Q1  トマ・ピケティは、いまや経済学における格差研究の筆頭格のフランスの経済学者です。  もともと数理経済学の大秀才で、22歳にして格差の数理経済学モデルで博士号を取り、すぐにマサチューセッツ工科大学に招聘されますが、わずか三年ほどで帰国してしまいます。数学ごっこに堕した経済学の現状に失望したから、というのが理由で、その直後から『21世紀の資本』へと続く、租税台帳に基づいた格差データの収集が開始されています。  帰国してからは格差の実証研究とともに、ロラン・バルトやレヴィ=ストロース、フェルナン・ブローデルをはじめフランス現代思想の巨人たちを輩出した社会科学高等研究院の教授となる一方で、現在教授を務めているパリ経済学校の創設と勢力拡大にも尽力して世界的なフランス人経済学者の台頭にも寄与しています。  格差の研究では、先輩格のアントニー・アトキンソン(イギリス)、エマニュエル・サエズなどとの協力で、格差の実証データを世界的に収集し、それを世界トップ所得データベースとしてすべて公開することで、地味な分野だった格差研究の基盤を大きく広げています。リーマンショック後の露骨なウォール街優遇に抗議するウォール街占拠運動は、「われわれは99%だ」というスローガンからしてピケティの研究に基づくものです。格差研究のアカデミックな基盤を広げ、現実の政治運動にも影響し、さらにはベストセラーで一般的な注目を集められる可能性だってあることを示したという意味で、この分野の中興の祖とすら言えるでしょう。 Q2 サイモン・クズネッツは、アメリカの国民経済計算の父です。かれが1930年代から集めたデータにより、はじめて所得格差がどうなっているのかについて具体的な分析が可能になりました。もちろんそれまでもデータ整備の試みはありましたが、クズネッツの業績はデータ収集の広さの点でも、その補正や各種推計手法の厳密さの点でももずば抜けており、クズネッツの業績をもとに、データをもとにした数理経済学が成立し、また経済全体を扱うマクロ経済学、つまりはケインズ経済学も成立するに至りました。  ピケティとの関連でいえば、ピケティは自分のやったことがクズネッツの延長にすぎないと述べています。クズネッツは、データをきちんと集めて国民所得と所得の分布を示しています。所得の分布については、1919年から1945年のデータを中心に、おおむね20世紀前半のデータを検討し、ピケティと同じようにトップ1%への所得集中度を見ています。そして米英独のデータをもとに、経済発展により最初は格差が拡大するが、後に縮小するというクズネッツ曲線を提唱しています。こちらは、ピケティの厳しい批判を受けています。格差縮小は自然に起きるものではなく政策による意図的な介入が必要なのだというわけです。  ただし、見方によっては、格差が拡大するとそれが問題視され、是正策が取られるという動き自体が「自然」な動きの一部だとも解釈できます。ちなみに晩年のクズネッツは途上国の発展を研究し、経済の各種条件がちがえば発展の道筋もちがうと指摘し、単線的な経済発展の見方を否定しています。とはいえ、クズネッツ曲線が放任主義を必要以上に正当化するものとして使われてしまったのは確かに事実ではあります。 Q3 ソローモデル、またはソロー=スワンモデルは、単純に新古典派成長モデルとも呼ばれるものです。ポール・サミュエルソンと並ぶ新古典派総合の雄、ロバート・ソローが主に考案し発展させたものですが、同時期(1950年代前後)にはスワン、ミード、トービン、ティンバーゲンなどが類似のモデルを考案しています。  このモデルでは、世の中のあらゆるものの生産には、労働と資本の2つが必要です。労働も資本もすべて十把一絡げで、その細かい中身はまったく考えません。労働より資本のほうが収益率が高ければ、資本への投資が増えていずれは労働と同じ収益率になります。均衡状態においては、産出、所得、利潤、賃金、資本、資産価格等々すべてが同じペースで成長することになり、この均衡状態に向けて経済が自動的に調整することになっています。  さて、『21世紀の資本』では有名なr>gという式が出てきます。rは資本収益率ですが、それがどんな資本かはわかりません。それどころか、その資本の中身はどうあれ(昔は農地だけれどいまは機械設備や金融資本という具合)、データを見るとrは4-5%とほとんど変わらないと指摘されています。資本をなんでも十把一絡げに扱うという意味で、『21世紀の資本』の議論はソローモデルの枠組みに似たところがあります。  しかし、ソローのモデルの均衡状態では、r=gになります。労働より資本のほうが収益率が高ければ、資本への投資が増えていずれは労働と同じ収益率になるはずだからです。この点でピケティはソローモデルを認めてはいません。ピケティは吉川洋との対談でこのソローモデルを「単純すぎる」とぼろくそにけなしています。土地も設備も金融資産もすべていっしょくたに「資本」として扱うのではまったく現実をとらえられず、これを別々に扱うモデルを考案中だ、とのこと。資本や労働に多部門を持つ成長モデルはすでに存在するので、ピケティがどのように独創的なモデルを造り上げるかは、お手並み拝見というところです。 Q4  ピケティ、特に『21世紀の資本』の強みは、まず何よりも実際のデータを長期で調べた、というところにあります。