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野阿 梓・インタヴュー2

日時:1984 年 12 月 5 日
場所:東京・渋谷
インタヴューア:山形浩生・中瀬秀司
(東大 SF 研究会・狂茶党同人)  
初出 「野阿梓ファンクラブ会誌・Dead Soldier」創刊号 1986 年 6 月

Introduction

山形:まず、ビブリオ的なことから伺いたいんですが。

野阿:えーと(図を描く)。こんな具合。今年に入ってからは、なーんも書いていない。

山形:では「武装音楽祭」は新作なんですね。それで安心しました。実は、「眼狩都市」まで読んで、野阿梓はダメになる一方だ、という感触があったんですが、「武装音楽祭」は大逆転ホームランでした。実に面白かった。
 ときに、野阿さんの作品は必ず都市を扱っていますね。

野阿:いや、それしか書けない、と云ったほうが……。つまり、こう安定して閉じた都市(ポリス)がある、と。そこに、エトランゼがやって来て、ひっかきまわして、都市が一挙に崩壊する――殆ど007のパターンです。

山形:その都市も完全にパターン化している。つまり、まわりには必ず森があって、内部では警察機構だけが元気、という具合に。

野阿:僕にとって原型としての都市というのがあって、それはもちろん西洋的な都市なんだけど、いつだって森に囲まれているんだよね。その森は<正義の森>と呼ばれてたりするんだけど、これはフランス語では、"Bois de Justice" となって、実はギロチンのことなんですね。

笠井潔 → 動物園

山形:「武装音楽祭」は、赤の女王が「バイバイ、エンジェル」のマチルドみたいだし、笠井理論の影響が大きいのでは?

野阿:もう、どんどんパクリました。その笠井さんが、今、「武装音楽祭」を読んでいるんだって。怖いなぁ。昨日は完全にコケにされたし。あれだけの学識には太刀打ち出来ない。

山形:あの方の本はだいたい読んでいらっしゃいますか?

野阿:うん。好きだよねぇ。

山形:NW-SF編集長の山田和子さんが「あの人の推理小説はアソビじゃないから読め」と……。

野阿:それを吹き込んだのは、この私です。ミステリだけじゃなく、「ヴァンパイヤー戦争」みたいなものだって、あれなりの理論の上に成立しているし、堂々たるものですね。もっとも第二部は落ちこんだけど……。

山形:「ヴァンパイヤー戦争」で嫌だったのは、あの、セックスまで理詰めでやっているような文章が――。

野阿:まあ、いいんじゃない? ただ、説明の部分は完全に浮いていましたね。

山形:矢吹駆シリーズだと、あの堅い説明も上手く納まるんですけどね。

野阿:でも、あのシリーズも、最近は矢吹駆が金田一耕助的になって、事件の背景に引っ込んでしまっている。ちっとも現象学的再構成をしてくれない! それでだしぬけに謎ときがある。「バイバイ、エンジェル」では、矢吹が事件のコンセプトを抜き出して、この事件はこういう見方もできる、と説明するでしょう。それが凄く面白かったのに。やっぱり、推理合戦といったアソビが欲しいなぁ。
 話はとぶけど、うちの町に動物園があって、例のコアラ争奪戦のときにも名前が出たところだけど、その副園長と知り合いの友達がいるんだ。で、去年だったか一昨年だったか、焼き肉パーティやるから来いってんで、ホイホイ行ったら――得体の知れない肉が出てくるわけですよ。それが凄く美味しいの。若鶏の肉みたいで、柔らかくて、クセがなくて。――キリンだった(笑)。

山形:えっ、でも、「気分はもう戦争」のラストで、キリンは食えないって……。

野阿:いや、食える。動物園で、冬を越せなかった生後六ヶ月くらいのキリンだったそうです。それを冷凍しておいて、春先にみんなで食らったんですねー。いや、美味しかったわ。
 それでさ、この間、またパーティがあって、そのときはイノシシか何かだった。で、もうみんな異口同音に、「今度はコアラだ!」(爆笑)。知事が聞いたら卒倒するだろうなぁ。
 でも、あれはうまいと思う。香辛料いらないかも知れない。ユーカリなんか食ってるし。

