IT なんかいらねぇよ!

(『実業の日本』2001 年 1 月)

山形浩生

要約:IT はおもしろいけれど、自己目的化したものがビジネスに入るのは困りもの。責任の所在とかトラブル対応とかで考えるべき課題はまだあるので、少し様子を見てはいかが。




 ぼくは実は IT なんかいらねえとは思っちゃいねぇんだ。ITは楽しい。昔からコンピュータいじりは好きだったし、インターネットが出てきて久しく見ないほど楽しいおもちゃだなぁ、と思う。ITのおかげで便利になったところもあるし、フリーソフトの台頭はかなりこのインターネットの普及のおかげだ。IT すばらしい。IT 大歓迎。

 ぼくがいらないと思うのは、無駄な IT だ。ためにする IT。はやりだからやってみるIT。そろそろ、IT がらみのいろんな試みも一巡したと思う。これからマシン性能があがっても、できることはそんなに増えないだろう。うまくいくもの、いかないものも、たぶんそろそろ出そろったはずなんだ。たぶんいますでに、もう IT って話はもううわっついた話をすぎて、堅実につかいものになるやつ、ならないやつを峻別できる、そういう段階にきているはずだ。

 そしてうまくいかないのは人間の判断と責任にかかわる部分らしい。物流面や生産での情報化は、すでにもうかなり進んでいる。そしてそれによる生産性向上なんかは、実績も出ている。でも、それを企業間にまで使おうというあたりで、いままで人間のやっていたファジーな判断をシステム化できなくて、壁にぶちあたっている。さらに最近の IT が改善すると思われていたいちばんの部分というのは、ホワイトカラーの部分だ。ホワイトカラーは情報処理をしているから、それを IT 化することで生産性はあがるんじゃないか、というのがふつうの見方だ。確かに、いまの企業のありかたってものを考えてみると、ホワイトカラー部分は巨大な情報集約と記録装置ではある。ぼくが企画書を書き、レポートを書き、いろんな申請を出すと、それがいろいろ集約されて、あちこちでいろんな形でそれが記録されつつ、最終的には決裁者のオッケーかノーか、という情報にまで煮詰められ、そしてそれをもとにいろんなアクションが起き、そしてそれもまた記録される。そこにはITで補える部分もありそうだ。

 ただ一方で、そのシステムは人が判断と責任を分散(というか責任逃れ)するためのシステムでもある。IT 化のむずかしさというのは、そういう部分にあるみたいだ。IT を中心に新しい組織形態を導入しなくてはならないと言われるけれど、この責任と判断の部分が入ってきたときに話はがぜんややこしくなる。システムがなんらかの判断をしてそれがまちがっていたときの責任は? そして何かトラブルが起きたときの対応は?

 そしてもう一つの問題が、変化。うまく動いているときは、IT はいいかもしれない。でも、なにかあったときにそれがどう出るか。これからアメリカの景気が減速するにつれて、そこらへんの見極めができるようになってくる。IT を中心としたリストラを果たした企業群が、環境の変化にどこまで対応できるか。ITがいらない、とは言わないけれど、そういう見極めをしてからでも遅くない場面はいくらでもあるはずなのだ。



その他雑文トップ  山形浩生トップ


YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
Valid XHTML 1.0!クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。