それも恣意性のある自己申告サーベイではなく、税務記録に基づくデータで信頼性も高いものです。どんなモデルも理論も実際のデータには勝てません。ソローモデルによれば超長期ではr=gのはずだ、だからr>gというピケティの主張は怪しいといった批判は見かけますが、「でもデータがそうなってる」と言えば一撃で倒せます。  そしてそのデータの使い方もユニークです。格差論でそもそも資本や資産を問題にしたということ自体が、非常に目新しいことでした。訳者の本業は開発援助の実務で、格差問題や貧困問題は日常的に出て来るテーマですが、その際に問題とされるのは1人当たりGDPであり、一日あたり収入です。資本・資産が格差問題において重要な視点となり、将来の格差拡大にも含意を持ちかねないという指摘自体が、ほとんどの人が考えたこともないものでした。しかもそれを歴史的に位置づけて、かつての19世紀の格差社会復活を匂わせるというレトリックもきわめて効果的です。  そして近年、先進国では格差が拡大しているのか、というのは特に欧米では大きな論争になっていました。短期だけ、ある小さな集団だけ見れば、どっちの結論も出せますし、不正確で偏った調査もたくさんあります。ピケティの研究はこの議論におおむね決着をつけ、さらに所得の格差と資本の格差という明確な視点も打ち出しました。一方で、各国の格差推移は似てはいても、その背後にある動きは各国独自のものだというのも『21世紀の資本』の重要な結論です。日本もピケティの一般論があてはまるかどうかではなく、実際の具体的なデータをもとに分析を進める必要があります。 Q5 『21世紀の資本』では、バルザックやオースティンなどの小説からの引用が結構出て来るのが話題になります。ちなみに後のほうにいけば映画『タイタニック』や『ドクター・ハウス』『BONES』『ダメージ』などアメリカのテレビドラマの話もたくさん登場します。  なぜか? 一つには、こうした大衆娯楽作品には、その時代の社会常識が明確に出て来るからです。バルザックとオースティンの小説では、よい暮らしのためには玉の輿に乗るしかないという話がやたらに出てきます。経済環境が人々の考え方や価値観にどう影響するか? 小説やテレビドラマはそれをある程度教えてくれます。  そして特にバルザックやオースティンの小説は、データの源でもあります。資産の額、たとえば持っている額面や土地の価額と、そこからの年間収益額とがほぼ同義で使われているという指摘は、当時の資産・資本についての常識を雄弁に物語るとともに、そこで暗黙に想定されている資本収益率の根拠にもなります。  これは『21世紀の資本』のすごさでもあります。使えるものは手当たり次第なんでも使おうという節操のなさが、おもしろい知見をもたらしています。世界の大金持ちがどのくらいの資産を持っているか検討するにあたり、ピケティは『フォーブス』の金持ちランキングを使います。あれは通常、単なるゴシップのネタでしかありません。恣意的な部分も大きく、調査方法も明確でなかったりします。そんな雑なものでも、ないよりはマシとして平然と使い、おもしろい結論を導きだす――それがピケティの独創でもあり強みでもあります。 Q6  ピケティに対する当初の批判は、従来のモデルにあわないとか、これまでの経済学の想定とちがうとかいうものです。が、これはむしろピケティの主張を裏付けるもので、つまりいまの経済学モデルは現実のデータにあわないお遊びでしかないのでは、ということです。また、データに関する疑問もいくつか出ていますが、あまり重要なものはありません。  重要な批判の一つは、資本の中身です。1970年代以来、各国の資本蓄積が急増したとピケティは指摘しますが、そのほとんどは住宅です。これは単に都市化と不動産価格の上昇を反映しているだけでは? あるいはピケティが無視した人的資本の反映にすぎないのでは? これについてはまだ明確な反論は出ていません。  一方、r>gは当然では、という批判もあります。リスクプレミアムもあるし、また既存の成長理論でも均衡に達するまではr>gになるという批判をマンキューがしています。これについて、ピケティは基本的に認めつつ、r>gは実は自分の主張であまり重要ではないという弁明をしています。『21世紀の資本』はかなり単純化したもので、自分はもっと複雑なモデルが念頭にあるのだ、とのこと。これは今後のお手並み拝見となります。  もう一つ大きな批判は、ピケティの挙げる対策です。資本収益が問題だから、全世界共通の累進資本税を導入せよ、というピケティ一押しの案は、ストレートながら短期的にはどう見ても無理筋です。それがダメだからピケティなんてダメ、現実を知らない空理空論学者、といった批判は無数にあります。  ただし、実は本書にはもっと普通の格差縮小案もたくさん挙がっています。それを無視するのは、単に本をちゃんと読んでいない証拠だったりもします。さらに現実にできそうな案――たとえば相続税率を上げようとか所得税の累進性を高めようとか――を挙げただけでは、たぶんあの本はこんなに話題にはならなかったでしょう。格差の原因の簡単な説明 (r>g) があり、それを解決する極端ながら簡単な手法(資本課税)もあるからこそ『21世紀の資本』についてみんな気安く議論し、結果的に話題作になりました。そこまで狙っていたとしたら、ピケティはマーケティング能力でもかなり侮りがたい、ということになるでしょうか。