山形:カンガルーもうまいそうですが。

野阿:草食動物はみんなうまい。

山形:ゾウもいけるらしいですね。シベリアの氷づけのマンモスもうまかったらしい。

中瀬:マンモスなんて、数万年前の肉だろ。

山形:いや、冷凍よ、冷凍。恐竜のミイラもあのあたりだったかな

野阿:ミイラじゃなぁ。それに爬虫類はちょっと。せいぜい両生類よ。八犬伝で、薬師丸が蛇を食ってたけど。

生成迷路 → 日本

山形:如何物食いはさておいて、と。都市論をだいぶ勉強なさったようですね。

野阿:「現代思想」の特集の「隠喩としての都市」(1983年7月号)は、「武装音楽祭」を書いた後で読んだんだけど、惜しいことをした。
 ま、迷路を書いているときに、頭がだいぶピーマン状態で、突然、「あっ、人はなぜ道に迷うのだろう」という根元的な疑問に直面しまして。あちこと参考書を読んだら、読んだ本が悪かったのか、リゾームとかセミラティスとか、いろいろ出てくるわけ。だけど、原典にあたっている暇はないし、面倒くさいものだから、志賀隆生(「SFの本」編集長)のところに電話したら、出たのが奥さんの川崎賢子女史でさぁ、一時間も語り込まれてしまった。こっちはネタが欲しいだけなんだと云ってるのに、「いやいやキミ、前田愛先生の『都市空間の中の文学』をお読みなさい」とか云って……。ま、その成果は一応でているんだけどね。

山形:確かに。この生成迷路都市というのは、日本の都市をネタにしている印象を受けたんですが。

野阿:うん。福岡城の城下が、この生成迷路みたいになってたらしいんだよね。石の都市じゃないから、建物自体を堅牢なバリケードには出来ないけれど、目くらましがきいてて、四つ辻なんかが狭くて、そこに横の家をズッと動かせるようになっている。だから、割と<実話>なんだ。

山形:あの街路の案内機が日本だな、という気がしたんですが。

野阿:あれは「アルファヴィル」の影響だろうな(注:J.L.ゴダール監督のSF映画)。

山形:そうなんですか。「アルファヴィル」は観る機会がなくて……。

野阿:面白いよぉ。これもあの手の話で、一人のエトランゼが街にやってきて、そこのコンピュータぶっ壊して、という毎度のパターンよ。そのコンピュータで管制されてる街でね、客の一人一人に派遣されている接待役の公娼みたいのがいて、それがアンナ・カリーナなんだけど、首筋に番号なんか書いてあるの。アラン・レネへのあてつけだっていう気もする(注:レネ監督のアウシュヴィッツ記録映画「夜と霧」(1955)の連想)。いずれにせよ、その娘たちは完全にロボットみたいになっているんだけど、彼女たちが読む聖書というのがあるんだ。それが、ただの辞書なの。ところがそれを毎朝、取り替えにくる。そして、新しくなるにつれて、どんどん言葉が減っていく。ビッグ・ブラザー的世界なのね。人間の感情についての言葉なんか全部消されちゃうわけ。その他、SF的小道具に満ちているんだけど、その中に、ポストより小さいくらいの靴磨き機みたいのがあるんだ。それがホテルのロビーにあって、「コインを入れて下さい」って書いてあるの。で、主人公がコインを入れてみる。と、ガチャンと音がしてカードが出てくる。それを拾ってみると、「ありがとう」って(笑)。腹を立てて投げ捨てるんだけど、あれは傑作だった。

山形:何とかいうフランスの建築家が日本に来たとき、「ここには西欧的意味での道がない。日本の道というのは建物のすき間にすぎない」と感心していたそうですが、その意味でも生成迷路都市は日本めいている気がします。

野阿:とにかく全部、記号なんだよね。どこに行くにしても、記号だけで動いている。俺なんか完全に旅行者だから、もう路線図首っぴきとかね。ここ(東京)で生活している人間だって、自分の生活圏以外では記号に頼るしかない。

中瀬:日比谷や銀座の地下鉄出口なんか、明らかにそうですね。A5だとか、B2とか。

野阿:そう。一つ間違えると大変だ。唯一安全なのが山の手線で、間違っても戻ってこられる。

山形:あと、街の案内板ってありますよね。最近の地図状のやつじゃなくて、木の枠の、ベコベコのトタン板のやつ。あれもときどき交換されて、そのたびに、金を出すと大きく書いてもらえて、出さないと、うんと小さくなる。

