、なんか知らないエコロな人が多すぎるので再掲。

 ただし、木や森がすべてダメ、ということじゃない。結局のところ、木は自分で水を作る訳じゃないから、水の絶対量が不足しているところではダメよ、ということ。絶対量があるところでは、水管理の一貫としても木を植えたほうがいい場合はたくさんある。一部の中国とか。

 ちなみにこんなブログ (SciDev.Netを日本語で読むBlog(*^^*ゞ)でも類似の記事をとりあげている。「でも森林はやっぱりなくてはならないものだし」というまとめの部分の記述はアレだしまだ始まったばかりのようだけれど、なかなかよい試み。続いてほしい。


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