野阿:実際の大きさなんか何も関係ない。

山形:だから、二つ目の道を右折とか、行き方しかわからない。もろに案内機だ。

森 → ヨーロッパ

山形:ところでアラビア語の勉強はいつ頃なさったんですか。

野阿:アラビア語? ああ、あれはイスラム事典を買ってきたんだ。名前の宝庫だもん。エキゾチックな名前なんて、もうあらかた出尽くしてしまっているからさ。

山形:「覇王の樹」を見て、アレッと思ったんですが、そうだったんですか。

野阿:うん。あれを書くので一冊買ったんだ。「武装音楽祭」でも役に立ったな。そうか、「覇王の樹」が最初か。あれは巽孝之(SF批評家。当時、SF同人誌「科学魔界」主宰)に頼まれたんだ。でも、彼の同人仲間からは、「単なるイニシエーション話に百枚も使うな」って云われてしまった。

山形:悪くないと思ったけど。読み返そう。

野阿:ワタシは読み返したくない。

山形:「逆転世界」に着想を得たそうですね。

野阿:いや、むしろ逆でね。あーゆー話は前から考えていたのよ。でも、おそらくそれは、どこかで「逆転世界」のあらすじを読んでいて、そこから<時間と空間の逆転>というコンセプトだけ吸収していたんだと思う。結局、読んでみたら「逆転世界」は全然ちがう話だったけど。で、そういうコンセプトを書いたら、どんな文体になるかという、ただそれだけを書きたかった。

中瀬:都市について、また少しお尋ねしたいんですが、フリッツ・ライバー「闇の聖母」というのがあって……。

野阿:あー、まだ読んでない。

山形:あー、まだ読んでない。

中瀬:……その中に出てくる都市の感覚というのが――つまり、アメリカ人の都市の感覚というのが、「ゴーストバスターズ」によく表われているんじゃないかって……。

野阿:「ゴーストバスターズ」? あれはニューヨークだっけ。アメリカの都市はヨーロッパの都市とは本質的に違うような気がする。

山形:それに「闇の聖母」はサン・フランシスコで、ニューヨークとは全然ちがうし。

中瀬:うん。だけど、機能的には普通の都市で、村落のような神はいない。と思うと、実は都市には都市の神がいた、という感じが。

野阿:アメリカなんて、どんな地方都市でも違う宗派の協会が三十くらいあるじゃない。八百万(やおよろず)の神がそれぞれ独立宣言したみたいにさ。
 街の出来方は違っても、アメリカの都市というのは、結局つくられた都市なんだよね。僕がさっき、都市の森が云々といったのは、まったくヨーロッパの都市で、それも新興ヨーロッパのドイツとかフランスなんかの都市なんだ。その昔、中世がどう発展したかっていうと、まずギリシャがあって、ローマがあって、あとは全部「森」だった。ヨーロッパ全土が(まだヨーロッパなんて名前もついてなかったけど)シルヴィア(森)なの。トランシルヴァニアってあるでしょ。あれは「森の彼方」って意味だもんね。もちろん、ギリシャ、ローマにも森の神、つまりシルヴィー神というのはあるけれど、それとは違って、こっちにあるのは全部、暗い森なんだ。ランボーの云う「暗いヨーロッパの森」。ゲルマンやゴートだって、森の中をぬって攻めてきたわけだし、集落も、森に囲まれて孤立した集落だった。
 それが、<中世>を開始するにあたって、ヘブライがギリシャ経由で入ってきて、ローマでヘレニズった挙げ句のキリスト教が、マリア信仰なんかで土着宗教をとりこみつつ、キリスト教伝搬と森の伐採ということをやる。原理的にはキリスト教、現実体としては斧だろうな。それで、こんな一抱えもあるような大木の原生林がヨーロッパ一面おおっていたのに、あっという間に丸裸にされてしまった。まあ、その根性は大したものだけどね。その過程で、今まで森に囲まれた集落だったものが、こう大きくなる。しかし、森は残す。それは、狼神に見られるように、森が自分たちの母なるものだと思っているから。どこにあっても。それが、メイフラワーでアメリカに渡ると、ニューヨークのセントラルパークみたいに、森が中心におかれてしまう。鎮守の森だもんな。
 だから僕のイメージしているヨーロッパというのは、中心に十字路があって、県庁や警察署(政治機構)があって、それと向かい合う教会(宗教機構)があって、マーケットやゴールデン街(経済機構)があって、町人が住んで。もちろん、これは城塞都市じゃなくて、市民社会の都市だけど。そして、そのまわりには、ぐるっと囲っていないにせよ、どこかに森がある。その森は、どんなに開発しても残さなきゃいけないんだよね。だから、ヨーロッパというものを抽象的に批判しようというのが少しでもあると、こういった原型に戻ってしまう。

山形:「科学魔界」で「西洋文明を引っくり返したい」と書いていましたよね。さっき、アラビア語のことをお尋ねしたのは、そういう西欧批判の文脈でイスラームを導入しようとしていたのかなー、と――。

野阿:いや、そんなことは考えない。それは駄目だと思う。クラークがやっているのがそれだもん。つまり、オクシダント(西洋)があって、オリエントがあって、オクシダント批判のためにオリエントを導入したって、それはオクシダントそのものの批判にはならない。クラークの云うオーバーマインド(主上心)へのヒエラルキーというのは、オーバーロードとか、オクシデンタルな名前は一応ついている。ところが、名前はそうでも、実際はアレはオリエントの神様なのよ。あの人の考えているのは、それを持ってくることで、あの作品には非常な深みが出たかもしれん。しかし、オクシダントそのものの批判としては、まっとうに機能していない。オクシデンタルなものの批判は、やはり自分たちで自分自身を探っていかなきゃ。ミシェル・フーコーがやったみたいにさ。自分の宗教、あるいは文化が気に入らない――気に入らない奴はどこにだっている。でも、気に入らないからって、他人の宗教や文化を「鏡」に使って自分たちを少し映して、その歪んだ虚像で自足するというのは好きじゃない。

山形:ただ、オクシダントの成立自体、オリエントなるものを常に歪んだ鏡として設定し続けたことによるわけで――。

野阿:だから、それがシルクロードだよね。ただ、それが鏡になっちゃいけないんだ。自分たちを映すのは、あくまでも自分たちの作った自分たちの鏡じゃないとダメだと思う。だからクラークについては、あまり好意的ではない。

山野浩一 → 革命・パラコンパクト

山形:ときに、山野浩一の「レヴォリューション」はお読みになりましたか。

野阿:もぉっちろん。だいたい初出のときに読んでるし。「サムワンとゲリラ」なんか好きだ。ただ、何というか、少し驚いたのは、インパクトがないってこと。「なぜ今」なんて口にしたくないけど、あれを読んだ感動というのは、今なおかつてと同じ感動なんだ。ということは、今は全然、インパクトがないってことでしょう。

山形:そうかなぁ。

野阿:つまり、十年だか十五年だかに渡って書かれたものであるにもかかわらず、今でも僕は同じ興味でしか読めない。その間に、世界情勢は滅茶苦茶変わって、あらゆる希望と幻滅があったはずなのに。ということは、あれは「現実」の政治とか革命とかとはまったく独立して存在している作品ではないか。
 最初に読んだ頃は、世間が沸騰していた頃で、そういうノリで今(つまり当時)熱いのかな、と思っていたんだけれど、今、同じ質の感動をなお持続できる、あるいは持続するしかないとすれば、当時のは錯覚で、あれは現実の世界とはまったく関係ないものではないか。

山形:でも、現実とは関係のない場所とはいっても、笠井潔のいう集合観念の渦巻く場として――。

野阿:うん、だから、その場がいかに現実にインパクトを与えたか、と当時は思ったわけよ。「幻想の革命」というのが、現実の革命の虚像みたいな形で感動を高める、みたいな錯覚があった。でも、そうではなくて、まったくの異世界で現実なんかには全然依っていないってことだ。現実の革命家の名前なんかが使ってあって、それで目くらましがかかっているんだけど、十年たって同じことを思うとすれば、つまり全然、古びないとすれば……。だから新戸さんあたりが書いているのは、ちょっと的外れな感想ではなかったか、と。ただ、当時の人としては、口ごもらざるを得ない点もあるんだろうね。

山形:現場にいるとインパクトがだいぶ違うでしょうからね。

野阿:昨日、笠井さんと山田(和子:NW-SF編集長)さんと(講談社の)編集と、四人で飲んでたんだ。編集は四十だからおいといて。僕が三十で、山田さんと笠井さんというのがそれより少し上で、同じ世代で同じ場にいたって感じなの。で、そこにはやはり、どうしようもない壁というか、あの場にいた人間じゃないと判らないというような排他的な何かがある。全共闘がどうのとかいうブーム的な問題じゃなくて、あの場の空気を吸った者と吸わない者は違うんだというところが。
 ただ、僕たちとしては、安田講堂で何があろうと当時はブラウン管ごしの、よそさまのことだったのね。それと、当時、私は非常に暗い青春を送っておりまして。十五、十六、十七と私の青春暗かったって奴で、外界の出来事なんかホントどうでもよかったもの。自分のことで精一杯だった。それもあって、完全にあの世界とおつき合いがない。もちろん、現象としては、ずっと見ているんだけど。僕たちの、いわゆる学園紛争に「遅刻した」世代は、あの人たちに対して<冷ややかなアコガレ>ってのがあるみたいだ。どこかで惹かれていながら、ケッ、とか云ったりしてね……。

山形:「花と機械とゲシタルト」はよかったでしょう?

野阿:感動しましたねー。ただ……君たち理数系?

山形:はい、一応

中瀬:はい、一応。

野阿:だったら僕とは違う種類の感動だと思う。俺はとにかく、パラコンパクト空間が、さっぱり判んなかったんだよぉ。

山形:いや、ありゃ別に――。

野阿:だいたいセット(集合)ってのが判らん。微積がわからん。計算はできても、原理がちっとも判らん。よくSF書いてるなぁー。
 パラコンパクト空間については、アレが出て半年くらい後に山野氏宅に伺って、「パラコンパクト空間って何でしょーか」って聞いたんだよ。そしたら、「作品中に説明してあるけど」とか云ってさ、また式を書こうとするから、「いや、ちょっと待ってくれ、数式じゃなくて、わかり易いモデルかなんかで説明してもらえんだろーか」って云ったら、「数式でやるのが一番わかり易いのに」だって。それでもモデルで説明してもらうと、漠然とは掴めたけど。やっぱり、ありゃ判んないよ。
 だいたい、山田和子女史に聞いた話だけど、あれ、最先端の数学原理なんだって?

山形:山野先生ご本人の言によりますと、最先端ではみんないい加減なことをやっているから書くのが楽だって……。

野阿:いや、それにしたって、あの柴野拓美さん(以前は数学教師)が知らなかったっていうよ。山田さんが尋ねたら「私も初耳です」って仰言ったって。

キチガイ → フーコー

野阿:僕が「花と機械とゲシタルト」で興味あったのは、当時、例の1200枚(銀河赤道祭)を書いていたときの興味と、たまたま重なったんだけど、キチガイの話。僕はR.D.レインは興味の対象外だったけれど、参考文献としては読んでた。でも、反精神医学まで行っちゃうと、その先どうしようもなくなるでしょう。「文化」の問題になっちゃう。しかも、フーコーあたりがそういうことを云うのならまだ判る。あの人は最初はともかく、あとの方では臨床医じゃなかったわけだから。現実に患者と対話しながら理論を形成していくわけじゃなくって、そういう人たちの文を読んで、それを書誌学的というか、系譜学的に扱って<狂気>を描いているわけだから。ピックアップしてアブストラクト(抽象化)してるわけ。でも、R.D.レインは現実に患者を相手にして――ま、それで成功していれば文句のつけようもないけど、相当ちがうような気がする。レインの反精神医学というのは、要するに、精神病なんてないんだっていうヤツでしょ。ただ、あれは治り易い患者だけを集めて云々という話もあるけど(笑)。
 つまり、その頃、反精神医学ほどじゃなくても、精神学ってものをつきつめていくと、どうなるだろうってことを考えてたから。一応、自分の結論が出たあとで読んだから。そーか、そーか、って感じで面白くはあった。その結論は、キチガイってのは人間の(現存在としての)誠実なあり様なのだから、強いて癒す必要はないっていう、滅茶苦茶なものなんだけどね。
 フーコーといえば、「パイデイア」という雑誌があったでしょう。

山形:……ありました。

野阿:あの、永田(弘太郎)さん(「トーキングヘッズ」編集長)あたりが好きそうなやつ。あれのフーコー特集があるじゃない、緑色の。

山形:十一号でしたっけ。厚くて、用紙がいろいろ使ってあって、段の組み方のイヤラシイ。

野阿:それに狂喜した人もいるという(笑)。あれの裏表紙にフーコーさんのサインもらっちゃったぜー。あの人が福岡に講演に来たことがあって、たまたま僕のフランス語の教授が通訳やるんで、狩り出されていったわけ。ハゲ頭がカッコいいんだよなー(笑)。

山形:あれはファッションでしょ? 病気じゃないですよね。

野阿:人間、カッコよければ許す(笑)。

遺稿のことなど

山形:さて、「雨天 ブルーバードの 飛ぶ」についてですが、あれはどこまでマジなのか冗談なのか――。

野阿:いや、私は冗談もマジに書きます。ちなみに、今のは冗談です(笑)。

中瀬:あれは単行本の「花狩人」には入ってませんでしたね(注:後に「黄昏郷」に収録)。

野阿:あれはあれだけでまとめて出したい。

山形:しかし、時事的なギャグが多すぎませんか。

野阿:いや、そういうのも十年たてばファッションになる。続編書いて。もう一つ書いたらまとめて一冊分くらいにはなる。「ポケット一杯の嘘」(A Pocketful of Lie)という題名だけは出来ていますけど、冗談が集まらん。あーゆーバカな話を書くには冗談が二十くらいないと。でも、あれは結構堅実な話だぜ。タイム・マシンのパロディだけど、あと記憶喪失と混ぜてるから。あれでマジな話を書こうと思えば書ける。少なくともキース・ローマー程度のものは。

山形:僕はアレでファンになりましたが――。

野阿:困った人だ(笑)。

山形:あれで野阿梓を捨てた人も結構いて――。

中瀬:凄く面白かったのになぁ。尻上がりに面白くなっていった。

野阿:書くのも面白かった。あれは二週間くらいで書きあげたもん。

山形:その次の「Trial and Terror」では、だいぶ語り口が変わっているようですが。

野阿:もう五年も前だもん。読み返して、下手なのには本当に驚いた。今岡清(当時・SFマガジン編集長)が云ってたけど、文章自体というか、情景描写が飲み込めないんだって。まあ、あれもあまり頭のいい男じゃないけどさ。とにかく、「最低の読者」に合わせるべきであろう、と。
 場面がどんどん変わるのに、各場面場面でうまい形容詞みたいなのが少ないものだから、情景が掴みにくいのは事実。家の中にいたと思ったら、もう次のシーンでは外にいて、しかもそこで何をしているのか判らんというのでは、確かにヤバイ。
 書き慣れてくると、そこら辺は自然に掴めるみたい。少なくとも「武装音楽祭」あたりになると、かなり自信はある。誰が立ってるか座ってるかくらいは、読んでいて頭に浮かべられるように書けてるつもりです。
 「Trial and Terror」は連載が終わったら、志賀隆生さんが自分のところで出したいって云ってたけれど。そうとう書き直さなくちゃダメだろうな。恥ずかしくって。とても人様にお見せできない。面白い話ではあるんだけどね。宮沢賢治は読んだ?

山形:いや、あんまり。

中瀬:多少は。

野阿:「ポラーノの広場」がこのキーワードなのね。ポラーノ、銀河鉄道。東恩納裕一さん(ひがしおんな・ゆういち=「SFの本」専属イラストレイター)は一発で判ったって。
 あの話は、賢治のヴ・ナロード意識を反映していてさぁ。あれをそっくり頂いた。完全に頂くとヤバイから、キーワードだけ残して。わかる人はわかる。

山形:「ハムレット行」というのも異質ですね。

野阿:これ、一番好きなんだけどなぁ。

山形:いや、好きとか嫌いとかは別に、単に感触が違うという。

野阿:うん、好きっていうのは、書きたい、書いていて楽しくて、こういう妄想を辿るのが好きだっていう意味で、一番、趣味に合ってるよ。

山形:ああ、それならもっと書いて下さいよ。

野阿:でも、あんなのばっかり書いていると、どうしようもなくなるでしょ。売れない作家になってしまう。
 あっ、今度「ショートショートランド」に出すんで、よろしく。
【と、「孤悲」のゲラを取り出す。山形と中瀬、どよめく】

野阿:これはほぼ「ハムレット行」の系譜かな。もう二度と書きたくないけど。七転八倒よ。四十枚の短編が書けなくて、六百枚の長編書いちゃったヒトに、十枚書けってのは地獄ですよ。
【山形と中瀬、感動しつつ「孤悲」を読む】

野阿:今、それの長編版みたいなものをコツコツ書きつつある、というか書いてないというべきか(注:「兇天使」のことである)。

山形:ああ、それは頑張って下さい。期待しています。

野阿:それは、ほぼ書きたいものだから。レモンみたいな「おふざけ」ではなくて、「ハムレット行」みたいな。でも、完成しないかも知れない。資料集めが楽しくなっちゃって、もうダメ。

山形:原稿さえ判るようにしておいてくれたら、僕が遺稿を整理して出してあげます。

中瀬:(「NW-SF」誌、17号を手に取って)デビューなさって、しばらく名前を見ないと思ってたら、こんなところにひょっこり出てきたのは……。

野阿:うん、デビューしてすぐ、授賞式で上京した時、山野浩一さんのところに伺ったんだ。熱烈なファンだったからさぁ。対等な立場に立った、というと僭越だけど、物書きとして「向こう側」に行ったということで。その時、初めて訪ねた。ファンと作家という立場だと、僕はぜったい、手紙書いたりもしないヒトだったから。

山形:山野さんの方は、最初、野阿さんをけなしてましたよね。読書新聞かどこかのSF時評で、「花狩人」について「もう何も云うことはない。ついにこんな作品も出るようになったか、というだけだ」とか何とか。

野阿:うん、あの直前に手紙を書いてね。とにかく批評してくれって。当時は、彼は少女マンガなんてバカにしきってたからね。しかし、それがなぁ。山野浩一が少女マンガを読む、というのは凄かったなぁ(笑)。

山形:あの空白期にNW-SFワークショップに行って、「野阿梓が好きだ!」と云ったら、なんと山野浩一が「そのうち、ウチ(NW-SF社)から彼の作品集を出したい」なんておっしゃって、驚きましたね。

野阿:いやあ、出して欲しいですよ。あそこ、雑誌は原稿料無しだけど、印税は出すそうだし。

山形:どうだか。

野阿:無料(タダ)でもいいや。

中瀬:同時期に出てきた他のSF作家なんかと比べてみても、野阿梓は異質だという感じで、野阿さんみたいな書き手がSF界にいるというのは、ちょっと信じ難い気もしますが、そもそもSFなんてお読みになるんですか?

野阿:あたしゃSF少年ですよ。

中瀬:(オドロク)そ、そうなんですか?

山形:そ、そうなんですか?

野阿:失礼なことを。SFマガジンは八十六号からずっと持ってる。定期購読を始めたのは、一九六六年頃だから。
 大体、NW-SFなんていうクライところに出入りしている子は違うかも知れないけれど、普通はまず、ワトソン君の出てくる名探偵ホームズなんか読みますわね。ポプラ社かなんかの。それと、小林少年VS怪人二十面相の江戸川乱歩だとか、怪盗ルパンなんか読んで。それで、さて次に読むものは何かと云えば――僕の初恋の女(ひと)の場合は「チボー家のジャック」だったりするんだけど――その時に、たまたま星新一だとか、フレドリック・ブラウンだとかに行っちゃった不幸な少年もおるわけよ。

山形:へえ、じゃあ随分「まっとう」な道を歩んできたんだ。

野阿:まっとうよ。ファンダムに入ってなかっただけで。
【中瀬、本にサインをもらう】

山形:このサインは昔から練習なさっていたんですか?

野阿:大体「花狩人」を書き上げた時点で、十通りくらい受賞の言葉を考えた。何の役にも立たなかったけど。それで、受賞が決まってからサインの練習を始めた。これも何の役にも立たなかった。

中瀬:ペンネームは前から?

野阿:ああ、そりゃそうよ。高校の頃に考えたもので、ノアの方舟のアナグラムになっている。

山形:しかし(と、「花狩人」を取り上げ)この解説は困ったもんですね。

野阿:でも、これのお陰で結構売れてるんだぜ。若い女の子のファンレターなんてさ、「表紙と解説に魅かれて買いました」だもん。

山形:解説で買うのをためらった人もここにおりますが……。じゃあ、それなりの功徳はあるわけですね。あんな解説でも。

野阿:中島大明神様ですよー。

中瀬:そのせいか知らんけど、東大駒場生協では売り上げベストテン入りしてたな。

野阿:なんでも書泉グランデでは、週の売り上げ一位だって。で、その時の二位が「三毛猫ホームズ」。

中瀬:やったあ!

山形:やったあ!

野阿:赤川次郎に勝った! ……ほとんど局地戦だなぁ……。

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